第34代校長は花粉の侵入を防ぎたい
「今年こそ新入生たちを守ってみせる」
スギノキ高校第34代校長はそう言って拳を握りしめた。
20XX年。突然変異により4月1日から15日に活動する花粉のサイズが大きくなった。いや、大きくなったというのは語弊がある。何億もの花粉の粒が集合体となり人間の姿をするようになった。
花粉が人間の姿で活動するのは15日間だけで、15日を過ぎるとまた小さな小さな粒に戻る。人間と花粉を区別するのは非常に簡単で、花粉は例外なく金髪リーゼントにサングラス。背中に刺繍で『花粉』と書かれた白い特攻服を身に纏っている。
もちろん人間の姿をしているので、花粉は人間の言葉を話すし、体の動かし方も人間と同じだ。どこで調達するのかわからないが花粉たちは皆バイクで移動する。
彼らの目的はただ一つ、入学式に乗り込み新入生を盛大に祝うことだ。
『楽しい学校生活がお前たちを待っている!』
『遊びまくれ!』
『夏休みの宿題は後回しにするなよ!』
そんな言葉を新入生たちに贈るため彼らはやってくる。そして言葉を贈り満足すると爽やかな笑顔で去っていく。しかし、彼らは忌み嫌われている。これもまた理由はシンプルで彼らが来るとそこにいた人間全員が花粉症になるからだ。
彼らに悪気はない。だが彼らの祝いたいという熱い気持ちのせいか、そもそも集合体だからなのか影響力は凄まじい。
市販のマスクやゴーグル等で対策をしていても、薬を飲んでいても、これまで花粉症になったことがなくても彼らが来るとそこにいた人間は皆花粉症になった。目は痒くなり鼻水は出てくしゃみが止まらなくなる。あまりの辛さに涙する者も少なくない。
しかもまた迷惑な話なのだが、花粉たちは自分たちが迷惑がられていることを認識していない。それどころか花粉症の涙を喜びの涙だとすら思い込んでいる。
残念ながら彼らとの会話は成り立たない。何故なら、彼らはあくまでも花粉の粒の集まりのため知能が低いからだ。言ってしまえば彼らは存在自体が災害なのである。しかし、人間の姿をしているために強引な対応も取りづらく、国は頭を抱えていた。
スギノキ高校、第34代校長の檜五郎は花粉に二連敗していた。
五郎が校長になり初めての入学式、彼は高さ2mの強固なバリケードを正門の周りに設置して防ごうとした。
花粉たちには謎のこだわりがあり侵入するのは必ず正門からだった。そのため守備を固めるのは正門の周りだけでいい。これまでの校長もバリケードを設置して失敗していたが、五郎にはバリケードで撃退する自信があった。
彼はバリケードの前に大量の空気清浄機を設置し、花粉症に効くというアロマオイルを道路の至る所に大量に撒いた。
バリケードは学校に元々あったものを使ったが、空気清浄機とアロマオイルは五郎が自費で用意した。入学式が行われる午前10時から11時30分の90分間、その時間さえ正門を死守すればいいと考えた五郎は、防御はそれで十分だと判断した。五郎は花粉など空気清浄機とアロマオイルさえあれば敵ではないと思っていた。
しかし、結果は目も当てられないほどの大敗だった。
入学式当日。
時計の針が午前10時を指すのと同時に特攻服を着た50人の花粉がやってきた。最初、アロマオイルの匂いに花粉たちは怯み学校に近づこうとすらしなかった。だが、10時15分頃、どこで手配したのか彼らはガスマスクを装備して走って突撃してきた。
五郎が設置した空気清浄機の効果は全く見られなかった。怖がるどころか『転売班』と書かれた腕章をした花粉たちによって全て回収されてしまった。
正門にいた数名の警備員の抵抗は虚しく終わり、花粉たちは意気揚々と入学式に乗り込み祝いの言葉を叫んだ。そしてその場にいた者は皆酷い花粉症になった。もちろん校長も例外ではない。
「おのれ花粉どもめ……」
五郎は花粉症の症状に苦しむ新入生を見ながら、ポケットティッシュ片手にそう呟くと再戦を誓った。
五郎が校長になり2回目の入学式、彼は正門の前に防護服を着たガードマンを配置した。配置されたガードマンは皆立派な体格をしていた。
五郎は五輪代表をたくさん輩出している母校の私立大学の伝手を使い、100人の運動部員をガードマンとして雇った。柔道部、空手部、ラグビー部等、体育会系部員が正門の前を固めた。
「今年は門を守りきってみせる」
五郎は入学式を教頭に押し付け、自らも防護服を着て門の前に立った。筋トレが趣味の彼は大学生たちに劣らぬ屈強な体型をしていた。101名のガードマンの前方には前年も使用したバリケードが並べられている。
2回目の入学式、五郎はアロマオイルを撒かなかった。前回アロマオイルを多用した結果、近隣住民から香害の苦情が殺到したのだ。同じ轍を踏まぬと決意した五郎はアロマオイルを封印した。もちろん空気清浄機も設置していない。
今年こそ花粉に勝てる。誰しもが確信していた。しかしこの日も五郎はまた苦杯を喫することになる。
ガードマンはかなり善戦した。
午前10時。入学式が始まったのと同時にガードマンと花粉の乱闘が始まった。正面突破しか頭にない花粉たちはバリケードを楽々と乗り越え、自分達の障害となるガードマンたちに襲いかかった。
10時20分まではガードマン側が優勢だった。突撃してきた花粉は50人。数で勝るガードマン側は早期決着を目指して全力で叩きにいった。
だが、時間の経過とともに防護服による動きにくさでガードマン側は勢いを失っていった。10時30分、両者の勢いが拮抗したタイミングで花粉側に100人ほどの増援が来た。
防護服のガードマンたちは敵の増援を見て戦意を喪失した。五郎は最後まで諦めなかったが、その頑張りも虚しく門は破られ、入学式に約150人の花粉が乗り込んだ。
その日、入学式に参加した人が皆花粉症になったことはもう言うまでもない。防護服を着た学生ガードマンたちは花粉症にはならなかったが、ハードな仕事内容に疲れ果て、いくら金を積まれてももう花粉とは戦わないと決めた。
「来年こそは必ず……」
悲鳴が響く体育館を見ながら五郎は歯を食い縛り再戦を決意した。
そして今回、五郎が第34代校長になって3回目の入学式となる。彼はこれまで以上に気合いを入れていた。
私財を投げ打ち複数の民間警備会社に警備を依頼した。そして最終的に4社から100人ずつ、計400人の警備員を派遣してもらった。
前年の反省を踏まえ、五郎は400人に事前に防護服を着用した状態での格闘訓練を受けてもらった。また、400人を4分割し30分ずつの交代制、且つ100人を万が一のために温存して門を警備することにした。
「勝利を我が手に」
五郎はまた入学式を教頭に押し付け前線に立った。五郎はこの日のために1年間辛い訓練を受けてきており、90分間防護服を着て戦い抜く体力を身につけていた。
入学式当日、午前9時59分。正門の前には五郎と第一陣の100人の警備員が立っていた。そして彼らの10m先、バリケードの向こうには白い特攻服を着た50人の花粉がいた。
午前10時。花粉たちは入学式開始時刻になるのと同時に正門に向かって突進した。そして簡単にバリケードを乗り越え警備員たちに襲いかかった。
10時10分。数に勝る警備員側が花粉を圧倒していた。前年と違いプロの警備員であること、そして事前に防護服での戦い方に慣れていたこともあり、花粉たちを次々と薙ぎ倒していった。
10時20分。花粉側に20人の増援が来た。警備員側の勢いは少し弱まるが、なんとか優勢な立場を崩さなかった。
10時30分。花粉側にさらに30人の増援が来た。しかし、このタイミングで第二陣の警備員100人が交代にやってくる。一時的に201人体制になった警備員側は、勢いを強め一気に花粉たちを打ちのめしていった。この時五郎は勝利を確信した。
10時35分。戦闘終了。警備側は勝利を収める。
花粉全員を打ち倒した警備員たちは歓声を上げた。特に大きな怪我をした者もおらず、警備員側の完全勝利だった。
「ついに勝った……」
五郎は嬉しさのあまり目に涙を湛えた。
『お前ら! 入学おめでとう!』
午前10時50分。警備員たちが倒した花粉をロープで縛り上げていると、突然空から声が降ってきた。警備員たちが空を見上げると、そこには白いパラシュートで降下してくる大勢の花粉がいた。
『混雑してたから空から登場!』
『花粉軍団ど派手に参上!』
『待ってろお前ら今行くぜ!』
特攻服姿の花粉が100人ほど叫びながら入学式会場である体育館の屋根に舞い降りた。校内に控えていた200人の警備員たちが急いで体育館に向かうがもう間に合わない。空からの侵入に対して地上の警備員たちはなす術もない。
「今年も駄目だったのか……」
体育館から花粉症になった者たちの悲鳴が聞こえた時、五郎は力なく膝から崩れ落ちた。
翌年、五郎が校長として4回目の入学式を迎えることはなかった。
3回目の入学式警備の際、私財だけでは費用が工面できなかった彼は、こっそり学校の運用資金をくすねていた。5月、そのことが発覚し、彼は校長の立場を失い学校を去った。
第35代校長には五郎に入学式を押し付けられていた教頭の久光が任命された。久光は校長着任の挨拶でこう宣言した。
「入学式でもう花粉に怯える必要はない」
その宣言通り、彼は校長着任後初めての入学式で花粉の被害をゼロにした。
久光は入学式当日、バリケードも警備員も用意しなかった。代わりに彼が正門に設置したのは『花粉御一行様専用 お祝い会場はこちら』と書かれた案内板だった。
久光は花粉たちのために入学式当日、入学式会場である体育館から少し離れた講堂に特設会場を用意した。そしてそこを入学式会場と中継で繋いだ。
花粉たちは最初いつもと違う対応に戸惑いを見せたものの素直に案内に従い講堂に入った。そして画面越しに祝いの言葉を叫んだ。
画面越しのため花粉たちは若干物足りなさを感じていた。しかし、今までと違い新入生の花粉症の症状でないリアクションが見えたので彼らは満足して帰って行った。当たり前だが花粉が体育館に乗り込んでいないので入学式参加者に被害者は出なかった。
この対応方法は瞬く間に全国に広がり、それと同時に考案者である久光の名も全国に轟いた。今では久光の名を知らない者はいない。
こうして久光は伝説の校長となった。