沢のほとりダンジョン4
階段を転がり落ちるような速度で、次の階層に降り立ったテフラ一行。
テフラは息を切らして、降りてきた階段を振り返る。階段は、空気に溶けるように消えていった。
続いて周囲の様子を確認する。
先程の階層と比べると、天井からの陽射しも壁や床も血のような赤から正常の色に戻っている。どうやら、『掃除人』は追ってきてはいないようだった。
「ぜ、ぜぇ。一体なんだったんだ」
「テフラ兄ちゃんありがとうです……」
「全然動けなくて、ごめんなさいなのです」
「……ん。へへ、俺もビビっちまったぜ!」
脇に抱えていたイッサとサキを地面に下ろしてやる。
イッサとサキは腰が抜けたように、ぺたりと地面に座り込んだ。
その二人に、テフラは鼻を擦って笑って、おどけたように言葉を吐く。
「『掃除人』は怖いよなぁ本当に」
「本当に、本当に怖かったです」
「お化けってきっとあんな感じなのです……」
横にいた双子同士で、生きている実感を分かち合うように、ぎゅっと手を組んで顔を見合わせている。二人が『掃除人』の恐怖を忘れないうちに、テフラは先ほど言えなかった教導の続きを語る。
「絶対勝てないって分かっただろうから、次からは一目散に階段目指して逃げろ。見つけられてない時は、天井が黄昏に変わってきたら、すぐに『帰還の洋燈』を使ってダンジョンを脱出するんだぞ」
「「うん……」」
「ま、今回はスッゲーびっくりする登場だったのにちゃんと逃げられただろ? 村の皆に自慢できるぞぉ?」
「「うん!」」
双子の見合わせていた顔から、僅かに緊張が溶けたように見えた。村にいつでも帰れると言う事を意識させたからだろうか。
テフラは、その様子を見て頷き、周囲の警戒をしていたラカブに声をかけた。
「……どうするラカブのおっさん。『帰還の洋燈』使って戻った方がいいかな? 同じことが起こらないとは限らないよな?」
「そうだなぁ……。あんなに早いのは聞いたことがない。原因は、たまたまそういうダンジョンなのか、もしくは……」
テフラは腰に下げた『帰還の洋燈』を撫でてながら質問する。
普段と違うことが起きているなら、自分よりも遥かにダンジョンに詳しいラカブの指示を仰いだ方がいいと思ったからだ。
顎に手を当ててラカブは、さらに深く考え込んだ。
実を言うとこのラカブという男、口伝者と村で呼ばれる知恵者である。
突発的に想定外のことが起きても、大抵のことは情報として知っていて知恵を授けられる立ち位置にいる。そして、本人も知識に貪欲なので、ダンジョンに自ら潜り続ける猛者でもあった。
そんな彼でも『掃除人』が早く登場するなど聞いたことがなかった。
……だが、ある程度の推測は立てられる。
「もしくは、……尾根の森の異変の影響か。昔、二十年ほど前にも尾根の森に異変があった時は、ダンジョン内で何かがあったと聞いたことがある」
その言葉に、テフラは首を傾げた。
「異変って普段奥にいる動物が村まででてきたりするだけだろ? ダンジョンまで影響がある問題なのか?」
「だから異変って言うんだ。……というかテフラ、お前森番の倅なのに何も知らないのか?」
「えぇ!? ……親父からは、さっき言ったことしか聞いてないけど」
胡乱げな表情でラカブが、何も知らないテフラを見つめる。
テフラは森番の倅であり、父から異常を聞いて、原因探しを手伝っていたのだ。なのに、ダンジョンにまで影響が出る可能性がある事を聞かされていないのを不思議に思ったのだ。
ラカブは、テフラがダンジョンを発見した事自体を、森の異変の解決のために必要な方法か手段だと思っていた。なのにテフラは何も知らされていない、その事を疑問に思う。
そして、再び数秒考え込み。
ラカブは僅かに目を見開いて、テフラを見つめた。
「お前、まさか」
「?」
テフラは首を傾げて言葉を待つ。なんだなんだと双子も様子を窺っている。
そのテフラの何も知らなさそうな様子を見たラカブは、一つ大きく深呼吸をしてかぶりを振った。
「ふぅ……。いや、今は関係ないから後にしよう」
「お、おう?」
「またもたもたしていて、『掃除人』が現れても困るからな。ほれ、さっさと進むぞ」
「……おう!」
急な話題転換だったが、ラカブの言っていることはごもっともだった。言葉の続きが気になったテフラだったが、頭の思考を切り替える。
それを安心したように見届けたラカブは、不思議そうに話を聞いていたイッサとサキの兄妹にも声をかける。
「モンスターの把握からする。その後階段が見つからない場合は即脱出だ」
「進むんです?」
「危なくないのですか?」
身長差のあるラカブを見上げながら、双子は首をかしげる。
それに対して、熟練のラカブは言った。
「そもそも、大前提としてダンジョンは危険な場所だ。普段であってもモタモタしてたら『掃除人』は来る」
ダンジョンに入る。それは常に緊張を伴う行為だ。
そして、それを乗り越えなければ、糧は得られない。
ダンジョン一階層で、石ころしか手に入らなかったように、奥に行けば行くほど良いアイテムが手に入る。ここは、そう言う場所なのだ。
「へへへ。じゃあ、村長が予想してた五階まで潜れたら潜って、危険なモンスターや罠に嵌ったら脱出ってことでいいか?」
「ああ、それでいい。とにかく今は階段を探すぞ」
「おう!」
「「うん!」」
テフラと双子が、おー! と腕を振り上げる。完全に、『掃除人』と出会ったことで受けた先に進む事への怯えが、綺麗さっぱり消えていた。
再びテフラを先頭にして一行はダンジョンを進んでいく。
そして、殿で行動をするラカブは。
憐れみの浮かぶ表情で、朗らかに先頭を進む自分より遥かに若いテフラの背中を眺めていた。
「……おじさんの勘違いだといいのだけどね」
「ラカブおじさん、何かあったのですか?」
「いや、なんでもないさ」
独り言に反応したサキの頭を強めに撫でて、ラカブは殿を守って進むのであった。
◇
次の階層に降りる階段はすぐに見つかった。
先ほどテフラ達がいた部屋の隣の部屋に存在していたのだ。
そしてモンスター。
一階層でも見たファットラット。
それとは別の、新たなモンスターが現れる。
「おい、そっちに行ったぞ!」
ダダダダダ! ファットラットなんか目じゃないほどの速度で、ダンジョンを疾走するモンスター。
それは丸かった。
そして赤かった。
頭頂に一本、木の枝と葉っぱを乗せて。
一番の特徴の、すね毛だらけの二つの人間の足を生やしていた。
キランッ!
キラキラマークを周囲に出して、ソイツは駆け抜ける!
「イッサ、サキ! ダッシュアップルンを逃すな!!」
「コイツ、と、止まらないですよー!?」
「コイツが勉強の時に村の大人の人たちがニヤニヤしてた奴なのです!?」
「ハハッ、頑張れよ若人! ちなみにおっさんは追いつけないから無理」
「「頑張ってくださいですよ!!」」
ドドドド! 土煙を上げながら、ダッシュアップルン。
──二足歩行の等身大リンゴがダンジョンを疾走する。
ダッシュアップルンはテフラ達を見かけた瞬間に逃走を開始した。なお、部屋がテフラ達が入って来た場所以外、外へ向かう道がなかったので、乾坤一擲と言わんばかりの愚直さを出してテフラ達に向かって来ているのが、まさに今だ。
ダンジョンのモンスターは一般的にダンジョンに入ってきた人間に対して襲いかかってくる。だが、このように凄まじい逃げ足で、ダンジョン内を駆けて翻弄してくる敵もいるのだ。ちなみに、ダッシュアップルンのような食品を象ったモンスターは、逃げ足に負けず倒すと高確率で食料品を落とすと言われているので、人間側からすると生きる宝箱のようなものである。
「ぬわー!? すね毛がすごいのです!?」
「こっちこないでなのですよ! すごい動きなのです!?」
「ほれ、遠距離武器なんだから頑張れ頑張れ」
タレ目のラカブが緩い表情で襲われそうになっている双子に声をかける。
スリングショットを引き絞って、一生懸命打ち続ける。
その飛んでくる石を、くねっくねっと妙なポーズで、ダッシュアップルンは回避しながら双子に接近。
「「いぃいいやあああ!」」
生理的に受け付けないすね毛ダッシュアップルンの進撃。
それが眼前に迫った双子が引き攣った表情で、お互い抱き合って叫ぶ。
ダッシュアップルンは、そんな二人の上を。
キラキラ全開、トリプルアクセルしながら走り去っていった。
ダッシュアップルンは人間に攻撃をしない。ちょっと激しい動作をしながら逃走するだけだ。
残されたのは、腰が抜けて地面にへたり込んだ双子と、攻撃しないという事を知っていたテフラとラカブの呵呵大笑する姿だった。
「へへへ! いやぁ、ダッシュアップルンは本当に足が速くて面白いなぁ!」
「ハハッ! ああ、良い動きだ。テフラ見たかよ、あのジャンプ芸術点高いよなぁ!」
「「ワッハッハ!」」
「……前もって教えて欲しいです」
「……なのです」
ガシガシっと手を合わせてテフラとラカブは笑った。
ダッシュアップルンは、フィギュアが民芸品になるくらい有名なモンスターだ。
ちなみに、大人は初めて目撃する子供の反応を楽しみにするので、何も教えてくれない。
ダッシュアップルンへの初見反応は、村での鉄板ネタなのだ。初めてダンジョンに入る子供達のリアクションをツマミに、村人達は酒を飲む。
それを知らないニシキ村の子供達は、民芸品を謎のリンゴ人形と認識しているのであった。
涙目のイッサとサキが恨めしげな目で、笑うドジな青年と良い歳したおっさんを眺め、ため息を吐く。
その後、周囲の小部屋のみを探索して、再び天井が黄昏に近づいてきたので、テフラ一行は階段を下り、三階層に降りていった。
余談であるが、テフラがダッシュアップルンを初見で見た時、ダッシュアップルンは月面宙返り、いわゆるムーンサルトをしながら別な部屋に去っていった。それ以降テフラは、ダッシュアップルンのファンである。なお、倒せるなら倒そうと努力をする可愛げないファンであるが。