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ワタシが『アナログ』と読み間違えたのは、カタカナで書かれたフリガナに目を留めたからだ。
そうは言っても『ナグロ』を『アナログ』と勘違いするなんて、自分の視力は相当オカシイのではないかと、それこそ我が目を疑ってしまった。
「この後お時間はありますか? せっかくのご縁、お茶でもいかがです?」
「ん? それってデートのお誘い? 制服のJKなんかと一緒にいるの見られたら、ロクなことないと思うけど?」
そんなセリフに彼は一つ、フフと楽しそうに笑った。二十代前半か、いっても半ばだろうか、司書らしいいかにも草食そうでありながら、問い掛けた言葉はとても自然だった。背も高いし、良く見れば端整な顔立ちだ。意外に場数を踏んでいるのかもしれない。ワタシは心の奥でそう分析した。
「僕は独身ですし、恋人もいませんからね。それにこんな公共の場で貴女とお茶くらい、堂々としていればどなたも咎めないと思いますよ? もちろん貴女のご家族やご友人、貴女に『彼氏』と呼ばれる方が僕達を見かけたなら、訝しむことは有り得ると思いますが」
「ワタシは気にしないからイイよー、でも公共の場って? まさかココで立ち話!? カフェとか行かないの??」
ワタシは敢えて『彼氏』の存在を否定も肯定もしなかった。正直に言えばそういう対象は現存しない。でも「いない」ことを白状するのも癪だと思ったのと、「いる」とすれば今後の展開次第では断る理由に出来るから、と思ったというのもある。
「あの柱の向こうにフリースペースがありますから。書類を出したら参ります。これどうぞ、お好きな物を買って待っていてください」
「あぁ、うん……ありがと」
綺麗な指先がジーパンのポケットを探って、見つけた五百円玉をワタシの掌に乗せた。彼が視線を送った柱の向こう、その端に見つけた自動販売機を目指す。飲み物を選んでふと振り返った時、書類の残りを書き終えた彼も、奥のカウンターを目指して背を向けていた。
今は月曜午後三時、場所は市役所一階ホール。彼は証明書発行窓口でも利用しにやって来たのだろう。そしてワタシは開放された構内を、単に近道として通り抜けようとした帰宅途中の女子高生だった。
「お待たせしました。……甘いものがお好きなんですね?」
目の前に腰掛けた眼差しが、テーブルに積まれたお釣りの隣、ピンク色の細長い紙パックに落ちる。ストロベリーミルク味。もう半分はワタシの胃の中だ。
「「甘いもの好き」じゃないJKなんて可愛くないでしょ? 『アナログ』さんは甘いものが苦手なの? それとも大人を演出しているつもり?」
彼が買ってきたのはブラックコーヒーだった。男性として大人として、コーヒーはアリとしても、柔らかい表情や物腰から連想してみれば、ミルクの入ったカフェオレの方がお似合いだと思っていた。
「お喋りするなら、飲み物はスッキリしたものが良いかと思いまして。甘いものも嫌いではないですよ。それより学校が終わるにはまだ早いのではないですか?」
やっぱりね、ココで来ましたか──その質問に軽く口を尖らせてみせるワタシ。
「今日は期末で早く終わったの。図書館は休館日だし、さっさと帰ろうと思って~」
「それは失敬。では僕になど付き合わせている場合ではありませんね」
ワタシの事情を悟った彼は、咄嗟に席を立った。
明日も期末テストの続きがあると、勉強の邪魔をしてはいけないと考えたのだろう。
「え? あっ、もう今日で終わったから! 今回はインフルで学級閉鎖とかもあって、月曜まで食い込んじゃったのっ」
吊られて立ち上がったワタシは、思わず彼の腕に手を伸ばして釈明をした。つい袖を引く力と語気が強くなってしまったのは……えーと、何でだろう? そんなに彼を引き留めたいと思った『理由』って??
「そうですか?」
「せっかく誘いに乗ってあげたんだから、ちょっとは楽しい話でも聞かせてよ。そうでなくても司書さんなんだから、色々面白い物語とか知ってるんでしょ? あーでもその前に下の名前も教えて! ナグロ……何ていうの?」
『理由』なんて……まぁイイか。良く分からないけれど思春期真っ盛り、好奇心旺盛ってことだろう!
共に着き直した向かい合わせの席、ワタシは頬杖を突いて興味津々とばかりに瞳を寄せた。
すると高い位置にあった彼の小顔がおもむろに降りてきて、ワタシの視線に合わせるように同じく頬杖を突いた。
「もちろん構いませんよ。ですが自分ばかりがお教えするのでは詰まらない。貴女のフルネームも明かしてくださるのなら……どうでしょう?」
「か、まわないわよ。……特に隠す必要もないし」
それでもワタシが僅かに言い淀んだのは、今までで最も彼の顔が近付いたからだろうか? それとも自分の名が気に入っていないことを、気付かれるのが嫌だったから?
すぐ目先にある瞳は優しい筈なのに、真っ直ぐに見据えられて、まるで『蛇に睨まれた蛙』みたい──そんなことを思いながらふと息を呑む。
気付けば頬から離れたワタシの手は、半分空になった紙パックを握り締めていた──。