それぞれの理由
「あなたが、私と一緒に行動出来るスートと数字なら良いなって思ったの」
幸仁の言葉を遮ると、女性は唐突にそう切り出した。
あまりにも予想外だったその言葉に、思わず幸仁の動きが止まる。
「………………………………なんだって?」
そしてしばらくの間が空いて、幸仁はどうにかその言葉を吐き出した。
いったい、どういうつもりなのだろうか。
女性の様子をじっと幸仁は観察するが、女性はその口元に笑みを浮かべたまま幸仁を見つめている。その顔色からは、女性が何の意図でその言葉を吐き出したのか予想することが出来なかった。
「……どうして、俺と? あなたと俺は初対面でしょ。知り合いでも何でもない。俺のスートも数字も分からないのに、どうして」
少しの困惑が混じった幸仁のその言葉に、女性はまた口元に笑みを浮かべる。
「…………さっきの、あのホールの出来事を見てれば分かるよ。あなた、結構頭の回転が早い方でしょ? じゃないと、あの混乱した状況の中で『腕時計を手に入れてはどうでしょうか』なんて言われて、すぐに略奪が示唆されていることに気が付かないと思うけど」
確かに、あの言葉で真っ先にその可能性に思い当たり、あの場がパニックになることを想定して真っ先に動き出そうとしていたのは幸仁だけだった。
しかしだからと言って、どうして自分なのか。
学生服を着ているのを見て分かる通り、自分はまだ子供だ。そんな子供と一緒に行動を共にすると決めるには、あの出来事だけでは不十分なはず。
そんな幸仁の考えが顔に出ていたのだろう。
女性は真剣な表情となると、じっと幸仁の顔を見つめて言葉を切り出した。
「…………あなたは、あの『シークレット・リヴァイヴ』のことをどこまで信じてる?」
「……どこまでって、この現状で否定できる材料がないからある程度は信じるしかないって思ってますけど」
「それじゃあ、自分自身が死んだってことも?」
「そりゃまあ、信じられないことですけど、否定することも今は出来ないし」
何せ、目覚めれば見覚えのない異質な場所に居て、こうして現実味のないデスゲームをやらされているのだ。これが夢でない限り、本当に死んでいると考えたほうがいくらか真実味があるだろう。
女性は、幸仁の言葉に同意するよう頷くとまた口を開いた。
「ええ、私も同じ。信じたくはないけど、今のところ信じるしかないって状況。……だからこそ、私はこんなところで死んだままになってちゃいけないの。このゲームを勝ち上がって、何としてでも〝生き返りの権利〟ってやつを掴まなくちゃいけない」
「…………どうして、ですか?」
「大切な人がいるから。あのホールには、その人がいなかった。だとしたら、私はその人を置いて死んだことになる。…………そんなの、そんなの絶対に嫌。絶対にダメなの!」
悲壮な決意とも言えるその力強い言葉は、幸仁の心を大きく揺さぶった。
これまで、幸仁の心にあったのは〝死にたくはない〟という抽象的ながらも絶対的とも言える想いだけ。なぜ死にたくないのか、なんて理由はそこには一つもなく、ただ漠然とそう感じているだけだった。
「……あなたにはないの? 絶対に生き返らなくちゃいけない理由」
女性が、幸仁に静かに問いかけてくる。
その言葉に、幸仁は返す言葉もなくただ黙りこくることしか出来なかった。
――生き返る理由。そんなの、あるはずがない。
死にたくはないと思いはするが、生き返らなくちゃならない理由なんて幸仁はすぐには思いつかなかった。
幸仁にとって、生前だと思われるあの場所の思い出は全て灰色でしかなかった。
父親に生活の全てを支配され、家族らしい会話もなく冷え切った家庭環境。友人と呼べる存在は誰もおらず、父親の〝教育の賜物〟によって生まれた、周囲と自分の中にある格差とも呼べるそのギャップに悩まされる日々。
遠い昔にすでに父親から学ばされた勉学を教えている学校と、居心地の良さなど感じたことのない家との往復になんの意味も見いだせず、幸仁はただ父親に反抗するためだけに授業を受けることを放棄し学校への遅刻を繰り返した。――――その結果、世間体だけを気にする母親から、何度もヒステリックに叫ばれることになろうとしても。
「…………俺には、生き返る理由なんて特にはない、ですね」
と、幸仁は女性の問いかけに静かな口調で言った。
「仮に生き返ったところで、俺の生還を喜んでくれる人はいませんから」
どこまでも無表情で口を動かす幸仁に、その女性は何か言いようのない不安を覚えたのだろう。ジッと幸仁の顔を見つめると、慎重にその言葉を吐きだした。
「………………お父さんや、お母さんは?」
「父は、もういません。母は、昔から俺に興味がありませんから」
と、幸仁は女性の言葉にそう答える。
父親が死んで、残された母親は幸仁に対してどこまでも無関心だった。
母親が気にしていたのは世間体だけ。幸仁が完璧になれば世間体もよくなるだろうと、父親の暴挙にも見てみぬふりをしてきた。
そんな母親が、果たして生き返ったところで喜んでくれるだろうか?
――それは、絶対にありえない。そう、幸仁は断言できる。
「友達は? お爺ちゃんやお婆ちゃんとか、誰かしらいるでしょ?」
と、幸仁の言葉を聞いた女性が問いかけた。
その言葉に幸仁は首を振る。
「父も母も、親族付き合いを嫌がる人達でしたからね。親族に誰がいるのかも、俺は知りません。友達は…………、俺にそんな人達がいるように見えますか?」
「あのホールで一緒にいた女の子は違うの?」
女性は、ホールでの幸仁の行動を見ている。
おそらく、その時に隣に居た葉月のことを見ていたのだろう。
そう思った幸仁は、その言葉に再度首を横に振って答えた。
「彼女はクラスメイトです。友達じゃない」
「クラスメイトも友達でしょ?」
「あの時に初めて話した存在を、本当に友達と言えますか?」
幸仁の言葉に、女性は何も言うことが出来なくなったのかついには黙りこくった。
女性は幸仁の言葉に戸惑っているようだった。
何か言いたいことがあるのだろう、女性は何度か口を開いては閉じてまた言葉もなく口を開くという行為を繰り返していたが、やがて最適な言葉が思いつかなかったのか、長いため息を吐き出して片手で前髪をくしゃりと乱すと、その体勢のまま言葉を吐き出す。
「誰も親しい人がいないんだったら、どうして作ろうとしなかったの。家族のことはまあ、しょうがないと思うけど…………。学生だったら、友達の一人や二人ぐらい作りなさいよ」
(――作ろうと思って作れるぐらいなら、とっくに作ってる。そもそも、そんな料理みたいに簡単に友人を作れるのは鹿野のようなコミュニケーションに長けた人達だけだ)
と、幸仁は女性の言葉にそう心の中で言い返した。
幸仁の父親は完璧な人間を作ろうとしてきたが、幸仁に人と人のコミュニケーションを教えることは出来なかった。
結果として幸仁は自身の能力の高さも相まって孤立を好む性格になったのだが、それはそれで何の問題もないと幸仁は考えている。
(――その言葉から察するに、この人も鹿野と同じタイプの人間だな)
と、幸仁は彼女の性格をそう分析した。
このタイプの人間に、人付き合いの難しさを説いたところでその本当の意味を理解することが出来ない。
そう幸仁は思っているからこそ、ため息を吐き出して会話を切り替えることにした。
「…………俺のことは、もういいです。それよりも、一つだけ勘違いしないで欲しいことがあります。俺は、確かに〝生き返りの権利〟ってやつにまったく惹かれてませんけど、だからといってこのままでいいとも思ってません」
「……どういうこと?」
女性は幸仁の顔を見つめてそう言った。
幸仁は、女性の目を見つめ返しながらはっきりとその言葉を告げる。
「死にたくはないってことです」
「死にたくはないって……、なにそれ。私たち、もう死んでるってあのスピーカーが言ってたじゃない」
女性は幸仁の言葉に呆れたような表情となって言った。
「それに、君もついさっき言ったよね。『この現状で否定できる材料がないからある程度は信じるしかない』って。ということは、君もあのスピーカーが言ってたことは信じてるんでしょ? それなのに、死にたくないってどういうこと?」
「あのスピーカーが言ったことは信じてますよ。けど、今この瞬間、ここに居る俺はちゃんと生きている。目で見て、耳で聞いて、頭で考え行動し、心が喜怒哀楽に揺れ動いている。あの話を信じるしかない状況なのは確かですけど、俺は今、ここにしっかりといるんです」
もしも仮に、自分自身が本当に死んでいたとしても。幸仁の中には、自分自身が死んだという記憶も実感もないのだ。であれば、それは死んでいないものと同じ。一度死んだ身なのだから今さらこの身がどうなろうと構わない、だなんてそんな自暴自棄の考えを幸仁は絶対に持つことが出来なかった。
(まるで、シュレディンガーの猫箱の中に入れられた猫にでもなったような気分だ)
と、幸仁は自らの状況をそう思い直した。
死んだ広野幸仁と、生きている広野幸仁。
この状況を考えれば本当に死んでいると考えるのが自然だけど、今この瞬間のこの身体は、この頭は、この心は確かに動いている。今、この瞬間の広野幸仁は確かにこうして生きている。
だとすれば本当の意味で死んだということが確定するは〝死の再現〟が成された時か、頭の中に埋め込まれたという爆弾が爆発した時。もしくは、この身体の心臓の動きが完全に止まってしまったしまった時だろう、と幸仁はそう考えていた。
「死んだという事実は、…………まあ信じたくはないですけど受け入れます。ですが、今この瞬間ここに居る俺がこうして生きている限り、俺は死ねない。死にたくない。絶対に、だ!」
力の籠った幸仁のその言葉に、女性は僅かに目を大きく見開いた。
それもそうだろう。〝生き返りの権利〟や〝生きて戻る理由〟なんて話になった時は何の関心も見せず淡々と受け答えをしていたのに、幸仁は〝死にたくない〟という話題になった途端にようやく感情を見せたのだ。
女性は、幸仁の顔をしばらくの間見つめた。
それから、言葉の意味を確かめるように呟く。
「どうして?」
その言葉に、幸仁は女性の顔を見つめ返す。それから、ゆっくりと息を吐き出して答えた。
「…………父親が死んでから、〝死〟というものが怖いんですよ」
延々に続くかと思われた灰色の日々。
それが唐突に終わったのは、交通事故による父親の死亡だった。
それは、物心ついた時から幸仁を縛り付けていた呪縛が解けたことを示す出来事だったが、同時に新たな呪縛の始まりでもあった。
幸仁は、〝死〟という概念に異常な恐怖を覚えてしまったのだ。
それまで、幸仁にとって父親という存在は、自分から世間一般で言うところの幸せを奪った憎しみの対象であると同時に、逆らうことも許されない神的な存在として君臨していた人物だった。
幸仁を誰よりも完璧な人間として育て上げるという狂気に満ちたその計画を達成するために、自らの肉体と知能を幸仁以上に鍛え上げていたその傑物は、何が起きたとしても決して死ぬはずがないだろうと幸仁はずっと考えていた。
けれど、その父親は死んだ。あっさりと死んだ。しかも、交通事故という不運によって。
あの父親ですらも、死ぬときはあっさりと死ぬ。どれだけ完璧になろうとしても、どれだけ力を持ったとしても。〝死〟という概念は万人に等しくおとずれる。誰も、死という概念から逃れることは出来やしないのだ。
だから、幸仁は〝死〟が怖い。あの父親ですらもあっさりと死んだ〝死〟という概念そのものが怖い。
この『シークレット・リヴァイヴ』が死してなおも動く死人達のデスゲームならば、今この瞬間に死ななないよう全力を尽くす。このゲームに敗北することで本当かどうかも分からない〝死の再現〟が起きるのだとすれば、それを全霊を尽くして回避する。
それが、今の幸仁が持つ強い思いだった。
「……死にたくないから、生き返りたくないの?」
と、女性が言う。
その言葉に幸仁は首を振る。
「違います。死にたくないから、生き返りたくないんじゃない。死ぬのが怖いから、死にたくないんですよ。…………たとえ、この身体が本当に一度死んでいたとしても」
しかしだからと言って、絶対に生き返りたいとも思えない。
なんて中途半端なんだろうと、幸仁は思わず自分自身に呆れた笑みを浮かべる。
「なに笑ってるのよ」
とそんな幸仁の様子に女性が声を掛けてきた。
幸仁は女性の言葉に短く首を振って答える。
「いえ、別に。…………それよりも、話を元に戻しましょう。確か、あなたが俺と一緒に行動したいって話でしたよね?」
その言葉に、女性は肯定を示すように頷いた。
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