目覚め②
「…………行くしかない、か」
その先に何があるのか分からない。
幸仁は、ごくりと息を飲み動きだそうとしたところでピタリと動きを止めた。
「……これ、嵌めたままで大丈夫なのか?」
聞こえてきたスピーカーからは、『装着したまま』とわざわざ念を押した言葉だった。
その言葉を裏返せば、この腕時計は取り外せるということになる。
その推測を裏付けるように、幸仁は腕時計の全体を再び弄り、盤面の横に小さなボタンがあるのを発見した。試しに押してみるとバンド全体が一瞬で緩み、簡単に腕時計が取り外せた。
「どういう仕組みなんだ、これ」
ボタン一つで装着者の体格に合わせてバンドが締まり、緩むようになっている。現実的に考えれば空気圧縮を利用したものなのだろうが、そんな機能を組み込めるほどの大きさでもない。
誘拐犯が自分で開発したものなのだろうか。だとすれば大した技術だ。そんな技術があればこんな犯罪などせずに社会にでも貢献すればいいのに。
幸仁は、取り外した腕時計を手の中で弄びながらそんなことを考える。それから、この腕時計をどうしたものかと思考を巡らせる。
――自分を誘拐したと思われるこの声の主の言葉に、果たして本当にそのまま従っても大丈夫なのだろうか。
幸仁はしばらく悩んで、腕時計を嵌めずに手に持っていくことにした。ついでに、脱出の何かの役に立つだろうとベッドのシーツを剥がして持ち運び出来るよう折りたたんで手に持つ。
「……よし」
幸仁は気合を入れた。
ゆっくりと出口へと近づき、左の指先で触れてみる。真っ黒な出口に触れた指先は抵抗もなく出口に吸い込まれていき、あっという間に幸仁の手を飲み込んだ。
少しだけその体勢で痛みや異変がないことを確認してから、幸仁は息を止めて目を閉じると一気に足を踏み出す。
「――――っ」
幸仁が踏み出した足はすぐに硬い床を踏みしめた。恐る恐る目を開くと、オレンジ色の照明で照らされた薄暗い明かりと、体育館ほどの大きさもある円形のホールが目に入る。幸仁のすぐそばには枕が落ちていて、幸仁はそれがつい今しがた自分が投げたものだとすぐに気が付いた。
ホールの中には、幸仁の他に幾人かの老若男女が集まっていた。全員、初対面なのか固まろうとはせず、適度な距離を保ってお互いの様子を見ているようだ。彼らの視線はすぐに幸仁へと向けられたが、すぐに逸らされる。その原因が、幸仁の他にもホールへと次々に現れる人間が居たからだと幸仁はすぐに気が付いた。
幸仁は、続々と壁をすり抜けるように現れる人々を見ながら、背後の壁へと後ろに手を回し押し当ててみた。
「……一方通行か」
どうやら、このホールへと抜けるともう二度とあの部屋には戻れないらしい。
幸仁はゆっくりと息を吐き出して、壁に背中を預けるとずるずると腰を下ろし、壁から次々と出現する人々を観察することにした。
――ビクビクとしながらゆっくりと出てくる者、泰然とした様子で堂々と足を踏み出してくる者、顔だけを出して様子を伺ったかと思えば一気に飛び出してくる者……。出てくる性別も年代もバラバラだ。スーツを身に付けたサラリーマン風の中年男性、杖を片手に足を引きずる女性の老人、派手な格好をしたギャル風の少女に、チンピラのような風貌をした若い男。
何の一貫性のない彼らの手首には、幸仁が目覚めた時に装着されていた物と同じ真っ黒な腕時計が嵌められていて、彼らのその様子から幸仁は、彼らもまた自分と同じ立場にあるのだということにすぐに気が付いた。
「…………」
思わず、幸仁は手の中にある腕時計を握り締める。
そうしながらも幸仁は、ホールに出てくる人々を眺めながら静かにその人数を数えていく。
「…………54人」
しばらく時間が経過して、出現する人間がもう出てこないことを確認してから幸仁は数えるのを止めた。予想していたよりも一人多いが、もしJOKERが二人いるのだとすれば、人数は事前の想像と合う。その人数から、幸仁はここに集められた人々が脱出ゲームの参加者――いわゆるプレイヤーなのだとすぐに理解した。
彼らプレイヤーは戸惑っていた。それまで誰とも関わろうとしなかった彼らだったが、ホールに集まる人数が増えるにつれて、同じ様な年代や雰囲気をもつ人々で固まるようになっていた。
彼らは口々に情報の交換を行いながら、この場所がどこなのかを言い合っている。彼らの口から一貫して出てくる言葉は、気が付いたら白い部屋に居たということであり、その状況は自分と同じなのだと幸仁は傍から口論を聞いて把握した。
「広野、くん?」
ふと、声が掛けられた。幸仁はその声に反応して視線を上げる。すると、いつの間にそこに居たのか。幸仁の隣には、半袖のセーラー服を着た少女が床に座る幸仁を見下ろしていた。
「……鹿野か」
幸仁は少女に向けて声を掛ける。
鹿野葉月。幸仁のクラスメイトだった。
葉月は幸仁の隣に遠慮もなく腰かけてくると、両膝を立てて体育座りになって幸仁と同じ様にホールに集まった人々を眺めた。
「良かった。知り合いが居て。私、一人で心細かったんだ」
葉月は安堵を覚えたように小さく笑った。
幸仁は葉月の顔にちらりと目を向けたが何も言わなかった。
幸仁と葉月は同じクラスメイトだが、交流はほとんど無い。人見知りもなく誰とでも会話ができて、誰とでもすぐに打ち解けることが出来るクラスの中心的存在である葉月に対して、出席日数ギリギリを狙っていつも遅刻や自主早退を繰り返す幸仁は、クラスの中でもいわゆる浮いた存在だった。
クラスの中心と外れ者。そんな関係だからこそ、幸仁は葉月と会話をした記憶が数えるほどしかなくて、逆に葉月が自分のことを覚えていたその事実に少なからず驚いていた。
「どうしたの?」
何も言わない幸仁を不思議に思ったのか、葉月が首を傾げながら幸仁の顔を覗き込んできた。
「いや、別に。ただ驚いただけだ。鹿野が、俺のことを知っていたんだなって」
「なにそれ。そりゃ知ってるよ、クラスメイトだもん。それに広野くん、授業中はいつも寝てるのに、試験はいつも成績上位だから有名じゃん」
葉月は幸仁の言葉に笑った。邪気のない無垢な笑顔だった。
授業態度は悪いのに、試験の点数だけは良い。
それは、クラスメイトが幸仁に対して陰口を言う時の常套句だ。それが嫉妬であることを幸仁は十分理解していたし、その嫉妬を無くすために授業をまともに受ければいいだけの話なのだが、それでも幸仁は入学してからずっと授業態度を改めることがなかった。
だからこそ幸仁は、葉月のその言葉が本心で言っていることにすぐに気が付いて、どう返事をしたらいいものか悩んでしまった。
「…………ところで。鹿野はここがどこか分かるか?」
幸仁は話題を変えた。これ以上、自分の話題を広げるつもりは微塵もなかった。
葉月は幸仁の言葉にすぐに首を横に振った。
「ううん、でも気が付いたら真っ白な部屋に閉じ込められてるし、急に出口が現れるし……。現実じゃありえないよね? やっぱり、夢なのかな」
「夢だと思うか?」
「……どうだろ。寝起きに頬っぺたを抓ってみたけど、痛かったよ」
葉月は頬を指さして小さな笑みを浮かべた。よくよく見れば葉月の片頬は未だに赤みを帯びている。
「広野くんはどう思う?」
「俺は……。ここは、異世界かゲームの中だと思う」
「――――異世界? ……それって、いわゆる異世界転生ってやつ? 最近、アニメとか漫画で流行ってるよね」
「転生じゃなくて転移だろ、この場合。アニメや漫画をあまり見ないから分からないけど、夢でもなければそれが一番可能性のある話だろ」
「そうなの? 珍しいね。男の子って、漫画とかアニメをよく見てるものだとばっかり――――」
葉月の言葉が途切れた。ホールの天井に埋め込まれたスピーカーから、あの機械音声が聞こえたからだ。
「みなさま、ようこそお集まり下さいました。まず初めに、みなさんにお伝えすることがございます。みなさんは、もうすでにお亡くなりになっております。これから行われる『シークレット・リヴァイヴ』は、お亡くなりになったみなさんが生き返ることが出来る、唯一のチャンスです」




