追いかけっこ
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
荒い息を吐き出しながら、幸仁は洋館の中を駆け回っていた。
長い廊下を走り、幾度も廊下の角を折れて、時には廊下に並ぶ客室と思われる部屋の中に飛び込みながら、必死で背後に迫るその恐怖から逃げていた。
「待てやガキィイイイイイイイイイイ!!」
幸仁の背後から男の怒声が響き渡る。それから、空気を震わせるような甲高い音が周囲に響くのを幸仁の耳は捉えた。
「ッ、くっそ! またか!?」
咄嗟に幸仁はその場に転がり込むように地面にしゃがみ込んだ。
その直後、幸仁はその頭の上を空気の塊が通過するのを感じた。幸仁の髪を乱しながら通過したソレは、館の廊下に並ぶ白い壁に対して真一文字の切り込みを入れながら数メートルほど進んで消滅する。
(――またこれだ。あの男に見つかってから十分以上。特定の音が鳴ったかと思えば見えない刃が飛んでくる)
幸仁は、斬り裂かれた廊下の壁を見て奥歯を噛みしめた。
幸仁がその攻撃を最初に受けたのは、男から逃走を始めてすぐのことだった。
はじめは耳鳴りかと思っていたその音に気にもくれなかったが、その音が鳴った直後に幸仁の足元で廊下の床が弾けたのだ。たまたま足を振り上げたタイミングだったため、幸運にも幸仁は傷一つ負うことがなかったものの、弾けた床の表面には見えない刃で斬り裂かれたかのように短い筋が切り刻まれていた。
それを見て、幸仁はすぐにこれがあの男の能力だと確信した。
それからもう早くも十数分。
最初は見当違いの方向へと放たれることが多かった男の攻撃も、回数を重ねるごとにその命中精度は高くなってきている。最初は足先、腕や手先といった攻撃が当たってもすぐには致命傷にならない部位を狙っていた男の攻撃も、動く物体に狙い定めるのは難しいと思ったのかすぐに胴体や太腿などといった的の大きな部位へと変わり始めた。
能力によって守るべき部位が上と下に別れるのであれば、幸仁の腕は両方とも塞がる。念のために部屋から持ってきていた廃材は早々に投げ捨てた。相変わらず幸仁は最初の部屋から持ち出したシーツの切れ端を懐に仕舞って大事に持ってはいたがそれ以外の物はもう何もない。幸仁が施した〝硬化〟の能力によって創られた服やズボンの鎧は、幸いにも男の能力による攻撃を防いでくれたが、逆にそれを防いだことで男からはもう一切の躊躇が無くなり、今では幸仁の頭を狙うようになってきている。
こうなった以上もはや仕方のないことではあるのだが、最初から逃げずに応戦していればまだ少しは状況的にも良かったのかもしれないと、幸仁は男から逃げながら何度も思い返していた。
「くそっ!! ちょこまか動きやがって!!」
背後に居た男が絶叫にも似た叫びを上げた。
ちらりと幸仁が振り返ると、刻一刻と迫り続ける死の恐怖に怯える男の狂気に染まった顔が映った。
「死にたくなければその腕輪を置いていきやがれ!!」
「っ、誰がッ!」
幸仁は男の言葉に言い返しながら、必死に両足に力を込めて素早く立ち上がる。
男の言う腕輪とはつまり、『シークレット・リヴァイブ』を名乗るこのゲームの参加証である腕時計だ。それを失くしてしまえば、一定時間ごとに行われる死の再現によって確実に死んでしまう。
この腕時計は渡せない。
幸仁はそう思い直して、再び洋館の中を駆け回り始める。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ…………」
恐怖によるためか、それともこの異常ともいえる状況のためか。
普段の幸仁ならば決して息が上がらない距離を走っただけで、幸仁は激しく息が上がっていた。
身体が酸素を求めて、激しく心臓が動き身体全体に血を巡らせている。一瞬でも気を抜けば確実に死ぬ。その恐怖が身体を強張らせ思考へ回す余分な気力を奪いに掛かる。
逃げる者と追う者、圧倒的な有利に立つのはいつだって追う側だ。
逃げる側に掛かる恐怖のプレッシャーは追う側の比ではない。
ちらり、と幸仁は自らの手首に視線を落とす。
――――心拍数104。
そこに表示された数値を見て、幸仁は走りながらも心を落ち着かせるように大きく息を吐き出した。
心拍数が100を超えたが、未だ頭の中の爆弾が起動した音はない。
だとするならば、まだ心拍数には余裕があるということだ。
幸いにも、普段から身体を動かしているからかちょっとやそっとの運動では心拍数が異常に上がることはない。今、こうして心拍数が上がっているのは追われる恐怖に慣れていないからだ。
――背後から迫る死の恐怖と、爆発までもカウントを刻むかのように少しずつ上昇していく心拍数を見ていると、こうして考えることさえも苦しい。
それでも、幸仁は生きるために洋館の中を駆けまわりながら必死に思考を巡らせる。
(……あの、男の能力。何度も攻撃されて分かった。あれは強力だが、連続して使用することが出来ないものだ)
少なくとも、一分。次の刃を放つためには、それだけの時間間隔が必要だ。もし、連続で使うことが出来るのであれば、とっくの前にあの男は使ってきているだろう。それが出来ないということは、十中八九そうだと仮定してもいい。
「それは、ラッキーだった」
走りながら幸仁は自らの考えに声を漏らした。
幸仁が分析をするに、男に与えられた能力の本当の使い道は暗殺や奇襲でこそ真価を発揮するものだ。今のように、本来は誰かを追いかけながら使用する能力ではないはず。
そう考えると、やはり最初の出会い頭で応戦するのが一番だったか、と幸仁は再び心の中で大きなため息を吐き出すしかなかったが、それはもう今この現状で考えても仕方がないことだ。反省は後回しにして、まずはこの現状を打破するために幸仁は、頭の中でこの逃げている間に分かったことを並べてみることにした。
まず、この洋館だ。追いかけられ走り回って分かったことだが、館の大きさは東京ドームよりも大きい。館には長い廊下が迷路のように幾重にも折曲がりながらも存在しており、その廊下の中ほどには数多くの客室が存在している。
客室の中身は幸仁が洋館へと足を踏み入れた部屋とどこも相違ない。むしろどの部屋も家具の数もその位置も全く同じであることから、幸仁はこの洋館の客室はコピー&ペーストで創られたものじゃないかとすら思っていた。
(エントランスホールや食堂、厨房などの場所にはまだ辿り着いていない。けど、きっとどこかにはあるはずだ)
けれど、その場所が分からない。
客室に目ぼしい武器は存在していなかった。厨房に行けば後ろを追いかけてきている男に対抗できそうな刃物などといった武器になりそうなものがあるはずだが、迷路のように張り巡らされた館の廊下を抜けることが幸仁はまだ出来ていない。館の地図を脳内で作ろうにも、デタラメに走り回っているこの現状をどうにかしなければマッピングをする暇さえもなかった。
(……これだけ騒いでいて、この男の他に誰とも出会わないのはこの屋敷が迷路になっているからだろうな)
洋館遭遇戦。その言葉の意味を、幸仁はようやく理解し始めていた。
もしかすれば足を踏み入れずに通過している、どこかの部屋で息を潜めているのかもしれないが、これだけ騒いでいることを考えれば誰しもが関わり合いになろうとは思わないだろう。
最初のステージ、とあのホールで聞いたアナウンスは言っていた。
次のステージに進む条件は、この洋館の中で二十四時間過ごすことだけだ。であれば、誰しもが騒ぎに首を突っ込まず余計なことをせずに身を隠そうと考える。
「くっ!」
甲高い耳鳴りのような音が鳴って、幸仁はすぐさま男の能力が再使用可能となり、またその能力を男が使用したことに気が付いた。慌てて、幸仁はすぐさま目の前にあった客室の扉の中へと転がり込む。
その直後。今度は幸仁がしゃがみ込んだ頭の位置に合わせたであろう低い軌道となった空気の刃が、廊下の壁を削りながら背後を通り過ぎていくのを幸仁は感じ取った。
「ッ、クソが!」
廊下で男が言葉を吐き捨てるのを幸仁は聞いた。
男の狙いが幸仁の頭となった今、幸仁はこのようにして男の攻撃の位置を事前に予測しながら男の攻撃を避け続けている。
扉を開けて客室の中へと逃げ込むか、しゃがみ込んで頭の位置を低くするか、または頭の位置は変えず服やズボンを硬化させて攻撃を防ぐか。同じ行動を繰り返しながら、徐々に相手の攻撃手段が単調となるよう幸仁は必死で逃げながらも男を誘導する。
そして、今のままでは確定している自らの死を回避するため、幸仁の腕時計を奪取することに躍起になっていた男は、逃げ続ける幸仁に業を煮やしてまんまと幸仁の誘導に乗ってその攻撃手段を自ら狭めはじめていた。
「なんとか、作戦は上手くいってるみたいだけど!」
扉を閉めて、幸仁は傍にある長机を横に倒して扉が開かないようにする。能力を扉や机に使用することも考えたが、ただ〝硬度〟を変えるだけであるそれは、扉を閉じたまま固定することも扉が開くことを防ぐ机の重さを変えることも出来ない。
だから幸仁は扉に手を押し当てて、その硬度を強化し男が能力で扉を破壊することを防ぎながらも、長机と身体全体を使って扉が廊下から開かないよう押し当てた。
「ッ!」
扉を固定する幸仁に、ドンッという衝撃が扉越しに響いた。それは廊下から男が扉に向けて体当たりをしてくる衝撃だった。
廊下越しに響く男の罵声と繰り返される衝撃に、幸仁は奥歯を噛みしめて必死に耐えながらも、次の行動選択を考える。
なんとか男から離れることが出来たが、この籠城も長くは続かない。それは、この追いかけっこの中で証明されている。
幸仁がコピーをした能力はこの館の壁や床には働かない。しかし、どうやら男の能力は幸仁とは違って館の廊下や廊下に面した壁を傷つけ破壊することが出来るようで、籠城していればすぐに男が壁を破壊し侵入してくるのだ。
だからこそ、ここで重要になってくるのはタイミング。
男が壁に能力を使用し破壊を試みたタイミングで、男の能力の再使用には一分の時間が必要なことを逆手に取って外に飛び出し逃げるか、もしくは男が体当たりをするタイミングに合わせて扉を開けて男の体勢が崩れた隙に逃げるか。
「…………いや、もうそろそろ逃げることも限界だ」
幸仁は小さく呟いた。
自分の体力も無尽蔵にあるわけじゃない。まだ心拍数は100台を維持しているが、それもこのまま追いかけっこが続けばどうなるかが分からない。もちろん、それはあの男も同じだろうが、幸仁はあの男から逃げるためにこれ以上の体力を消費するわけにはいかなかった。
『シークレット・リヴァイブ』は――命を人質に取られたこのゲームは、まだ始まったばかりだ。
この洋館に足を踏み入れてまだ間もない。ここで体力を消耗し続ければ、殺害が数多く勝利条件に上げられている♤のプレイヤーに襲われた時、生き残ることは出来ないだろう。
(だったら、もういっそのこと腕時計を渡すか?)
男の目的は腕時計だ。それさえ渡せばどうにかなるかもしれない。
「いや、渡したとしても……。それでコイツが大人しくなるかどうかは別だ……」
出会ったあの時ならばまだしも、幸仁は散々この男から逃げてきたのだ。
腕時計を渡した後に、その後の身の安全を保障してくれるかどうかはもはや別問題だろう。
「――――だったら」
と、幸仁は覚悟を決めたように言った。
幸仁は懐に仕舞い込んでいた細く裂いたシーツの切れ端を取り出し、背中で扉を押さえつけながら器用に片手だけで左腕全体へとシーツの切れ端を巻いていく。そうして、左腕をシーツの切れ端で覆いその端を握り締めて、扉を押さえることに一役買っていた長机を用済みとばかりに蹴るとその場所を開けた。
「――っ」
背中に伝わる衝撃がことさらに強くなった。
どうやら、長机が無くなり先ほどよりもわずかに扉が開いたことで、男はこのまま押し切れると判断したようだ。
「ガキィ! テメェが部屋の壁を自分で壊せないことぐらい、もうとっくに分かってんだよ!!」
そう言って、男は部屋の中さえ入ってしまえば幸仁には逃げ場がどこにもないことが分かっているからか、その扉を破ろうと与えてくる衝撃はどんどん大きくなってきていた。
「ふー…………」
幸仁は激しく打ち鳴らす鼓動を落ち着かせるように、細く長い息を吐き出した。ぽたり、と幸仁の額から浮き出た汗が鼻筋を伝って流れ落ちる。
幸仁は背中に伝わる衝撃を感じながらも、静かにタイミングを計った。
そして、男が扉を破ろうと助走を付けてぶつかろうとしたその時。幸仁は、男に隠していたその能力の二つ目の効果を扉に発動させた。
「なっ――――」
と驚きの言葉を漏らしたのは男の方だった。
幸仁によって最小限にまで硬度を下げられたその扉は、男の全力の体当たりに耐えられるはずもなく一気に瓦解したのだ。
これまでに与えていた衝撃とは違い、何の抵抗もなくその扉を粉々に破壊したからだろう。男は受け身を取る暇もなく、そして体当たりの勢いを殺すことすら出来ず、扉の破片とともに部屋の中へと無様な様子で倒れ込んでくる。
「――っ」
そして、幸仁は再度能力を発動させた。能力の発動を示す幸仁の手から溢れる僅かな光は、瞬時に幸仁の左腕を覆うシーツの切れ端へと瞬時に流れて、その布の硬度をチタン合金そのものへと変化させる。
重さは変わらず、けれど腕に巻き付けられたシーツの切れ端の硬さは幸仁が知りうる限りの最高の硬さとなって。その硬さを保ったまま振り抜かれた幸仁の拳は、倒れ込んできた男の顔面へと直撃した。
バキッという音と共に、グチャッと何かが潰れる感触が幸仁の手に伝わった。それが男の鼻を潰した感触だと幸仁はすぐに気が付いた。
「ぶべっ!」
と、男は声を上げて廊下に転がる。
それから、男は床に手を付いて素早く立ち上がると、潰れた鼻からだらだらと滝のように鼻血を流しながら幸仁に殺意の籠った瞳を向けた。
「テメェ、よくも!」
叫びを上げて男が右腕を振り上げる。その瞬間、またあの耳鳴りが幸仁の耳に届いた。男が能力を使う際に発せられる前兆の音だ。その音と男が振り上げた腕を見た幸仁は、その腕を振るうことで男は能力を使っているのだとすぐに看破した。
「くっ、そ!!」
叫び、幸仁はすぐさま身を隠すべく部屋の中へと身を翻す。男の行動を止めるべく飛び出すにはもう間に合わないと判断しての行動だった。
「――――!!」
しかし、その行動ももう遅かった。
幸仁が身を翻すのと同時に、男はその腕を振り下ろしたのだ。
男の腕の振り下ろしに合わせて発動した男のその能力は、音を立てながら扉が立て付けられていた廊下の壁を切り裂いて、幸仁の首を刈り飛ばすべく部屋の中へと飛び込んでくる。
――――これはもう、ダメだ。間に合わない。
幸仁は見えない刃が壁を切り裂くのを見て、冷静にそう判断した。身近に死が迫ったからだろうか。幸仁が捉える視界の光景はどこか時間の流れが遅く、はっきりと扉脇の壁が削られていく様を幸仁は目にしていた。
(……そうか。これが、走馬灯ってやつなのかな)
時間感覚が延ばされた中で、幸仁はぼんやりとそう考える。
身体は硬直をして、ただ思考だけが回り続ける世界の中で、幸仁はどうにか生存するための手段を考え続けた。
けれど、いくら考えたところで方法が浮かばない。
首筋に向けて飛んでくる刃を防ごうと左腕を持ち上げるには間に合わず、しゃがみ込もうにも体勢が悪くこれも間に合わない。
幸仁の視界はただジッと、自らを殺すべく迫る見えない刃を見つめ続けることしか出来なかった。
――――その瞬間だった。
「っ!?」
ふっと、幸仁の肩に何かが触れた。次いで、まるで足元の床が一気に崩れたかのような浮遊感に襲われる。けれどそれはあまりにも一瞬のことで、ふと気が付いた次の瞬間には目の前に迫る死の凶刃も、勝利を確信した男の歪んだ笑みも、あの客室や廊下の光景もまるで映像を切り替えたかのように一瞬にして消え去っていた。
「――――ぇ?」
その代わりに、幸仁の目の前に広がっていたのは巨大なエントランスホールだった。




