第四話
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黒髪の侍女に案内された部屋は、女主人として迎えられたメイリーの部屋より半分ほど狭かった。
勿論そんなことは、日がな一日寝ているか座っているだけのメイリーにとって大して重要ではなく、無意味であった。
しいて言うならば自室より小さな窓に映る景色が空ではなく庭であることだろうか。
青が見えない。
仕方ないと諦めて、侍女に椅子を移動するよう指示した。
「奥様」
窓の傍で移動されるのを待っていると、不意に侍女が声をかけてきた。
振り返ると赤茶色の髪の侍女がびくりと肩を震わせた。
緑色の目がメイリーを見つめる。
そういえば結婚してこの屋敷に来たとき、侍女が他にも何人かいたことを思い出した。
黒髪黒目の侍女は確か侍女頭だと紹介されたような気がする。
茶髪茶目は新人か。
あとは確かこの侍女合わせて三人だったはず。
覚えなくてはならないのだろうか。
「お手紙でございます」
「…誰ですか」
侍女はどこか戸惑うように口を開く。
「エイシャン・リーエル様です。…妹様ですよね?」
「…」
エイシャン。
赤茶色の髪の侍女にメイリーは手を突き出した。
一瞬何のことかと思った侍女、しかしそれが手紙を受け取るという意思だと気づき慌てて渡す。
こんなことは今までで初めてだ。
「ナイフを」
恐る恐る差し出す侍女。
侍女頭も心配なのだろう、ちらっとこちらを伺っている。
侍女たちからすれば手紙をメイリー自身で開けたことなどないのだから、当然であろう。
メイリーが封蝋を無理やり切り外すと、中から一枚の紙が零れ落ちた。
机に落ちたそれを食い入るように眺める。
それは紛れもなく本人の字だった。
『メイリーお姉さまへ
夏が過ぎ、秋へ向かう今日この頃、暑い日が続いていますが、如何お過ごしでしょうか。
あの事件から一月、私もお母さまもようやく今の生活に慣れたところです。
私、あの時、お姉さまに酷いことを言ってしまって、本当に申し訳なかったって、あんなことを言うつもりなんてなかったのに。
なんで言ってしまったのだろうと、後悔の言葉しかありません。
判決が決まり、お父さまとお兄さまが死刑を賜ることになったと伝えられました。
まもなく私にも手紙が届くでしょう。
悲しいことですが、二人がしたことは決して許されるものではありませんでした。
罪を犯してしまった二人の分も、真面目に暮らしていこうと思います。
ところでお姉さまは、今でも伯爵様の屋敷に籠もっていらっしゃるのでしょうか。
身体を壊してはいませんか。
幸せな生活を送っていますか。
私なんかに、こんなこと言える資格無いのかもしれないけど、図々しいことかもしれないけどお願いがあります。
捜しに行きます、当日、処刑執行の前に二人きりで話しませんか。
これが家族が揃う、最後の機会になるから。
会いたいんです』
「…」
メイリーは息を吐いた。
「奥様、顔色が悪いです、少し休まれた方がよろしいのでは…」
赤茶色の髪の侍女が心配そうに声をかけてきたところに、侍女頭が近づいてきた。
そんなにしんどそうに見えるのだろうか。
立ち上がるとすぐにベッドに腰掛けるメイリー。
少し硬めのマットが懐かしい。
「…少し寝ます」
「そうなさってくださいませ。ガベエラ、毛布を追加で持ってきて」
「分かりました、すぐに」
赤茶色の髪の侍女はメイリーと侍女頭に一礼すると早足で部屋を出ていった。
「私も失礼いたします。部屋の前におりますので、何かありましたらお声掛けください」
「はい」
侍女頭が去り、取り残されたメイリーはごろんと寝転がると、そっと瞼を閉じた。
扉の向こう側から侍女たちの慌てるような声が聞こえてくる。
手紙を受け取っただの、自分で開けただの、動揺が隠せないらしい。
メイリーはもう一度深く息を吐いた。
家族が揃う、最後の機会。
「…お祖父様は家族ではなかったの」
変なの。
とうに家族はばらばらだったのに。
懐かしい夢を見た。
あれはメイリーが十歳にも満たない頃のことだった。
「おねえさま」
ジャッパルの居ない時間に一人の少女がメイリーの部屋に入ってきたのだ。
いつものように窓の向こうに広がる青空だけを眺めていたメイリーは初めて見た人物に首を傾げた。
「誰」
「わたし、エイシャン。おねえさまのいもうと」
「妹…」
この時メイリーの知っている家族はジャッパルだけで、他の家族のことは何も知らされていなかった。
だから最初その単語にどういう意味があるのか分からなかった。
「妹って何」
「わかんない、エイシャンまだこどもだから」
「…」
終始嬉しそうな未知の存在にメイリーの目は釘付けになった。
ふわふわした白い服を着て、緩やかな髪は日差しのように輝き、何より澄んだ目が印象的だった。
まるで青空が手元に落ちてきたかのようだった。
エイシャンはそれから時折、メイリーの部屋に入って来るようになった。
幼心に分かるのだろう。
そういう日はいつもジャッパルが外出をしている時だ。
エイシャンは特に何もしなかった。
煩く言うことも遊びに誘うこともなく、ただにこにこと、空を眺めるメイリーを嬉しそうな目で見ているだけ。
そして時折、カンカルのこと、ミーリィのこと、カインザーのことを教えてくれた。
メイリーはようやく妹が何かを知った。
とても静かな日々だった。
けれどその平穏は長くは続かなかった。
「何故貴様がここにいる!」
エイシャンと過ごすようになって一ヶ月後、ジャッパルに見つかったのだ。
孫娘のエイシャンを引き摺るように部屋から追い出し、酷く罵倒したジャッパルを、カンカルとミーリィは人でなしと罵る。
何か、おそらく陶器のようなものが割れる音が一晩中鳴り響いた翌日、エイシャンは部屋に来なかった。
そしてそれは次の日も、その次の日も。
ジャッパル以外が部屋に入ってくることは無くなった。
掃除の行き届かない薄汚れた茶色い扉をメイリーは何度も何度も眺めた。
あの空のように輝く青い目に会いたかった。
来る日も来る日も待ち続け、一月経ち、二月経ち。
メイリーは諦めてしまい、いつしかエイシャンの顔も、そのような騒動があったことすらも忘れてしまっていた。
それでも何故か、あの青だけは頭の片隅に色濃く残り続けた。
あれから何年の月日が経っただろうか。
ジャッパルが死んだ。
それにより、エイシャンが人目を憚ることなく太陽の下を歩けるようになった。
それでは足りない。
カンカルたちにとって、それだけでは不充分だったのだろう。
もっと幸せを教えなくては。
もっと愛情深く、慈しみ深く、皆に愛されなくては。
邪魔だ。
『化け物』を、リーエル家に不幸をもたらした人でなしを、始末しなければという使命感。
けれどカンカルとカインザーはメイリーを殺さなかった。
人殺しになりたくなかったのか、はたまたそんなことを考えたこともなかったのか。
二人はメイリーを奴隷として売りとばすことを選んだ。
そのためには、現在王家が行おうとしている奴隷制度の廃止を阻止しなくてはならなかった。
曲がりなりにも侯爵令嬢だ。
このような『化け物』はすぐに誰か分かってしまう。
その前に何とかしなければ。
反旗を翻した。
そんな浅い計画だったから、あっけなく捕まったのかもしれない。
二人を捕まえに来たのはルーエルだった。
リーエル侯爵の屋敷に部下たちを引き連れて押し入った彼は、すべての部屋を確認していく上でメイリーと出会った。
長い白髪と病気のように青白い肌、血のように真っ赤な目、細身の身体を引き立たせる漆黒のワンピース。
ルーエルの一目惚れだった。
メイリーは抱えられて家族の前に連れ出された。
狼狽えたカンカルとミーリィ、そして見たくもないと視線を背けるカインザーと笑顔の消えたエイシャン。
ようやく会えた青は望んでいた色ではなかった。
昔と変わらず、まるで空のようにこちらを見つめているというのに。
メイリーの事情を聞いたルーエルはメイリーを妻にすると宣言し、他の家族については捕縛すると部下に指示を出した。
その時だ、エイシャンが怒りを露わにしたのは。
「なぜ!悪いのはお祖父さまなのに、お父さまお母さまは何も悪くない!」
そしてメイリーを睨んだ。
青が、歪んだ。
「お姉さまのせいよ!私たちがバラバラになったのは全部、お姉さまが産まれてきたから」
お姉さまさえいなければ。
それが屋敷から遠ざかっていく、エイシャンの最後の言葉だった。
はっと目を覚ましたメイリー。
心臓がばくばくするのを無視して時計を探すと、侍女の誰かが机の上に持ってきてくれたらしい。
思っていたよりも寝た時間は少なかった。
ベッドから立ち上がり、窓際に駆け寄るように座り込んだ。
青は同じ色だった。
けれど違う。
メイリーは自分が欲しているものに気づいた。
会いたい。
メイリーは扉に歩み寄ると口を開いた。
「誰かいますか」
「は、はい!」
そう告げると廊下から侍女だと思わしき声が聞こえてきたから勢いよく開ける。
返事を待つのも惜しかった。
突然現れたメイリーに茶髪の侍女が「ひっ」と身体を強張らせた。
「行きます」
「…へ?」
エイシャンに会いたい。
「明日、行きます」
たとえジャッパルの言葉に逆らうことになっても。
「っ…!は、はい!」
走っていく侍女を見送ると、メイリーは室内の椅子に腰掛けた。
しかしそわそわするのが居心地悪くて、立ち上がって、メイリーは窓の近くに歩み寄る。
木が日陰になるのだろう、窓際は想像しているよりも暑くなかった。
床に座り、見上げると一羽の鳥が横切る。
メイリーは瞼をそっと閉じた。
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