第二話
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「…ま…」
あの日、メイリーの母親、ミーリィはそのまま寝込むことになった。
理由は知らされなかった。
知りたいとも思わなかった。
唯一知らされたのは、ミーリィの病状が精神的なストレスから来たもので、それがメイリーのせいであるということ。
「…くさま」
使用人たちが扉の向こうから『あれ』が原因だ、恐ろしい、忌まわしいと、まるでメイリーにも語りかけるように言っていた。
メイリーはそれを聞き流した。
だってどうでもいいことだったから。
「奥様」
「…」
声に誘われるように目を開くと、茶髪の侍女が心配そうにメイリーの顔を覗き込んでいた。
どうやら掃除が始まってすぐに椅子へ座ったまま眠っていたようだ。
寝ぼけ眼で時計を見る。
時刻は昼の二時半。
侍女に呼ばれるような時間ではない。
要件を尋ねようと口を開いたメイリーだったが、それよりも先に侍女が答えた。
「旦那様がお戻りになりました」
「…」
メイリーは首を傾げた。
ルーエル・ウエルッカ伯爵。
身分こそ中流貴族だが由緒正しき彼の一族は歴年、軍部の司令塔をしており、主な業務は国犯の逮捕や執行をしている。
それこそ父カンカルや兄カインザーを捕まえたのがルーエルだ。
二人が明後日に執行されるのだ、このような時間に帰ってくるなど、出来ようはずがない。
何かそれなりの理由が。
「…」
ああそうか。
あのルーエルのことだから、メイリーが気になったのだろう。
無理を言って休んだであろう光景が目に浮かぶ。
「お迎えの準備を…」
「しません」
「え…」
ならば迎えに行く必要はない。
彼は来る、ここに。
侍女が去り数分後、予想通りルーエルは軽く息を切らしながら室内に入ってきた。
「メイリー!」
「…おかえりなさいませ」
この距離でそのような大きな声を出されると、頭に響く。
ため息とともに窓から室内に視線を移すと、ルーエルの顔がすぐ目の前にあった。
座って待つメイリーと視線を合わせるためには膝をつかなくてはならない。
面倒だろうに。
「処刑執行の手紙が届いたことを知って、居ても立っても居られなかった。当日は私も一緒に行くから安心して…」
「行きません」
きっぱり、そう告げた。
「ご用はそれだけですか」
「メイリーっ…」
ルーエルが腕を掴む。
「…」
誰かに腕を握られたのは初めてだった。
「行きたくない気持ちはよく分かる、父親と兄が殺されるのだから無理もない。でもこれは君の意思だけで済むことじゃないんだ。国が貴族に課した義務なんだ」
それに、ルーエルは躊躇うように視線を彷徨わせた。
「…君の人生をやり直せる、いい機会だと思っている」
「やり直す…」
メイリーはルーエルの目を見つめた。
ルーエルは本気でそう言っているらしい。
その時誰かの咳が聞こえた。
「…旦那様、そろそろ手を」
ルーエルの後ろに老執事の男が立っていた。
いつからいたのだろうか。
一方、ルーエルはメイリーの腕にできた、赤い指の痕を見て血の気が引いてしまった。
「ごめん、ごめんよ!そんなつもりじゃなかったんだ!じゃ、ジャッカ、タオルを…!」
「落ち着いてくださいませ旦那様、奥様は色白でいらっしゃるから目立つだけでございます。タオルは侍女のメジェに持たせますからそう慌てなくても大丈夫です」
「そうは言ってもっ!」
当事者でありながら、話に入っていけないメイリーは、初めて見た自分の赤い肌をじっと眺めていた。
やはり目ほど赤くはならないのだな。
そう思うと興ざめしてしまう。
一通り観察し、飽きたところで窓の外を振り返る。
空はうんと高く、まだ鳥たちも遊んでいないようだ。
「…メイリー、空がどうしたの」
「…」
何もないことをルーエルも知っているはずなのに。
メイリーのため息を悟った老執事がルーエルを引っ張って部屋から出ていく音がした。
「っ…メイリー」
それでもなお彼は食い下がった。
「明後日、絶対一緒に行こう。君に辛い思いをさせた二人の処刑、絶対見届けようっ…」
ばたんと扉が閉められた。
二人分の足音と声がが遠ざかっていく。
一人残されたメイリー。
静かな空間でぽつりと呟いた。
「辛いって何…」
メイリーは感情を知らなかったのだ。
これは、反王国軍が捕まった後、首謀者二人を始め使用人や他の者から語られたことだ。
メイリーはリーエル侯爵家の長女として産まれた。
誰もに喜ばれて迎えられる筈だった。
しかし待ちに待ったその瞬間、屋敷では静かな悲鳴が起きた。
真っ白の髪と赤い目、両親に似てもいない色素を持って産まれたメイリーは多くの人間を恐怖に陥れた。
最も怖がったのは母親であるミーリィだった。
不貞を疑われるのではないかと自分の子に怯えるのは貴族として生まれ育ったミーリィには当然であった。
結果としてその心配はカンカルの妻に対する愛情から杞憂に終わった。
それだけなら良かった。
あろうことか、先代リーエル侯爵でありメイリーたちの祖父であるジャッパルがメイリーを見るなり告げたのだ。
『神の子』だと。
その日から、ジャッパルは目に見えて狂ってしまった。
「メイリーの世話は私がする、誰も手を出すな」
ジャッパルは自分以外の誰かにメイリーの世話をさせることもなく、部屋から出すこともなかった。
教会へ出生記録も作らず、メイリーのことを知るものは屋敷の者以外誰も知らない。
ジャッパルはメイリーを独占した。
けれどそれは溺愛と言えるような簡単なものではなかった。
物心がついた頃には、ジャッパルによってメイリーはあらゆるものを制御されていた。
感情を露わにしてはならない。
だから外の世界を知ってはならない。
故に誰かに接触してはならない。
姿勢を崩してはいけない。
だから食事は摂りすぎてはいけない。
故に身体を必要以上動かしてはならない。
学んではならない。
だから本を読んではならない。
故に何もしてはいけない。
服は白い髪が映えるよう黒い服を。
化粧は白い肌が荒れないよう化粧水と乳液のみを。
細く色白で、白い髪と赤い目。
ジャッパルが作り出したのは人間でも神の子でもない。
例えるならばジャッパルのための、専用の人形とも言える存在だった。
数年後、カンカルとミーリィにそっくりな娘が産まれた。
金髪碧眼はジャッパルも同じであった。
これでジャッパルもまともになる、また家族に戻れるだろうと、二人は期待した。
だがジャッパルはエイシャンを一瞥すると吐き捨てた。
「こんな凡庸な子などいらぬ」
ジャッパルにとって、エイシャンの存在などどうでもよかった。
医師が書いた証明書を破り捨てられ、エイシャンもまた出生記録を出すことを許されなかった。
何も変えることのできぬまま月日は流れ、メイリーとエイシャンは大きくなった。
メイリーは切ることを許されない髪を伸ばし、いつも部屋の椅子に座っていた。
エイシャンはカンカルとミーリィ、カインザーからの愛情を受けながらも、相変わらず敷地の外を歩くことは出来ず、いつも庭で独り遊んでいた。
そんな生活に終止符が打たれたのはエイシャンの十五歳の誕生日の一月後、雪のちらつく夜だった。
ジャッパルが他界した。
ただでさえ高齢、体調を崩しやすかったところに急激な寒波が襲ってきたのだ。
ジャッパルの呪縛から開放されてカンカルはやっとと言うべきか、すぐさま作り直した証明書を基に、子どもの出生記録を教会に提出した。
けれど持参したのはエイシャンのものだけだった。
ジャッパルを狂わせたメイリーをカンカルとミーリィは『化物』と呼び、我が子として愛そうとはしなかった。
メイリーもそれを望まなかった。
愛という感情を知らなかった。
それから数ヶ月、今までとたいして変わらない日々が続いた。
メイリーにとっては食事と睡眠以外は座っているだけなのだから変わるわけがなかった。
しいて言うなら、ジャッパルの代わりに侍女が食事を持ってくるようになったくらいで、気味悪がられてもどうでも良かった。
春になった。
世間に認知されたエイシャンはミーリィやカインザーに連れ立って夜会やお茶会に行くようになった。
メイリーは窓や廊下から音として情報を知るようになった。
そのうち、メイリーに聞こえるようにわざと大きな声で言っているのだと分かった。
けれどメイリーは何も変わらない。
変えようとはしなかった。
まさかそれがあの事件を引き起こすとは思いもしなかったから。
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