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 回廊みたいな室内は、以前と全く変わった様子はなかった。整頓された家具や調度は、清潔感すら(うかが)える。

 けれど大きな窓から見える中庭は、木々が鬱蒼(うっそう)として先を見通せなかった。


 まるで「いらっしゃい」と言わんばかりに置かれたサンダルに足を通し、淡い陽光が射し込む林を抜ける。繁みに囲われたような小さな広場にポツンと一つ、幅広い(とう)製の椅子が向こうを向いて置かれていた。


「ハクア、くん……?」


 背もたれの上部から浮かんだ──いや、椅子から立ち上がったのだ──後ろ姿がこちらへ振り向く。


「──ハクアくんっ──!!」


 四年前と変わらない柔らかな微笑み、もう三十歳を越えた筈なのに……眼鏡を掛けていないということ以外、どうしてだか一寸も変わらないその容貌へ向け、ワタシは思わず駆け出していた。


「どっ、して──」

「ゴメンね、ミノリさん。でも……説明する前に……もう、ちょっと、我慢出来ないから」


 ──……えっ?


 勢いに任せて抱きつこうとしたワタシを受けとめた、だけでなく、ハクアくんはワタシの腰に手を回して抱き上げ、くるりとワタシごと藤の椅子に腰かけた。そして──


「んっ……ふ……──」


 驚きと初めて味わう感覚に、つい吐息が(こぼ)れてしまう。ワタシの唇に押しつけられていたのは……ハクアくんのそれだった。


 長く激しい、甘いくちづけ。もちろんファースト・キスなんてとっくの昔に経験済みだし、もう何人かの彼と数えきれないほどのキスをした。なのに何だろうこの感触は……自分の奥底から湧き上がる何かが、繋がった唇から吸い取られていくような……未知の官能が全身を打ち震わせる。


「ハ……クア、く……ん?」


 やっと会えた。やっと触れることが出来た。

 だからこそ、このキスをやめてほしくなんてなかったけれど。

 声すら抜き取られてしまったような錯覚に(おちい)って、ワタシは弱々しく彼の名を呼んだ。


 情熱的だった接吻(せっぷん)がゆっくりと止まる。深く息を吐き出したハクアくんは、落ち着きを取り戻したように一度口元を引き締め、それから伏し目がちに語り出した。


「五年前、初めて会った貴女の中身は『空っぽ』でした──」

「……からっぽ?」


 無言で頷いて、(あわ)れみを含んだ笑顔を向ける。綺麗な指先がワタシの唇を端から端へと優しく()ぜる。


「あの時の僕は、そんな貴女と二三の会話を済ませたら立ち去るつもりでした。でも空っぽな自分を埋めたいと願う、貴女の眼差しに(とら)われてしまった。同時に貴女を埋め尽くしたいという自分の欲にも気付きました」

「ワタシの……からっぽを、埋め、る……」


 ワタシとハクアくんに、同時に芽生えた──欲望?


「僕の言葉に耳を傾け、自分の物にしようと欲する貴女の内部は、とても美しい輝きを放ち出して、やがて(まぶ)しいくらいになった……受験に向けてのあの一年は、本当に心が(おど)りました。貴女の空っぽな空間が、とてつもないスピードで構築されてゆく……けれどそれは全て僕自身の持つ知識でした」


 そこで一旦話を止めたハクアくんは、まるで衝動が止められないみたいにワタシの唇に戻ってきた。

 再び感じる、抜き去られてゆくかの如き快感。


「だから、ね……僕には更に四年の歳月が必要だったんです」

「更、に……?」


 (からだ)は既に脱力しかけて、ハクアくんの熱い抱擁に支えられていた。反面ワタシの「中身」はその答えを(むさぼ)らんと、深奥(しんおう)の先の先まで冴え渡っていた──。




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