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人形夫人の作り方  作者: 森乃千羅
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第八話

閲覧ありがとうございます

目的地に着き、座っていてもルーエルの鈍感さは同じだった。

寧ろ悪化したと言ってもいい。


「疲れていませんか?」

「はい」

「それならよかった。しかし油断は禁物ですよ、今日は暑いですからね」


突然立ち上がったルーエル。


「飲み物を持ってきます」

「旦那様、飲み物でしたら私が取ってまいります」

「いや、メジェはメイリーの傍にいてくれ。メイリーの口に入るものは私が選びたいんだ」

「ですが…」


ルーエルは侍女頭の躊躇いを無視し、メイリーの手にそっとキスをした。


「すぐに戻りますから、ここで待っていてください」

「…」


返事を待たずにその場を後にする。


ルーエルが見えなくなった瞬間、いたる所からざわつきが聞こえてきた。


「噂通りの真っ白…」

「本当に赤いわ」

「化け物だ…」

「怖いわ、なんて気持ち悪いの…」

「あんな子どもが産まれたらそりゃあ追い出したくもなる」


それは全て聞き慣れた言葉だった。

生家でも使用人たちが扉の向こうからメイリーへ語りかけるように囁いていたから。

それらが悪口だというのはメイリーでも当然理解している。

彼らの視線、態度、喋り方、全てがそう物語っているのだ、理解できないはずがない。


だけど別に辛くない。

哀しくもなければ、怒りが湧いてくることもない。

あるのは言われたという事実だけ。


(こんなこと、説明しても到底分からないんだろう)


ルーエルは王家直轄の軍部に所属している。

戦争のない現代において彼らは国内の犯罪に目を光らせており、その対象は全国民。

あらぬ疑いを持たれたくない人々は軍人を、その中でも特に貴族であり、指揮官でもあるルーエルを怖れた。


人間誰しも闇がある。

いつ、どんな理由で捕まるか。

怯えても無理はない。


彼は短期で、信じたいものを信じるタイプだから。


メイリーが知る理由、それはルーエルのことを教えてくれた存在によるものだった。


「旦那様には困ったものです…」


そう呟いた侍女頭。

ルーエルが幼少期の頃より仕えている彼女は、良くも悪くも彼をよく知っていた。




「メジェと申します、この屋敷にて侍女頭を担当しております」


メイリーがウエルッカ伯爵夫人となった初日、一人の女が部屋を訪ねてきた。


「ご要望がありましたら何なりとお申し付けください」

「…」

「…あの?」


無言でメジェを見つめた後、メイリーは椅子に座ったまま窓の外に向き直った。

そのことに苛立ちを覚えたメジェは声を低くしたのだ。


「奥様、ご不満があるようでしたら仰ってくださいませ」

「…」


しかし、なおもメジェに視線すら向けようとしないメイリーに、侍女としてあるまじき行為だと分かっていながらそれを咎めた。


「っ…、…旦那様がお認めになられた方ですから、私ども使用人一同、奥様にも真摯に接するおつもりです。それなのにそのような態度では私とて」

「…」


ようやく視線を移したメイリー。

この時、メジェは頭に血が上り、どうにか掴みかかるのを自制していた。


そしてそれは次の言葉を聞いてあっという間に霧散した。


「この人、何をしているんでしょうか」

「…は?」

「誰もいないのに」


それは一方的に指示するだけだったジャッパルが死に、会話すら知らないメイリーの純粋で無垢で、何の感情も伴わない独り言。

自分が話し相手だということに気づいていなかったのだ。

その瞬間、メジェは慄いた。

人間として必要最低限のことも教えられていないメイリーを、女主人として扱わなければならないということに。


ルーエルは伯爵だ。

妻になる人間には家を守り、社交界で輝き、跡継ぎを産んでもらわなければ。

その計画が一瞬にして崩れ去った。


当然、メイリーを追い出すという選択肢が脳裏に過ぎった。

しかしすぐ様それは不可能であることに気づく。

ルーエルが手放す筈がない、と。


ならば。


メイリーにすっと近づいたメジェ。

机の向かいに立ち、メイリーの視線が向くのを待つ、ただひたすら、ずっと。

すると案外すぐにメイリーの真っ赤な目が彼女を捉えた。


「…さっきの人…」

「そうですよ」

「…」


話しかけても無意味なら、彼女の独り言に返事するしかない。

そうすれば存在を認識してくれるはずだから。

そしてその作戦は成功した。


「私を見てる…」

「見てますよ」

「喋ったら喋る…」

「会話していますからね」

「…」


目を見開いたメイリーに、メジェは安堵した。

同時に恥ずかしかった。

会話を知らぬ赤子に難しい言葉を並べてもいけないのだ。


「私はメジェです」

「…はい」


やっと返事をしてくれたメイリーと目線を合わせるため膝立ちをする。


「私は貴女の世話をします」

「はい」


「貴女を『奥様』と呼びます」

「はい」


「では奥様、私に何かお願いをしてください」


そう言うとメイリーは首を傾げた。

ああ、と落ち込んだ。

『お願い』が分からないのだと。

子どもでも知っている単語なのに、それを知る機会のない環境で育ってきたのだと。


「この部屋に置いてほしいものはありますか?」

「いりません」


少し言葉に違和感があるのは仕方ない。

それが今の限界なのだ。


「食べたいものはありますか?」

「いりません」


「したいことはありますか?」

「いりません」


何も望まないメイリー。


しかしふと、ため息をついて窓を見つめる彼女に、メジェは一つ考えついた。


「椅子を窓に近づけますか?」

「…」


メイリーの目が輝いた。

暫く間を開け、ようやく口を開く。


「はい」

「畏まりました」


メイリーに「立ってください」と告げて、椅子を持ち上げる。

今思えば椅子を動かすという考えすらないのだなと、行動性の無さに不安が募る。

併せて机も場所を移し、手のひら全体で椅子を示す。


「どうぞ、座ってください」

「…」


やんわりと貴族らしく座ったメイリーは、驚くような表情だった。

そして窓の外を見て息を吐くのだ。

満足そうなメイリーに、メジェは心の中で微笑む。


「これを『お願い』と言うのですよ」


それが二人の初めての出会いだった。




そして現在、メジェはメイリーの隣に座っていた。


「今日聞いたことは全て、旦那様に内緒にしてくださいませ」

「はい」


一月かけて会話を教えてくれたメジェ。


その中で知ったのはメジェがルーエルの乳母であったことと、ルーエルが自分勝手な人間であることだった。

彼に周りの人間の会話を知られてはならない。

知られたら最後、きっと彼らを傷つけることになるのが想像に難くない。


「何故奥様を残されて…」


メジェはそれが不満らしい。

その気持ちは何となくメイリーにも分かる。


メイリーの飲み物を選びたい。

メイリーを守りたい。


ならば連れていけばよいのだ、侍女を側に置いて放置するよりもその方がずっと安全なのだから。

否、この場所を安全だと本気で考えているのだろう。

ここはルーエルの職場でもあるのだから。


だから皆ルーエルの前では悪口を言わないし、彼の前ではメイリーに偽りの笑顔を見せるのだ。

だからルーエルは気づけない。

口先だけ。


「…ま…」


その時、メイリーたちの背後からどこか懐かしい音が流れてきた。

目を見開く。

口が引き締まる。


「お姉、さま…」


ああ。

やはり来ていた。


メイリーは振り向いた。

そこに立つ女性は金髪を下ろし、真っ黒なドレスを身に着けていた。


待ち望んだ青は、歪んでいた。

誤字脱字あればコメントにて教えてください

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