敵か、味方か
「――――ぇ?」
その代わりに、幸仁の目の前に広がっていたのは巨大なエントランスホールだった。
端から端まで数百メートルほどもあろうかという広さに、床いっぱいに敷き詰められた赤い絨毯。幾本もの白い大理石の柱。十メートル以上はあると思われる高い天井。
その天井からは間近で見なくてもはっきりと分かるほど巨大なシャンデリアがぶら下がっていて、煌々とした灯りがホールいっぱいに降り注いでいる。
幸仁の正面にはこの館からの出口だと思われる、数メートルほどの高さのある大きな木製扉が固く閉ざされていて、その扉の前には手首に腕時計を身に付けた幾人かの参加者が集まって小さな輪を作り、小声で何かの話し合いをしているところだった。
「大丈夫だった? 災難だったね」
ふと耳元でそんな声がかけられる。
急に切り替わった光景に茫然としていた幸仁はビクリと身体を跳ね上げた。そうして、ようやく幸仁は自らの肩に誰かの手が置かれていることに気が付いた。
「――ッ!?」
息を飲み込み、幸仁の身体が反射的に動く。
幸仁は肩に置かれていたその手を激しく振り払うと、転がるようにしてその声の主から距離を取って、自らの腕時計を守るようにして右の手首を片手で押さえつけた。
「………………あなたは?」
目に隠すことのない警戒心を浮かべて、幸仁はその問いかけをぶつける。
幸仁の肩に手を置いていたのは、背の高い細身の女性だった。
歳は二十代半ばだろうか。肩口で切りそろえられた黒髪と、右目のふちにあるホクロが特徴的な人だった。濃い青のジーンズに黒色のキャミソール、靴は便所サンダルというあまりにもラフすぎる格好をしていて、こんな状況じゃなければ『ちょっとこれからコンビニに行ってくる』と言われてもおかしくはない出で立ちをしている。
女性は、幸仁によって振り払われた手を茫然として眺めると、呆れたように肩をすくめて見せた。
「まったく……、せっかく助けてあげたっていうのに、その態度はどうなの?」
――助けてあげた。
確かに、その通りなのだろう。
この女性の言う通り、周囲にはあの男の姿がない。
幸仁はちらりと周りへと目を向けて、いま自分の居る場所があの男と争っていた場所でないことをもう一度確認すると、また女性へと視線を戻して口を開いた。
「…………助けてくれたことに関しては、感謝しています」
状況を鑑みても、この女性が『シークレット・リヴァイヴ』によって与えられた能力を使用して幸仁を助けたことは間違いない。
「……ですが」
と、幸仁はそう言葉を続けて隠すことのない警戒心を露わにして女性を見つめた。
「だからこそ、あなたがわざわざ能力を使ってまで俺を助けた理由が分かりません」
この洋館遭遇戦が二十四時間と決まっているのだから、他人の争いには余計な首を突っ込まずに見てみぬふりをするのがいいに決まっている。
知り合いならまだしも、赤の他人を――それも、スートや数字も分からない見ず知らずの他プレイヤーを、わざわざ能力を晒してまで助ける義理などどこにもないだろう。
それに、この『シークレット・リヴァイヴ』というデスゲームは、事前に送られてきた各参加者のクリア条件を見ても、必然的に争いが生まれるよう仕組まれている。
そのゲームの中で、唯一他参加者にも公表されていないのがこのゲームの中にはどんな能力が存在しているのかということだ。
自分一人しか知り得ないその能力は、いわゆる切り札に等しい。その能力を明かせば対策されることも、反対に能力の発動を防ぐことだって可能になるかもしれない。
あの男は早々に能力を使用し、それに対抗するために幸仁も能力を使わざるを得ない状況だったが、本来ならば簡単に自らの能力を明かす必要はないはずなのだ。
だというのに、この女性はわざわざ能力を使ってまで自分を助けてくれた。
メリットよりも遥かに大きいデメリットしかないその行動の意図が分からず、幸仁はこの現状を素直に喜ぶことが出来ずにいた。
(俺を助けたということは……。この人の『シークレット・リヴァイヴ』のクリア条件は♡の4なのか?)
幸仁は心の中で呟く。
事前に公表された『シークレット・リヴァイヴ』のクリア条件で、唯一能力を晒して他人を助けることを示していたのは♡4だけだ。
(……いや、あの男が俺の腕時計を狙っていたのは間違いない。だとするなら、〝腕時計を外そうとするプレイヤーから5回以上他のプレイヤーを守る〟ことがクリア条件に上げられている♡の7っていう可能性もあるか?)
ぐるぐると、幸仁の頭の中で思考が巡る。
幸仁は、この女性がどうして自分を助けたのかその理由を次々と推察していく。
(――そもそも、だ。あの状況で、わざわざ能力を使ってまで俺を助けたということは、この人は俺とあの男の争いをどこかでずっと見ていたはずだ。だとすれば、助けるための機会を伺っていた? もしくはこの人は♡の3で、そのクリア条件――〝能力を使用した回数が10回以上になる〟を早めに満たしたかった? 俺を助けたのは、ただ単に恩を売りたかったからなのか? …………いいや、もしくは俺を助けたところで俺を油断させておいて、気を抜いたところで俺を殺す気なんじゃ?)
現状で考えられる可能性はいくつもある。
幸仁は難しい顔で女性を見つめたまま、緊張によって乾いていく喉を潤すために生唾を飲み込んだ。
そんな幸仁の考えていることが女性にも伝わったのだろう。
眉間に皺を寄せる幸仁に、女性は口元に小さな笑みを浮かべると、害意がないことを示すかのように両手の手のひらを幸仁に見せつけるようにして小さく上に挙げて見せた。
「そんな怖い顔をしないでよ。少なくとも、私は♤じゃない」
――♤じゃない。
実際に目を通したわけでもないその言葉に、意味なんて果たしてあるのだろうか。
おそらく、女性は殺害が多く含まれる♤のプレイヤーではないから安心してほしいという意味で言ったのだろうが、幸仁はその言葉に聞く耳を持たなかった。
「信用出来ません」
と、幸仁は女性に向けて首を振った。
「ま、そうでしょうね」
と、女性は幸仁の言葉にまた小さく笑った。
「でも、♤じゃないのは本当。♤だったら、あの状況で君を助けないでしょ?」
「助けたところで油断させておいて、俺を殺すつもりなのかもしれない」
「だとしたら、随分と手が込んだやり方じゃない? この、意味わかんないゲームは始まったばかりでしょ? みんな、まだこの状況に右往左往しているのに、わざわざ助けておいて油断させるなんて、手の込んだことわざわざする? 私が♤だったら、誰もが混乱している今のこの瞬間こそ、自分のクリア条件を満たすために一方的に動くけど?」
女性はそう言うと、ついと指を動かしての方向を指し示した。
そこには玄関扉だと思われる場所で未だに会議を続けている他の参加者がいる。漏れ聞こえてくる会話の内容は『信じられない』や『どうしてこんなことに』なんて、現実逃避した言葉ばかりで、非生産的な会議は前向きな言葉や具体的な方法を生み出さず、その参加者たちの心を慰めるまで続けるつもりのように思えた。
その様子に、幸仁は僅かに眉根を寄せる。
確かに、この現状は信じられないことだ。けれど、今するべきなのは現実逃避じゃない。この唐突に訪れた特異的な状況にいち早く慣れて動くことだろう。
例えこれが、ゲームが開始されて三十分も経っていないという状況であったとしても。あの、ホールで『シークレット・リヴァイヴ』のゲームルールを聞いたその時点で、現実逃避をする暇などどこにもないのだ。
(…………確かに、彼女の言う通りだ)
一瞬で居場所を変えることが出来る能力を持つ彼女にとって、彼らを殺すことは容易いことだ。仮に彼女の持つクリア条件が殺害ではなく、腕時計を奪うまたは破壊することが条件だったとしても、その腕時計を装着していたプレイヤーの生死は含まれていない。早い話がそのプレイヤーを殺してから腕時計を奪ったり破壊したりしてもいいのだ。
幸仁は彼らから視線を外して、女性へと目を向ける。
すると、女性はニコリと笑って小さく首を傾げて見せた。
「ね?」
同意を求める言葉だった。
幸仁は、その言葉に小さな頷きを返してから口を開く。
「だとしたら、どうして俺を助けたんです? …………それが、あなたのクリア条件だからですか?」
女性は、幸仁の言葉に意味深な笑みを浮かべる。
「そうだって言ったら、あなたは信じるの?」
「――――まさか」
幸仁は女性の言葉に小さな笑みを浮かべた。
「証拠がない言葉に、信用は生まれない。あなただって、まさか信じて貰えるとは思ってないんでしょ? このゲームで、他人を信用出来る瞬間は互いのスートと数字を見せ合い、利害が一致したその時だけだ」
「ええ、その言葉には同意するわ。このゲームは仲良しこよしで勝てるようなゲームじゃない」
「そこまで分かってるなら、どうして――――」
「あなたが、私と一緒に行動出来るスートと数字なら良いなって思ったの」
幸仁の言葉を遮ると、女性は唐突にそう切り出した。




