第五話
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ウエルッカ伯爵家の朝食は多量だとメイリーは思っている。
勿論、少食のメイリーにとってこの世の全員が大食いに見えるというのも理由の一つである。
しかしどうやらそれだけではなく、ルーエルの気分屋が関係しているらしい。
何種類も作った中から食べたいもののみに手をつけるため、食堂のテーブルには毎朝沢山の皿が並べられるのだ。
いつも途中で部屋に戻っていたため気づかなかったが、かなりの食事が皿に残されている。
この料理はどうなるのだろうか。
そんなことを頭の隅の方で考えながらメイリーは座席に留まっていた。
理由は一つ、このあとの処刑執行に立ち会い、そこでエイシャンに会うことになっているから。
早くあの青を見たいなと物思いに耽っていると、隣に座るルーエルが声をかけてきた。
その後ろには老執事と侍女頭が立っている。
「メイリー、今日もその服…?」
「はい」
「…髪も?」
「はい」
一人にしてほしい。
メイリーはルーエルを面倒な相手だと思っていた。
今まで話しかけ続けられることなどなかった人生だったから、ルーエルの気遣いは却って疲弊させるものだった。
いっそ自室にでも逃げてしまおうか。
執行は午後である。
つまり午前はいつもどおりにしても良いのだから、それまで引き籠もることもできるのだ。
でも、どうにも部屋に戻ってはならないような気がした。
寝てしまうからかもしれない。
万が一にでも遅れるなど、それだけは避けたかった。
するとメイリーの背後から声がかけられる。
「奥様、本日は大変暑くなると思われます。お召し替えをされるべきかと」
「そうですよぉ!そんな真っ黒な服を着るだなんて、倒れちゃいます」
「お髪も結うべきです、そんなに長くては周りの迷惑です」
「…」
今までこんなに長い間部屋から出たことがないせいか、侍女たちが執拗にそう言うのだ。
正直煩かった。
声をかけてきたのは赤茶色の侍女と、顔合わせ以降見ていなかった侍女の二人。
長い髪を迷惑だと告げた灰色に近い髪色の侍女をじっと顔を見据えると、青みがかった目を細めて困り果てていた。
対するもう一人は侍女頭と同じ黒髪だが、緑色の目をきらきらと輝かせている。
この目は見ていて飽きない。
「…メイリーは身長何センチだったかな」
「…?」
不意にルーエルが尋ねてきた。
身長、とは。
「ドレスを注文する際にお調べした時、確か百六十五センチだったかと記憶しております」
代わりに侍女頭が返事をした。
そういえばここに来てあれやこれや調べられたなと思い出す。
おそらくその中に該当する言葉が含まれるのだろう。
それが今更どうしたというのか。
「髪の長さは」
「そこまで把握はしておりませんよ」
呆れたように言う侍女頭に少し悩んだ後、ルーエルはメイリーの目を見つめた。
「メイリー、髪は纏めてくれ。今日は大勢の中を歩いたり座るから、万が一汚れてしまったり踏まれでもしたら、それはとても悲しい」
メイリーは自分の髪を摘んだ。
白い髪はメイリーが立っていてもふくらはぎ辺りまでの長さがあり、座った今の状態だと確実に床や地面についてしまうのだ。
言われてみると確かに邪魔である。
出かけるのであれば座っても地面に当たらない長さ、或いは髪型が理想となるだろう。
しかしメイリーは髪を切ることや纏めることに抵抗があった。
髪を切るな、縛るな、そうジャッパルが生前言い続けていたから。
そしてメイリーはその言葉を逆らうことなく従ってきた。
それしか知らなかったから。
ならば行かないのか。
この屋敷から出るのを諦めて、エイシャンに会うことを諦めて。
それは望ましくない。
「…分かりました」
どちらにせよ、この屋敷に来た時点でジャッパルから言われていた『部屋から出るな』はもう守れない。
『本を読むな』も既に破ってしまった。
今更気にしたところで、ジャッパルは死んでしまって何も言えないのだ。
「そっか!…では、あとは任せたよ」
「…?」
椅子から立ち上がったルーエルにメイリーは疑問を感じた。
任せた。
誰に。
何を。
「おまかせください」
突然、背中が震えた。
何故だろうかと振り返ると、侍女たちの眼光が鋭いものに変わっていた。
その視線がどうにも居心地悪い。
「奥様、お部屋に戻りましょう」
「安心してください、私たちがしっかり整えますよぉ!」
「ようやくお髪に力が入れられます」
「…」
有無を言わせないと息巻く侍女たちに、決して、拒否はできないとメイリーは悟った。
同時に残りの二人が今日まで全然接触がなかったのは、担当業務が回ってこなかったからであったことも。
長時間の入浴に粘質な整髪。
メイリーは本格的な身だしなみには時間がかかるのだとこの日初めて知った。
しかし何よりも大変だったのは時間でも疲労でもなく、これら全てがジャッパルにより禁止されてきたことだった。
「奥様、もっと力を抜いてくださいませ。笑顔ですよー」
「…?」
メイリーは笑顔どころか、力の抜き方さえ知らなかったのだ。
侍女たちに指示されたことができない。
「深呼吸してください」
赤茶色の髪の侍女に誘導され、深呼吸、大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。
彼女の手には筆と、貝のような、よく分からないものが握られている。
どうやらメイリーの強張った顔に巧く化粧が乗らないらしく、首を傾げながらああでもないこうでもないと呟いている。
「力が入ってます、それじゃあ深呼吸の意味がありませんよ」
ため息をつく灰色の髪の侍女が長い髪を慣れた手つきで纏め上げていく。
この調子だと髪が先に仕上がるだろう。
「ジュシ、そんなこと言わないの…。奥様、口角を上げてください」
「あらー、顔が強張ってますねぇ」
黒髪の侍女が左側から顔を覗き込んできた。
ついにドレスとアクセサリーが決まったのだろうか。
そんなもの適当に選べばいいだろうに。
そう煩わらしく思うのはメイリーが無知すぎるからだろうか。
教えられなかったことばかりで非常に疲れる。
特に表情。
動かさないことこそ美しいと、ジャッパルの異常とも言える指導のせいで動かないよう生活し続けてきた。
口角の動かし方など今更分かるわけがない。
「…困りましたね」
「奥様のせいではないことは重々承知していますが、ここまでくると頑固というか」
「何か、気を紛らす何か…」
侍女たちの声がどんどん小さくなる。
普通の貴族女性ならば迷惑をかけて申し訳ないだとか、頑張りに感謝しているだとか、人によっては侍女を能無しと罵ることもあるかもしれないが。
今のメイリーには早く終わらしてほしいとしか考えれなかった。
エイシャンにさえ会えればそれでいい。
悩む三人を尻目にメイリーは小さくため息をつくと、窓際の椅子に移動して空を見上げた。
午前の今の時間であれば鳥たちの囀りが聞こえてくる。
ふと、庭の木の枝に茶色の小鳥が止まっているのが見えた。
こちらに気づいていないのか、はたまた興味ないのか、片羽を持ち上げ毛づくろいをしているようだ。
胸元の橙色が鮮やかである。
「あー、その顔っ!」
突然の大声に、びくりと肩が震えた。
「え…」
「あ、あー、待って待って!動かないで。折角の顔が」
「イーヒャ、何、どうしたの」
振り返ろうとしたところ、黒髪の侍女がぐいっと頬を両の手で包み戻した。
一体何をしたいのか。
そう思ったのはメイリーだけではないようで、赤茶色の髪の侍女と灰色の髪の侍女が困惑している。
「イーヒャ、奥様から手を離しなさい。困っていらっしゃるわ」
「そうよ。侍女としてあるまじき行動じゃないの」
しかし黒髪の侍女はその言葉が耳に入らないようで、輝いた目をメイリーに向け続けた。
「奥様さっきと同じところを見ててください」
「…」
「早く早く」
同じところ、というと、もう一度あの鳥を見ろということだろうか。
言われた通り、そろそろと木の枝を見る。
声に驚き逃げてしまうのではないかと思っていた小鳥は、しかし逃げることなくその場に留まっていた。
一安心である。
「あぁー、いい…。凄くいいです奥様…」
「…あら本当、よく気づいたわね」
「えぇ」
「でしょでしょ?ふわぁー、まるで空から舞い降りた天使様のようですぅ」
鳥を眺めながら、メイリーは告げられた言葉に首を傾げた。
天使とはなんだろうか。
空にいるものなのならば少なくとも人間ではないのだろう。
舞う、踊り、ダンス。
最初にメイリーが連想したのは雪だった。
触ったことはおろか、何なのかすら教えられたこともない、寒い日に空を覆う白い物体。
あれのようなものと言われてもよく分からない。
次に思い浮かんだのは春先に空を飛んでいく花の種だった。
上に伸びた綿毛は白く、髪のようだと言われたら分からなくもないそれのことだろうかと。
そういえばジャッパルはメイリーを『神の子』と呼んでいた。
天使とは神の子なのだろうか。
では神とは。
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