第十八話
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「お姉さまの部屋に小さい窓があって、そこからよく外を見ていたんです」
なぜ庭ではなく空なのか。
それはエイシャンの言葉を聞き続けているとすぐに分かった。
「お姉さまの部屋には、日光が差すだけの、手の届かない高さに窓が一つあるだけでしたので」
もしかしたら外部から遮断するためだったのかもしれない、クエトラはその言葉を飲み込んだ。
エイシャンもその可能性はすでに考えたはずだから。
「何の刺激もないお姉さまにとっては窓から見える空の移り変わりが唯一の娯楽でした」
青、赤、漆黒。
雨の降る日、雪の降る日。
退屈な日常の中でそれだけは毎日違う光景を見せる空を、メイリーはどのような気持ちで眺めていたのだろうか。
「窓を見つめる目はいつも楽しそうで、寂しそうでした。でも私の顔を見ると、それが優しくなるんです」
「ふぅん…?」
エイシャンの言っていることは分かるようで分からない。
姉妹だからこそ分かるのかもしれない。
「君が来てくれるのが楽しみだったのかもな」
「だとしたら嬉しいのですけど」
照れくさそうに頬に手を添えたエイシャン。
そんな彼女の様子に、メイリーもエイシャンに会いたいと思っているはずだと確信を持った。
しかしエイシャンの顔色は晴れない。
「でも、お姉さまは私の願いより、お祖父さまの命令に従う気がします…」
「そんなに先代侯爵は怖かったのか?」
「怖いなんてレベルじゃ、…『あれ』は人生そのものです」
一瞬クエトラは『あれ』という言葉に引っかかった。
先程散々『あれ』『化け物』と聞き慣れてしまったせいで、エイシャンもメイリーやジャッパルをそう思っているのかと。
しかし。
「殿下もお腹が空いたらご飯を食べるし、眠くなったら寝るでしょう?『あれ』と同じです」
「…あぁ、そういうことか」
エイシャンの言う『あれ』とは、『ジャッパルの命令』のこと。
安堵して、同時に恐怖を覚えた。
メイリーにとってジャッパルは日常であり、常識であり、否定したり拒否出来るものではなかった。
そういう価値観を押しつけられたのだと。
「…もう、死んでしまった人の悪口は言いたくないけれど、今でも思います。どうして対等に接してくれなかったのか、何で私たちを自由にしてくれなかったのかって…」
気づけばエイシャンは視線を地面におろしていた。
「ジャッパル卿を恨んでいるのか」
しばらく無言だったが、エイシャンは頷いた。
無理もないだろう。
ジャッパルはエイシャンを殺そうとしたのだから。
「お祖父さまは固執していました。お姉さまには縛りつけるような愛を傾け、私のことは不要だと死ぬ間際まで…」
それは幼いエイシャンの心に深い傷痕を残した。
「そうだな、憎まれても仕方ないな」
しかしその言葉にエイシャンは強く反応した。
「それは違います!」
「え…?」
立ち上がりクエトラを正面から見つめるエイシャン。
「確かに恨んでます、怒ってます、腹立たしいです。でもっ…」
その目からはぽろぽろと涙が溢れていた。
胸元で握られた手に力が込められているのが傍から見ても分かる。
「私だってお祖父さまに愛されたかった、孫として認められたかった。凡庸でも普遍でも何でもいい、ただ一緒に…」
そして顔を両手で覆った。
「憎むなんて出来ないっ…」
エイシャンは愛に飢えている。
両親や兄、使用人たちから愛されていた。
これからはもっと多くの人がエイシャンを愛してくれるだろう。
けれどそれだけでは満たされない、足りないのだ。
彼女が本当に望んでいたのは自由ではなく、何気ない家族との時間。
本来与えられるはずだった、姉メイリーと祖父ジャッパルからの無償の愛だったのだ。
なんて愛おしい人なのだろうか。
エイシャンをもっと大きな愛で包んでやりたい。
クエトラは立ち上がると、エイシャンの身体をそっと抱きしめた。
肩が震えたのが分かる。
「殿っ…」
「君は立派だ」
エイシャンの怯えは理解している。
クエトラは王太子で、婚約者がいる身だ。
このようなところを誰かに見られたら大問題となる。
それでも離してやれなかった。
「立派だよ、君は」
こんなに小さく、細い身体で、家族を守ろうとした。
いや、守ったのだ。
罪人の娘と冷遇されていいわけがない。
この時、クエトラは既にアンダナとの婚約を白紙に戻し、エイシャンにプロポーズすることを決めていた。
元々身分を理由に決められた婚約だった。
当初はそれでもいいと思っていたが、アンダナの素行はすこぶる悪かった。
煙たがっていたのはクエトラだけではなく、浪費癖の悪いアンダナに、ウィリュスとイリンも辟易していた。
妻にするならエイシャンがいい。
エイシャンの金髪をそっと撫でる。
直毛のメイリーと違ってふわっとした彼女の髪は温かった。
「ジャッパル卿も分かっていたはずだ。君がどれほど強く優しく、心の清らかな孫娘だったか。きっと、ウエルッカ伯爵夫人の外見に混乱して、愛情が偏ってしまったんだ」
クエトラにはジャッパルの心など分からない。
なぜメイリーに固執したのか。
何がジャッパルをそんなに変えたのか。
けれどメイリーやエイシャンのせいでないこと、これだけは確かだ。
「…」
抱きしめられたまま、エイシャンは何も言わず、ただクエトラの言葉を聞いていた。
だがその目は溢れる涙で歪んでいた。
「ウエルッカ伯爵夫人は誇らしいだろうな、こんなにも素晴らしい妹を持てたんだから。君からの手紙を受け取ったらすぐにでも顔を見たくなるはずだ」
「…来て、くれるでしょうか」
「来るよ、絶対に。たった一人の妹なんだから」
止まっていた涙が再び流れ出したのはその後すぐだった。
クエトラはエイシャンが泣き止むまで、ずっとその頭を撫で続けた。
「君たちは愛されていいんだ」
そう語りかけながら抱きしめる腕に力を込めた。
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