[10]
「アナグラム……憶えていますね?」
再び唇を放したハクアくんは、ワタシの恍惚とする瞳へ問いかけた。
もちろん忘れるなんてない──出逢った日に教えてもらった言葉だ。
「貴女は僕の中から『アナログ』という言葉を見つけましたが、本質は……違うのですよ」
「本、質……?」
そこでおもむろにワタシの背を起こし、ハクアくんはワタシをギュッと抱き締めた。お互いの頬が触れ、ワタシの視界は藤の背もたれになる。
「選び出した文字は合っています。でも『アナログ』じゃない……アナログのように一つの意味ではありませんが……」
「『穴』……と『黒』……?」
「ええ。その通りです」
そこまでヒントを出されれば、答えは簡単だった。でも……本質が「穴」と「黒」ってどういうことだろう?
穴、黒……黒い穴……黒い、ブラック……
「ブラック……ホール?」
「辿り着きましたね」
触れた頬が蠢き離れ、再び見えたハクアくんの面は、正解が出たことを悦んでいた。
「僕の中身はブラックホール──人という容れ物に満たされた「中身」を吸い寄せる……僕は貴女が僕の知らない知識で満たされるのを待っていたんです。そして、今──」
「あっ……──」
ハクアくんのサラサラの黒髪が、初めて見る眼鏡を外した澄んだ漆黒の瞳が、そして幽かに開いた唇の奥が、いやに黒々としてワタシの視界を浸蝕する。
「……あ、あふっ……」
あぁ、これが……「中身」を吸われる感覚なのだと理解した。
ハクアくんの息遣いが荒くなる。ハクアくんにとっても、「これ」は快楽なのだろうか?
少なくともワタシは感じていた。底から強引に引き上げられて、蕩けたような流動的な塊が、唇を通してハクアくんへと移されてゆく──胸の空くような悦楽感を!
「ゴメンね、ミノリさん……僕は、こんな刹那の快哉のために、貴女を利用した……でも、やめられないんだ……自分の中の真っ暗な空間が、ミノリさんのような純白な光を獲り込んだ時、僕は少しの間でも明るく温かなエネルギーに包まれる……もちろん黒は何色にも染まらないから、瞬間変わっても寂しい鈍色程度だけどね……」
──「黒と白を合わせても、灰色にしかならないのにね……」
憶えている──出逢いの会話の最中、ほんの一瞬見せた寂しげな表情を。
暗黒の宇宙にブラックホールが見えるのは、ガスが摩擦で超高温に達して、光を発して吸い込まれるからだという。
ハクアくんの中こそが、ずっとからっぽだったんだ……優しいと思っていた筈の笑顔は、あっと言う間に哀しみを帯びて見えた。
でも、だったら、ワタシは……? ワタシという存在は──!
「ち、がう……よ……」
「え……?」
再び近付いてきた唇に、そっと指先を触れて。
ワタシは同じく吐息混じりの声を発した。
「ハクアくんは、鈍色なんかじゃない……黒と白が混ざり合ったら……カフェオレになるの……」
「え……?」
初めて出逢ったあの時のハクアくんには、ブラックコーヒーよりもカフェオレが似合うと思ったんだ。
だから、だったら──!!
「ブラックコーヒーにミルクを混ぜたら……カフェオレになるでしょ? だからワタシが、ミルクになってあげる……」
「ミ、ノリさん……」
あの時はまだまだ甘ちゃんの「ストロベリーミルク」だったワタシも、きっとハクアくんすら知らない博識を、博学を、沢山手に入れた。
「ハクシキ」「ハクガク」──「ハクア」の「ハク」、「白」のハク。
カフェオレは厳密に、ドリップコーヒーとミルクの割合が「1:1」に決まっているという。
アナグラムが生かせるのなら、それが「生きる」のなら──今度はワタシがハクアくんの「半分」を、ワタシの知識で構築する!




