Ⅳ
「姫様!」
リディアの胸元に自分の破いたドレスを巻きつけて手当をしていると、後方から慌てて騎士達がやって来た。私を探しに来てくれたのは分かったのだが、胸元が露になっているリディアを彼らに見せるわけにはいかない。けれど一刻も早く医者に診せなくてはならないから、大いに迷った。
結局、自分は大丈夫だがリディアが大怪我であることを伝え、医者だけこちらに寄越すよう指示をした。リディアを女だと思っている男たち(騎士のこと)は、戸惑うように頷いてくれる。ドレスがビリビリに破られたリディアや私のボロボロな姿を見れば、彼らも必然と距離を取ってくれた。
幸いなことに、私の専属医師は女医。マリと言って、国内でも数少ない女医の彼女は、私が王女となった時から傍にいる人たちの一人である。私が元平民だということまでは流石に知らないが、しかし信用が置ける人物だと思っていた。
「マリ…リディアを助けて…。でもお願い、このことは黙っておいて!あとで説明するから!」
私の言うことが分からずに首を捻ったマリだったが、リディアの胸元を見て事情を察した。騎士達からリディアを隠すように治療を始めてくれる。私もその場に座ってリディアの手を握っていた。
リディアの細くも逞しい胸元はマリの手によって治療されていく。血を拭き、素早く薬をつけて縫い、そしてまた薬を使用する。つい目を反らしたくなるような痛々しいものだったが、マリの手には迷いがなく、彼女に任せておけば大丈夫だとほっと胸をなでおろした。
「ひとまずこれで…。絶対に安静にしていないと駄目ですが」
「…良かった…良かったリディア…」
「………しかし姫様…。リディア嬢は…その…」
マリの言わんとしていることは分かったが、口元に人差し指を立てて「あとで」と伝える。護衛騎士たちが少し離れたところでソワソワしているし、私もリディアの身体を見られないように破いたドレスで隠すことで忙しいから。
「姫様、馬車の準備が整いました」
リディアのことばかり気を取られていたので気が付かなかったが、私達を襲った不届き者の死体はどうやら既に片付けられていたらしい。おまけに質素ではあるが、代わりの馬車も用意されている。
「お守りできなくて申し訳ありません」
騎士団のリーダーは私にペコリと頭を下げる。私を連れ去られたということで、彼らにはそれなりの処分が下されることだろう。しかし彼らも私も巻き添えをくらっただけだ。全ての原因はリディアだと思うし。(それはリディアが何か知っていそうな雰囲気だったから、勝手に私がそう考えているけれども)
「気にしないで。わたくしもリディアも助かりました。リディアはご覧の通り大変な状況だけれど…」
「しかし…!」
「今はいいから、早く移動しましょう!?リディアが怪我しているというのだから!」
「…っ、はい!かしこまりました」
リディアの上半身にはマリが貸してくれた上着が添えられているので、騎士達からは彼の胸元は見えない。彼らがリディアを馬車に乗せてくれ、私とマリがそこに同乗する。慌ただしい中で、私達一行はその場を後にした。
「あの…姫様…。リディア嬢は…その…男性だったのですね…」
控えめにマリがそう聞いてくる。どう答えるか迷ったが、頷いてマリの耳元で小さく口を開いた。
「彼は理由あって女装しているのよ。でもこれは秘密にしないといけないことだから…黙っていてね」
「っ…そうだったのですね…!で、では…陛下や宰相さまもご存じのことなのですね」
ぐっと詰まった。それは知らない。知るはずがない。知っていたら私に近づけないでしょう。嫁入り前の王女に、女装した男なんて。それにリディアは一応他国の貴族令嬢だ。他国の思惑があってこの国に来ているのだし。バレたら間者として投獄され、裁判の後に処分が下されるのが普通ってものよ。
けれども、私はにっこりと笑って言ってやった。
「ええ勿論よ。上の人たちは既に知っているの。だからマリも、他言無用よ。誰かに言った瞬間に、あなたの首が刎ねられるからね、気を付けてね」
「かしこまりました!誰にも言いません!私にできることがあったら何なりとお申し付けください」
罪悪感は多少あったが、リディアが男なんて噂が流れたらたまったものではない!リディアのためということもあったが、勿論私の為でもあった。男だと知っていたのに見逃していたとあれば、どんな罰を受けるか分からないもの。
馬車の座席で横たわるリディアを見る。マリのおかげか、先ほどよりはマシだ。けれどその顔色は悪く、時々辛そうに呻く。
「マリ…、今言ったようにリディアは理由があって女装しているの。でも周りの人はそれを知らないのよ。だから、マリだけが頼りよ」
マリは真剣な顔で背筋を伸ばし、こっくりと頷いた。随分と素直だな。彼女、頭はいいけれど根はものすごく単純なようだ。
「王宮に着いたら、リディアをわたくしの部屋へ。わたくしのベッドを使っていいから、治療に専念させて。わたくしをかばったせいで怪我をしたから、わたくしが大層心を痛めていると。親しい女友達が心配だから、わたくしは付きっきりでリディアの傍にいると。そう周りに認識させておいて」
「……承知いたしました。ただあの…一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
マリはごくりと息を飲んで「姫様とリディア嬢は…どのような関係ですか」と上目遣いで聞いてきた。
それは私とリディアが男女の仲であると疑っているのかしら。でも心配は無用。そんなこと、あるはずない。願望を言えば、あっても良かったのだけれど。なあんて…ね。全く、こんな事を考えるなんて私はなんて奴なのかしら。
どんな嘘を言うかしばし迷った。リディアには悪いが、彼にとって一番だと思う事を伝えておこう。
「…マリ、言っておくけれど、リディアは女に興味がないのよ。彼は身体こそ男性だけれど、心は女性なの。だから恋愛対象は男性なの」
ボボボボとマリは顔を赤らめる。
「わたくしとリディアはよい女友達よ。わたくしが王女と知っていても、普通に話してくれる数少ないお友達」
単純なマリは満足そうに笑顔になって、ぎゅっと私の手を握った。
「よく分かりました!この私、及ばずながら力を尽くさせて頂きます!」
「……ええ、よろしくね、マリ」
「はい!でも…姫様は本当にリディア嬢がお好きなのですね!」
「………そうよ。わたくしはリディアがとても好きよ。大切なの。だから…幸せになって欲しいわ」
それは嘘偽りのない私の本心。私の大切な友人で、初恋の人。結ばれることは絶対ないけれど、こうして心を寄せることだけは許して欲しい。
王宮に着いたのはもう夜だった。襲われたと知り王宮の者たちは多いに慌てる。リディアは私の強引な要求の下、私の部屋へそのまま運ばれる。侍女や他の者たちを一切部屋には入れず、マリと私だけでリディアの傍についていた。
その間、私たちを襲った者たちの素性が詳しく調べられたらしい。リディアの容態もようやく落ち着いた頃、私は王と宰相らに呼ばれた。
「どうやらただのゴロツキというわけではなさそうでな…。どこかの国の間者みたいだという知らせが入った」
王からそう言われ、私は頷いた。
「それは、わたくしが婚約を結ぶ予定の国と関係があるのでしょうか?」
「流石にそこまではまだ分からん。手馴れているとは感じなかったが、かと言って素人ではないだろうと護衛は言っていたぞ。お前は何か感じたか?」
私は首を横に振った。
「私は…ただの野盗かなと思いました。なぜなら、彼らは私が王女だと知らなかったようでしたので」
「……なんだって?」
「‘上玉が馬車にいやがる。少し楽しんでもいいか’…そんな事を口にしていたと記憶しております。私のことを一度も‘王女’とは思っていなさそうでした」
「…ふうむ…?」
「だとしたらやはりただの野盗だったと…?しかし王、もうすぐ王女の婚約が決まると言う時期にこれは…」
「分かっておる。西の方がきな臭い。我らの国が他国と手を結ぶことを歓迎していない国もあろう」
私が思う以上に、どうやらこの国は色々と問題を抱えていたらしい。他国に踏み込まれる一歩手前というところなのかな?
彼らの議論に私は加わる必要はなかったらしく、早々退出させられる。その際に、思い出したように王は私に向かって
「そうそう王女よ。そなたの結婚相手だが、カナン王国の王太子に決まりそうだ。覚えておくように」
厳しい顔つきでそう言った。
「……かしこまりました」
そろそろ来ると思っていた婚約話が振られた。そっと息を吐きながら退出した私は、どんよりした気分になるのを自覚しながらリディアの元へ向かった。
(とうとう嫁ぐ日が来るか…)
いやいや、まだ婚約だから嫁ぐってわけではないだろうけれど。でも結婚はまだ先でも、他国に行く日は近いだろう。
部屋に入り、寝ているリディアの顔を見ながらぼんやりと考える。王女に仕立て上げられたのは最初から他国に嫁がせるため。国の安全と保障のためだ。分かっているけれど、いざ間近にそれが迫ると、怖いとも寂しいともとれる気持ちで溢れる。
リディアは相変わらず女と見違う程美しかった。彼の顔を見続けていると切なくなり、思わず顔を伏せる。恋心なんて抱かなければこんな想いをすることもなかったのだろうか。
(もうすぐお別れね、リディア…。別の男と結婚しても、私はあなたが好きよ…)
「……ヴィオ…?」
名前を呼ばれて顔を上げれば、目を覚ましたリディアがそこにいた。思わずガタっと席を立って彼の枕元まで近寄る。
「リディア…!気分はどう?」
「………はい…。おかげさまで…」
ほっと安堵する。かなり傷が深かったはずだ。まだ痛みはあるだろう。
「水でもいるかしら?それとも何か食べる?」
そこから離れて部屋を見渡そうとしたが、リディアは私の手首を強く掴んだ。何か言いたそうにしている。
「リディア?どうしたの?」
「…ヴィオ…。いつから、知っていたのですか」
「……」
リディアは痛みに耐えながら体を起こそうとしている。見かねて彼の背中にそっと手を添えてそれを手伝うと、ベッドの上に座れと言うかのように、強く腕を引かれた。
包帯が巻かれたリディアの胸元には、当然だが乳房のふくらみはない。男のそれだ。リディアは隠そうともせず、ベッドに長座の姿勢で座って私を真正面から見つめた。
「あなたとあの女医が馬車の中で話していた事ですが…ぼんやりと聞いていました」
「え…あれま…。聞こえていたの…?」
「ええ…途中からですが…。その内容からだと、あなたはどうやら前々から私が男であることに気付いていたようですね」
「………そうね…。知っていたわ」
「…人の事を、女性に興味がない男だって言いましたね…。ちゃんと聞こえていましたよ…」
「え!?あ…っ!それは…!ごめん、マリを誤魔化すための嘘だったのよ!リディアが女性嫌いかどうかなんてまでは知らないから安心して!」
正直に白状すれば、リディアは頭を抱えて下を向いた。
「いつから…」
「……え?」
「…いつからですか。私が男だと気づいていたのは」
「………最初からです」
「っ!?嘘でしょう!?」
これも嘘偽りなく言えば、今度は勢いよく顔を上げるわけで。
「嘘じゃないよ。最初から分かった。わたくしに挨拶してくれた時から…」
「え…いやいや…待って待って…!それって夜会の時ですよね…!?何で!?どうしてですか…」
「どうしてって言われても…ん~……女の勘ってやつかしら」
何やら打ちのめされたような表情をしたリディアはしばし両手で顔を抱え込んでいた。女装に対して絶対的な自信を持っていたとしたら、確かに私の発言は失礼極まりないのだけれど…。
「リディア…なんかごめんなさい…」
「……そもそも、男だって分かったのに、どうしてあなたは私を傍に置いたのですか!?」
「え…。だって面白そうだと思ったから」
「お…面白そう……!?」
「そう。何の理由で女装しているのか分からなかったけれど、面白そうだと思った…というのが理由かしら」
「……っ!馬鹿じゃないですか…!」
馬鹿だってことは否定しないけれど、そうはっきり言われると傷つくなあ。
「私がどんな理由で女装しているか…その理由も確かめずになんて…!」
「あ、でも刺客かなって思った。手袋しているから分かりにくいけれど、リディアの手ってマメができているでしょ?だから剣を使うのかなって」
「……っ!?」
魚のように口をパクパクしたリディアの表情は初めて見る。思わず吹き出して笑った私に対して、リディアは顔が真っ赤だ。
「やっぱり刺客というのは当たった?では温泉からの帰り道で馬車を襲ってきた連中は、リディアの関係者?」
色々とぶち込みすぎたかな。リディアが完全に固まっている。いじめるのがちょっと楽しいなんて…ええ、少しだけ思ったわ。
「あなたは…!そこまで分かっていて…!」
「………ふふ、わたくしっておかしいかしらね…」
「おかしいでしょう!?」
憤慨した彼に、私は割と真面目な顔で「でも他の皆は知らないから安心して」と言ってみた。
「知っているのはわたくしと、女医のマリだけよ。他の人たちは知らない。わたくしを庇って怪我をした哀れなご令嬢…と思っているから」
「……どうして…!」
「ん?」
「どうしてそこまで…!私はあなたを殺すかもしれないのですよ!?恐ろしくはないのですか!?」
「…いやあ…わたくしを殺すことはなさそうだなって思ったから…」
「だから!その根拠は!?」
「根拠…と言われても…」
だってリディアは私と二人きりになっても何もしなかったじゃない?と答えれば、もう何度目かの絶望したような顔になったリディア。ついつい苦笑しながら私は言葉を続けた。
「現にリディアは、男たちに襲われそうなわたくしを助けてくれたじゃない?リディアは刺客かもしれないけれど…わたくしを殺さないでしょう?」
キラリと鋭くリディアの目が光った。それは怒っているようだ。
「ヴィオを殺さなかったら良いと…?他の者たちは?貴族は?国の重要人物は?王は?」
「………」
「私を放っておいて、とんでもないことになったらどうするつもりでした!?国が滅びたら、どうするつもりだったのですか!?王女の戯れで、国が滅びたら…!」
「………別に構わなかったわ。国が滅びようとも」
「!?」
これは本心だ。私はこの国の者でありながら、この国に興味がない。国名が変わっても構わない。そもそも国に愛着はないのだから。
「戦争になったら生命の危機に瀕する可能性はあるので、できれば戦争は避けたいですけれど。でも他がどうなろうが、国が滅びようが、割とどうでもいいなと」
「…………」
「…最低、って顔しているわね」
まあ一国の王女だったら最低最悪な考えというものだ。そのくらいは私にも分かる。
「とことん理解できません…!どうしてヴィオは…!」
「………そうね。わたくしは結構、歪んでいるのかもね」
幼い頃の経験は人生の価値観を決めてしまうのだろう。孤児院でひもじい想いをしながら、女と気付かれないようにこそこそと生きた私。王や宰相、貴族、それにリディアが持っている「誇り」なんてものは持ち合わせていない。ただただ、「生きていればいい」と思うだけ。
「流されて生きて、でも生きているってことが嬉しい。そんな奴よ、わたくしは」
「………ヴィオ…」
「王女という飾り人形が、道具のように他国に嫁ぐ…別にそれに不満はないわ。流されていようとも、わたくしは死ぬことはないから。それだけだった」
「……」
「でもね、リディア」
私はリディアに向き合った。彼から目をそらさずに、真っ直ぐ彼を見つめた。
「あなたに出会って、わたくしは楽しかったわ。退屈だった日々が楽しいものに変わったの。それは友人って言える人ができたからかもしれないし…あるいは」
そっとリディアの手に自分のそれを重ねた。
「あるいは、リディアの事を好きになってしまったから…。傍にいられることが嬉しいって思ったからかもしれないわね」
瞠目して固まったリディアは何も言わない。私も別に返答を期待してはいなかった。
「あなたはわたくしの大切な人よ。たとえ刺客であろうとも…わたくしはあなたを死なせたくはない」
大胆にも、私はリディアの首に自分の腕を回して抱き着いた。なぜか今宵はいつも出来ないことまで出来そうな気分だ。
「ヴィオ…!」
「好きよ、リディア。女友達としても、異性としても…。あなたに出会えたから、ここでの暮らしも楽しいって思えた。だからあなたが何者であっても、絶対に死なないで欲しいの」
勝手な言い分だった。リディアの考えをも無視した、私の一方的な。
「わたくしはもうすぐカナン王国に行くけれど…。あなたとの出会いをいつまでも胸に秘めておくわ」
「……ヴィオ…」
「……長く、話しすぎちゃったわね。ごめんなさい…ゆっくり休んで…?」
「……ヴィオ…!」
リディアの声を無視して部屋を出て別室へ行き、扉の前で顔をおさえて座り込んだ私。今更になって心臓がバクバク鳴っている。
(バカ…。言い過ぎよ…。なんであんな事まで言ったのかしら)
自分の口にしたことは全て「王女としてありえない」ものばかり。そんな事は分かっている。国が滅びてもいいなんてことも、リディアが男だと知っていたということも。全て白状してしまった私はバカ。思っているだけにしておけば良かったのに。どうしてあんな事まで言ってしまったのだろう。
次の日から、顔を合わせにくくてリディアを避けてしまった。その次の日も、またその次の日もだ。
リディアからすれば私は友人でも何でもないだろう。今頃どう反応すればいいのか困っているに違いない。
複雑な気持ちを抱えたまま、この国での残り少ない日々を過ごした。
ふ…3話で終わらなかった…。もうちょっと続きます!




