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行方不明列車

 ――目が覚めると僕はある一室に閉じ込められていた。部屋というにはどこかおかしいと思ったが、窓の外を覗くとその違和感の正体に気付く。

 オレンジの夕日差し込む部屋の窓から上を見上げると黒い煙が流れており、線路の上をそれなりに速い速度で駆けている。そう、僕は列車の一室に閉じ込められているのだ。

 脱出を試みる為にドアを開けようとしても内側からではどうしても開かない仕組みになっているようで、窓から飛び降りるとすれば間違いなくミンチだ。

 脱出の算段をどれだけ考えても脱出できるビジョンが僕には見えない。諦めて外から鍵が開くのを待とうと、椅子に座ると部屋の外からこつん、こつんと革靴で床を叩く音が聞こえてきた。

 一定のリズムを刻み、ぴたりと僕の部屋の扉の前でその音は止んだ。それが何を意味するのか僕には知る由もないが不気味な靴音と、今の置かれている部屋の状況を鑑みると怖くて当然と言っても過言ではない。

 ドアを開けた先にいた人物は背丈が常人の高く、目元を帽子を深くかぶる事で隠し、僕を見る視線はどこか冷たく人間に当てるような視線ではないと感じる。


「切符を拝見します」


 男の手には昔切符拝見の際に穴を開ける機械が握られており、その全体像から僕はこの男は今乗っている謎の列車の車掌なのではないかという憶測を立てる。

 しかしこの車掌が確認したいはずの切符を僕は買った覚えが全くない。というか、気付いたらこの列車に乗っていたのだ。最早切符存在など分かる訳もない。


「切符を拝見します」


 いつまで経っても切符が出てこない事にしびれを切らし始めたのか車掌は再び僕に催促する。

 

「気付いたらここに閉じ込められていたんです。切符がどこにあるのか分からないんですが……」


「切符を拝見します」


 駄目だ。理由を説明しようとしてもこの男はさっきから「切符を拝見します」の一点張り。

 適当に言い訳を述べて逃れようとしたが、どうしようもない。切符が無ければ無銭乗車になって罰金を支払う必要があるかもしれないので、僕は自分の衣服のポケットを片っ端から探すが、財布が見つからない。つまり諭吉さんや野口さんが居なくなってしまったのだ。服のポケットからジャケットの内ポケット。当たり前だが、ズボンのポケットまで総動員し諭吉さん捜索隊を結成するが全く見つからない。しかし、僕は財布を捜すためにポケットを漁っている途中で再び違和感を感じていた。

 僕のポケットの中にはちょうど切符と同じようなサイズの紙切れ。無論僕にはこの紙切れを入れた覚えも、買った覚えもない。レイアウト的には切符のようだが、重要な行先の欄が何も書いていない。真っ白。

 違和感に気付いたのではなく、例えるならそう違和感を気付か()()()という方が正しいかもしれない。

 恐る恐るそのよく分からない紙切れ《切符擬き》を車掌に渡すと乱雑かつぶっきらぼうにその紙を僕の手から奪い取ると、穴あけの機械に通し再び俺の手元に戻ってきた。

 帰ってきた切符擬きの行先欄には「→」という右矢印だけが浮き出ており、矢印の端どちらにも出発駅から到着駅までの記述が一切無い。どこからどう見てもおかしいという事は分かり切っているが、車掌は仕事を済ませたからか部屋の外に出た後に


「おめでとうございます」


と言い残してドアを閉めて立ち去って行ってしまった。

 

「『おめでとうございます』ってどういうことだ……?」


 普通車掌が切符を拝見した後に「おめでとうございます」などという宛先不明の祝福を上げる訳がないのだ。「協力ありがとうございました」とか「失礼します」とかなら普通だという認識を僕は得ただろうが、どうしても先程の「おめでとうございます」が僕の心には突っかかり続けていた。


***


 しかし居続ければ居続けるほどこの列車は不思議だ。

 この列車に閉じ込められてからそれなりに長い時間を過ごしているはずだが、腹どころか喉すらも乾かないのだ。ドアは相も変わらず内側からは開けられない仕組みのようで、僕には最早この不気味な空間から脱出する気力など消え去ってしまった。


 令和のこの時代に錯誤している汽車と列車。木造で作られた列車は木の温かみを感じるどころか、この列車の不気味さを増しているだけだ。それに時間の流れが極端に遅いのか、外を覗き見ると大きい夕日がまだ顔を出しており部屋の中をオレンジに染め上げている。体感時間だが、普通なら太陽などとっくに沈んで星と月の聖域になっているはずの空がいまだ太陽が制している。


 とても個人的な事だと思うが、僕は太陽より月や星の方が好きだ。というか、太陽が嫌いだ。

 太陽が出ている間は学校に行かなければならないし、学校に行ったら行ったで男や女の生徒にいじめられる。今まで色々な事をされた。正直思い出すだけで怒りと吐き気が込み上げてくるから思い出したくもないけど僕の記憶に強くこびりついて離れない。

 いじめの事を先生に言っても「もしかしたらじゃれているだけかも」と言葉を濁し、自分はそのいじめを把握しているはずなのに担当している教室でそのような問題があったら職員内での評価が下がってしまうかもしれないという世間体を気にする自己保身の為に一生徒を見捨てていた。


 親に相談しても「仕事が忙しいから」とまともに話すら聞かない。

 どうしようもないこの世界は僕はとても気持ちが悪いと思う。僕みたいなテンプレートのような糞みたいな人間達に囲まれて過ごしている少年少女が他にいるかもしれないが、その人達には手遅れかもしれないけど僕のような思いはしてほしくない。

 だから――。


「あれ……僕『だから』何をしたんだっけ……?」


 それ以降の記憶が全くない。それどころか今まで話した記憶すらも曖昧あいまいというか、元あった記憶の上から黒い絵の具をぶちまけたように思い出せる記憶が断片的で。

 僕の事をいじめていた憎くてしょうがないはずの生徒の顔も、自己保身の為に僕のいじめを黙認した糞教師の顔も、子供の真面目な相談事を仕事以下の優先順位にした身勝手な親の顔も全然思い出せないのだ。


 まるでクレヨンでその顔を塗り潰したように、その顔が写っている写真の顔の部分をカッターで切り抜いたように、どうしてもその顔が浮かばない。自分の身をこれ以上傷つけない為に無意識に思い出さないようにしているのかもしれないし、本当に僕自身が奴らの顔を覚えていないだけかもしれない。

 しかしこれ以上に問題なのは、その後の記憶だ。

 奴らに復讐をしようと思った事もあったが現実的ではないし、かといってこのままこの鬱屈な世界に閉じ込められ続けるのも嫌だった。だから僕は――。

 ……やっぱり思い出す事が出来ない。どうしても思い出そうとしてもそれ以降の記憶がすっぽりと抜け落ちてしまっている。


「別に思い出さなくていいか……」


 嫌な事を思い出す必要などどこにもないのだ。思い出したくないから人間はその記憶に鍵をかけ、思い出さないようにする。

 それを無理矢理思い出す必要なんて世界中いや、自分の中をどれだけ探してもないはずだ。

 

 ――コツコツコツと、再び靴が床を叩く音が廊下に響き始めた。恐らくその靴音を鳴らしている人の正体は先程の車掌なのだろうが、僕は先程切符を渡したはずなのに次はどのような用件でやってきたのだろうか。

 そう思っていたが、その靴音は僕の部屋を通り過ぎ隣の部屋でぴたり、と止んだ。


「切符を拝見します」


 やはり靴音の正体は車掌だったが、僕に言ったのと同じ言葉を誰かに投げかけている。というか、隣の部屋にも誰か乗っているのか。


「え……? 切符なんてないんですけど……」


「切符を拝見します」


「えぇ……?」


 隣にいるのはどうやら女の人らしく、僕と同じように切符の拝見で困惑しているようだった。

 助け舟を出すために木造の壁をコンコンとノックし、隣の部屋にいるであろう女性の意識をこちらに向ける。そして小声で


「切符ポケットとかに入ってるかもしれませんよ」


 というと、「あった」という声と共に切符に穴を開ける音が鳴った。

 

「お疲れさまでした」


 車掌の放った言葉は僕に向けて言った「おめでとうございます」ではなく「お疲れさまでした」という労いの言葉だった。一体何を労っているのかなど分かる訳がないが、職務を終えた車掌はそのままどこかへ歩き去ってしまった。

 足音がほとんど聞こえなくなった頃に今度はあちらから壁を叩く音が聞こえたかと思うと、僕よりも幼い声で「ありがとうございます。助かりました」と礼を言ってきた。なんと礼儀正しい子なのだろうか。


 それからと言うもの僕は暇な時間を壁越しの女の人と薄い壁を通して話し続けた。話を聞いている限り彼女も僕と同じように記憶が曖昧になっているようで、自分の名前もよく分からないと言っていた。

 確かに自分の名前というのを僕も忘れているようで、胸に手を当てて考えても思い浮かぶことは無い。そして、もしかしてこの列車に乗っている人達はみんな記憶が曖昧なのではないかという結論に至るのは必然なのかもしれない。


***


 暇な時間を彼女との談話に使っているといつの間にか窓の外は星の世界に変わっており、車内に吊るされている電球が点滅を始め何回か点滅したかと思うとしっかりと点灯し、部屋の中を白く照らした。

 夕日が沈んだ空は月と星が制した暗闇くらやみの世界。暗闇というには月と星は明るすぎるかもしれないが、昼間に比べれば十分すぎる程の暗黒っぷりだ(暗黒っぷりって何だろう)。


 電球の電気を消し、窓を開けると少しだけ暖かい夜風が流れ込んで、僕の頬をなぞる。暗闇の宙にはさそり座やカシオペア座など普通一緒に見れるはずのないそれぞれの季節を代表するような星座が佇んで、その星座の一つ一つが僕の存在を哂っているようにも思えるが、それでも僕は悪い気は不思議としなかった。

 星空に心を奪われていると、列車の速度が急に落ち始め進行速度がゆっくりになったと思うと、僕の個室のドアがノックされた。


「終点です」


 先程から切符を確認したりしている少し不気味な車掌が部屋の前で僕を呼んでいた。やっぱり声には感情がこもっている感じもせず、その声をどれだけ聞いても慣れる事などいつまで経ってもないだろう。

 しかしこれ程までに不気味だけど心奪われる列車旅なんて()()()()()()()()経験がなかった。相変わらず不気味一貫の列車だったが感謝しなければならないかもしれない。

 部屋から出ると車掌が再び声を掛けてきた。


「当列車での旅はお楽しみ頂けたでしょうか?」


「うん! とっても良かったよ」


「左様でございますか。それなら良かったです。では、当列車を出たら分岐点がございます。その切符に書いてある方向にお進みくださいませ。私共はお客様が当列車を再利用されない事を心よりお望みしております」


 やっぱりこの車掌の言う事はどうしてもどこか引っかかるというか何というか。これがこの車掌の不気味さの原因なのだろうが、それを僕はあまり気にせずに列車を出た。

 同じ出口から出た時に僕の耳には少しだけ聞いたことのある声が聞こえてきた。その声の正体は先程まで僕が薄い壁越しに話していた彼女の声。

 声の発生源を絞り込み、彼女の腕を掴み取る。

 

「えっ?」


「君さっきまで僕と話してくれた隣の部屋の人じゃない?」


「あっ! わざわざ見つけてくれたんだ! せっかくだし分岐点? ってとこまで一緒に行かない?」


 そう言うと彼女はにっこりと笑い、僕の隣に立った。

 何気ない会話とこの列車旅の感想。そして、自分自身の事。色々な事を聞いた。僕も彼女も記憶が朧げながらこの列車旅の後でもいつか会えるように情報交換をした。顔も覚えた。少しだけ覚えてる年齢や職業を教えあった。


 分岐点に着くと僕の切符は右矢印、彼女の切符には左矢印が書かれており結局別れる事になってしまった。左側は下に、右側は上に階段が伸びており、この後も駅のどこかで会う事はないだろう。


「じゃあ、またね」


「うん……また」


 別れを最初に切り出したのは彼女の方だったが、いつまでもこのプラットフォームで屯っている訳にもいかないのでその彼女の別れの言葉を楔にしてこの談笑にキリを付け、それぞれの階段を進んでいった。

 どちらの階段も先が見えない程長く、どれだけ歩けばこの駅を出れるのか分からない。

 しかし、僕は歩き続けるしかなかった。この駅を出た先で再び彼女と出会うために――。


***


 ――目が覚めると僕はどこかの病院にいた。

 腕には管が差し込まれており、何かの液体が滴りつつ体内に流れ込んでいる。身体を起こそうとすると身体の節々が痛い。

 それでも枕をクッション代わりに壁にもたれかかって身体を起こすと、テレビにどこかで見知った顔が映っていた。しかも訃報で。

 山で谷から転落し、行方が分からなくなっていた高校生の女生徒が行方不明になった一週間経った今日未明、死亡した状態でで見つかったというニュースだ。しかもその女生徒は学校にていじめを受けていた可能性があり、今回の事件もそのいじめが原因の自殺なのではないかとマスコミとSNSは騒いでいるという話だそうだ。僕と同じでいじめを受けていたという話を聞くとどうしても共感せざるを得ない。

 しかしまぁ――。


「やっぱり死ねなかったか……」


 僕も人間の闇しか集めず作ったような教師や生徒、親から逃げる為に自殺を図ったが、どうもやり方が悪かったのか、死ねなかったようだ。

 海にざぶざぶと沈み、入水自殺を図ったのがまずかったのか意識を失ったところで行方不明の届けが出され捜索が始まったらしい。二日後に意識不明の重体で発見された僕は緊急搬送で病院へ運び込まれ、今に至るという事だ。

 自殺を図ったのはこれが初めてだが、以前より僕は自殺をしたいとずっと思っていた。そして、エスカレートしていくいじめに耐え切れなくなった僕は自殺を決行。これで、僕に対するいじめが無くなるのが一番いいのだが、そんな風に上手い展開にならないのが現実なのだろう。だから、現実なのだろう。

 しかし、僕は何かここで目覚める前にどこかで時代錯誤の列車に乗っていたような……?


***


 今日も汽笛を鳴らして、黒煙を吐いて時代錯誤の漆黒の汽車は同じ線路を走る。

 生と死の狭間と彷徨う行方不明の老若男女を乗せて生死の決着の終点まで彼らを運ぶ。『死』が決定したなら下に。『生』が決定したなら上に。そして、『生死』の終点に着いた際車掌の彼はこう言うのだ。


「私共はお客様が当列車を再利用されない事を心よりお望みしております」

 

 と。

如何だったでしょうか。

今回の小説は意味が分かると怖いちょいこわホラーを目指して執筆しました。もし読者の皆様がゾクゾクして頂けたなら私は十分でございます。

では、皆様……

私は皆様が当列車を再利用されない事を心よりお望みしております

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― 新着の感想 ―
[一言] 文章がとても読みやすくスラスラ読むことが出来ました。 三途の川の現代版といったところでしょうか? 情景をとても思い浮かべやすかったです!!
[一言] 拝読させていただきました。 謎が謎を呼ぶ展開で、面白く、一気読みしました。 以下、ネタバレしています。 主人公は列車のことあまり覚えていないようなので、また同じことをして、死なないかぎり…
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