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第33話 皇女の『お願い』

 ヨーンとの試合から数日後……。私はシグルドから呼び出しを受けていた。今まで特に向こうから呼び出しを受けた事などほぼ無かった。一体何の用事だろうか? 


 この前一度打診を受けたが、エレシエルの性を捨てて正式にこの街所属の剣闘士にならないか、と改めて誘うつもりだろうか。少なくとも私には他に理由が思いつかなかった。


 呼びに来た衛兵に案内されてシグルドの執務室の前まで来ると、中に入るように促された。


「……失礼します。カサンドラです」

「……入れ」


 ノックすると中から応えがあった。躊躇いながらもドアを開けて執務室に入る。



 シグルドの私室には入った事があったが、執務室に入ったのはこれが初めてであった。流石に城の謁見の間程ではないがそれなりの広さがある部屋で、奥に豪華な革張りの椅子とセットになった大きな机が置かれていた。あれがシグルドの席なのだろう。


 その席には実際にシグルドが腰掛け、机に頬杖を着くような姿勢で私を見据えていた。そして気付いた。部屋にいたのは……私を待っていたのは、シグルドだけでは無かった。


「……ッ!?」


 私は目を瞠った。


 シグルドの他に2人の女性(・・・・・)が先客として部屋にいた。1人はルアナだ。シグルドの秘書宜しく、彼の斜め後ろに立って控えている。そこまでは別にいい。この闘技場に於いてシグルドのブレーンである彼女がこの場に居る事は別に不思議ではない。


 問題は……シグルドの席の手前。低いテーブルが縦に置かれ、それに向かい合うように設置された応接用のソファーに、偉そうに脚を組んで腰掛けながら私を睥睨している、もう1人の女性――



「ふん……【隷姫】、ねぇ? 随分と人気みたいじゃない? 剣闘奴隷生活を満喫しているみたいで何よりだわ」



「……!」


 その女性は私の顔を見るなり、そう言って皮肉気に笑ってソファーから立ち上がった。


 部屋の……いや、この闘技場の主であるシグルドより先に発言して、気ままに席を立って動き回る……。そんな行為が許されている人物はこの帝国中に於いても、ほんの一握りしかいない。その数少ない一握り(・・・)が、私の目の前まで歩いてきた。


 そして……私の髪を乱暴に鷲掴みにして、私の頭ごと引き寄せた!


「あぅ……!!」


「勘違いするんじゃないわよ、この雌豚がっ!! お前は私を殺そうとした(・・・・・・・・)罪で、処刑・・の真っ最中に過ぎないって事を忘れたんじゃないでしょうね!? お前は死刑囚・・・なのよ! それを弁えなさいっ!!」


「くっ……」


 髪を引き抜かれるような痛みに耐えながら私は呻く。そう……。私は目の前のこの女を殺しかけた罪で剣闘士として戦っているのであった。少なくともそういう名目・・だ。


 目の前の女……ロマリオン帝国の皇女クリームヒルトは、憎悪に満ちた目で私を睨み付けてきた。


「お、皇女様……。カサンドラの試合に関しては八百長などは一切なく、対戦相手には常に全力で殺しにかかるよう厳命しております。近い内に必ずや皇女様のご期待に添えるものと――」


 ルアナがそう言って宥めに掛かるが、それに被せるようにクリームヒルトが叫ぶ。


「うるさいっ! そう言ってていつになったらこの忌々しい女を処刑できるの!? お前達が甘い事ばっかりやってるから、こいつがつけ上がる一方じゃない! そもそもお前に発言を許した覚えはないわ。引っ込んでなさい、娼婦上がりの賎民がっ!」


「……っ!」


 ルアナの顔色が赤から青へ変化する。それを一顧だにせずに、クリームヒルトは今度はシグルドに視線を向けた。声は一転して、聞いてて反吐が出るような甘えた猫撫で声だ。


「ねぇ、シグルド? 私いい事思い付いちゃったわ。どうしても剣闘試合でっていう事なら、あなたが直接この女と戦えばいいのよ。あなたに敵う者なんて誰も居ない……。むしろ最初からそうするべきだったのよ。私の頼み……聞いてくれるでしょう?」


「……ッ!」


 私はその『提案』に息を呑む。確かにそれが最も確実な「処刑方法」だ。シグルドと直接戦えるとなれば、これまでの(・・・・・)私であれば、むしろ降って湧いたチャンスだと思ったかも知れない。


 だが今は……? シグルドと戦う、と言われて真っ先に浮かんだのは恐怖・・であった。嫌だ……。まだ(・・)死にたくない……。


 いつかは必ず当たる、避けては通れない道。そう解っていながら問題を先延ばし(・・・・)にしているだけだ。だが例え先延ばしであっても何でも、今死にたくないという気持ちはどうしようもなかった。


 クリームヒルトの『お願い』に対してシグルドは……


「……その女はまだ俺と直接戦うに値せん。もしその女が【チャンピオン】まで登り詰める事があれば、その時初めて俺が手を下す事になる」


 息を詰めてその返答を聞いていた私は、ホッと肩の力を抜いた。しかしそれとは逆にクリームヒルトは癇癪を起す。


「何よ! 愛する私の頼みが聞けないって言うの!? ……以前も怪しいと思っていたけど、この女を気に入って愛人にでもしようとしてるんじゃ――」


「――クリームヒルト」

「……ッ!?」


 たった一言。それだけで大陸の支配者の娘たるクリームヒルトが青ざめて、それ以上の言葉を継げなくなる。


「この街以外の場所であれば、如何ようにも権力を振るうがいい。だがここは俺の城だ。ここにはここのルールがある。如何にお前と言えどそれを曲げる事は許さん」


「……っ。シ、シグルド……わ、私は……」


「それでは下の者にも示しが付かん。いつもの……聡明・・なお前ならばその道理を理解出来よう?」


「……!」


 あの威圧感で釘を刺された上にこういう言われ方をしては、如何に傍若無人なクリームヒルトでも引き下がらざるを得ない。私は妙な所で感心してしまった。



 クリームヒルトはそれでもワナワナと震えていたが、やがてまた何かを思いついたのか、喜悦にその顔を歪める。


「だったらルールに則ればいいんでしょう? 確か同じランクの剣闘士同士なら問題ないのよね? この女の今のランク……何と言ったかしら? ……そう、確か【グラディエーター】だったかしら。今この街に同じランクの剣闘士は何人いるの?」


「……カサンドラ自身と先の試合でカサンドラに敗れたヨーンを除けば、残りは現在7名です」


 クリームヒルトが先の罵倒など忘れたかのように(実際忘れているのだろうが)、ルアナに問い掛けてきた。ルアナは不快気に顔を顰め、それでも渋々といった風に答えた。


 それを聞いたクリームヒルトが増々笑みを深くする。


「うふふ。だったらその7人を全員この女と戦わせなさい。一斉にね。それなら確実に殺せるわ」


 無茶苦茶だ。そんなもの試合でも何でもない。それこそ只の処刑、いや私刑か。ルアナも同じ思いのようで苦言を呈する。


「……それでは賭けが成立しません。オッズの偏った試合を一度も組んだ事がないのが、この闘技場の誇りでもあるのです。ましてやそんな私刑リンチのような低俗な見世物など……」


 闘技場の、と言っているが、それはマッチメーカーを兼任する彼女自身の誇りでもあるのだろう。……私の初期の試合は明らかにオッズが偏っていた気もするが、まあ女の……それも元王女などという前代未聞の新人闘士だったので、そこはどうにもならなかったのだろう。


 後、あのガントレット戦はリンチではなかったのだろうか、とか疑問は浮かんだが、とりあえず今この場面で言うような事ではないので黙って成り行きを見守る。



 ガツンッ! と鈍い音が響き渡る。クリームヒルトが応接テーブルに置いてあった、自分が飲み干した空の杯をルアナに投げつけたのだ。


「……っ!」

 ルアナが杯の当たった額を押さえて蹲る。


「……今何と言ったの、賎民? この私の提案を『低俗な見世物』と言ったように聞こえたけど?」


「くっ……」


 ルアナは痛みと衝撃で返事が出来ないようだ。シグルドが嘆息した。


「もういい、2人共鎮まれ。……クリームヒルトよ。お前の怒りも理解はしている。だがルアナの言った事も正論だ。私刑のような事は出来んが、次の試合ではお前の要望も取り入れてみるよう計らおう。折角来たのだ。まずはその試合を楽しみにしてみてはどうだ?」


「……! そ、そうね……。あなたがそう言うんなら、もう少しだけ待ってあげるわ」


 クリームヒルトは少し顔を赤らめてから、再び私の方に視線を向けてきた。


「……雌豚、解ってるわね? 私が来たからには今までのようには行かないわよ? 必ずお前が惨たらしく死ぬ様を見届けてやる。覚悟しておきなさいっ!」


 言いながら私に指を突きつける。


 クリームヒルトという新たに増えた不確定要素が、私の今後にどのように影響するのか……。以前までのような自暴自棄さが鳴りを潜めていた私は、戦々恐々とした不安な気持ちを抑える事が出来なかった。


 故に見逃した。この時蹲ったままのルアナがどんな表情を浮かべていたのかを……




****




 それから数日後……私の次の試合内容が通達された。


 再びシグルドの執務室に呼び出された。出向くとその場には、相変わらず私を憎々し気な視線で睨み付けるクリームヒルトの姿があった。ルアナの姿は無かった。


 2人を前に自らの席に腰掛けるシグルドが口を開いた。


「来たか……。お前の次の試合だが……先日のクリームヒルトの要望を一部・・取り入れて、残りの【グラディエーター】ランクの剣闘士7人を揃い踏みさせる大掛かりな物を考えている」


「な……!?」


 驚愕の余り一瞬言葉に詰まる。先日と話が違う。それでは賭けが成立しない只の私刑になるからと、自分達でその案を却下したのではなかったか。


 青ざめる私とは対照的にクリームヒルトの顔は喜色に輝く。


「シグルド……! やっぱり愛する私のお願いを聞いてくれる気になったのね!? 嬉しい……!」


 そして私の方に向き直り、傲慢に顎を反らして高笑いする。


「おーーほっほっほっ!! 言ったでしょう!? 今までのようには行かないって! 今どんな気分かしら、雌豚? 怖い? 悔しい? 豚らしく無様に小水を漏らしたい気分かしらぁ? ほほほほ!」


「く……!」


 私は言い返せずに歯噛みする事しか出来ない。何故なら……確かに今私の心を支配しているのは、まるで足元の床が一瞬で崩れ落ちて暗黒に飲み込まれるかのような恐怖であったのだから。



 だがそこにシグルドの声が被さる。


「クリームヒルト。まだ俺の話は終わっていないぞ? それに今俺は一部・・だと言っただろう?」


「え、シグルド……?」


 耳障りな笑いを収めたクリームヒルトが、訝しむようにシグルドを見た。


「お前の要望も取り入れるが、それでもこれが私刑ではなくあくまで闘技……そして賭け試合である事に変更はない」


「え、で、でも、相手は同じランクの剣闘士7人なんでしょう!? いくらこの雌豚の悪運が強くても、流石に勝ち目はない……わよね?」


 残念だがクリームヒルトの言う事は正しい。【グラディエーター】ランクが伊達ではない事は、ヨーンとの戦いで骨身に染みている。あれと同ランクの剣闘士7人相手など、天地がひっくり返っても私に勝ち目は無いだろう。


 それこそ只の私刑だ。


「ああ、勝ち目は無い……単純な7対1(・・・)ならばな」


「……え?」


「今回は、『バトルロイヤル形式』を採用する事にした」


「バトルロイヤル……!」


 つまり全員が入り乱れて戦い、最後に残った者が勝者になるという試合形式だ。私にとって同ランクの剣闘士7人が敵であるという事実自体は変わらないが、ここで重要なのは彼等もまたお互いが敵同士である事だ。この差は天と地ほどにも大きい。


 確かに……厳しい事に変わりはないが、それならば立ち回り次第では私にも勝機がありそうだ。



「ええ、何よ! それじゃ普通の1対1よりも、むしろこの女に有利になっちゃうかも知れないじゃない!」


 やはり私とは対照的に、今度は一転して不機嫌になるクリームヒルト。だがシグルドは最後まで聞けとばかりにそれを手で制して話を続ける。



「だが、ただ何の芸もなくバトルロイヤルをするのではつまらんだろう? せっかく【グラディエーター】が残り全員参加する豪華な試合なのだ。そこでルアナから出た意見も取り入れ……途中参加型・・・・・のバトルロイヤルを行う事となった」



「と、途中参加型……?」


 何故だろう。嫌な予感がする。ルアナが提案したというのも引っ掛かる。内心が顔に出ていたのか、私の表情を見たシグルドがニィ……と口の端を吊り上げる。



「そう……最初は2人の剣闘士による1対1の試合から始まる。そして試合の内容如何に関わらず、一定時間が経過(・・・・・・・)するごとに次の剣闘士が乱入していく……。つまり1対1からトライアングルマッチ、スクエアマッチという形でどんどん規模の大きいバトルロイヤルになっていくという寸法だな」



「……ッ!」


 私はこの時点でシグルド達の思惑を悟った。だがクリームヒルトは今一つ飲み込めていないようで、小首を傾げていた。


「? でもそれだと体力的に、1番最後に乱入する奴が1番有利じゃない? 逆に最初から戦う奴は、最後の奴が乱入してくる頃にはもうヘトヘトじゃないかしら? それって公平って言えるの?」


「…………」


 シグルドは、お前がそれを言うのかとでも言わんばかりに、出来の悪い生徒を諭すような口調と表情になった。



「まさにその通りだ。最初から戦う者は最後の闘士が乱入してくる時点で、ヘトヘトどころか既に試合に負けて脱落していたとしても不思議はない。明らかに不利だな。そしてお前には、不利になって欲しい(・・・・・・・・・)人物がいるのであろう?」



「え? …………あっ!」


 そこでようやく合点がいったらしい。弾かれたように私の方を振り向くクリームヒルト。


「うふ……うふふふ! なるほど、そう言う事ね、シグルド! ……雌豚。中々楽しい試合になりそうねぇ? うふふふ……おーーほっほっほっ!!」


 再び耳障りな高笑いが部屋に響き渡る。私はそれを無視してシグルドに視線を向ける。


「……賭けの対象は、あくまで最後に誰が勝ち残ったか……。私の『処刑』と賭け試合を見事に両立させた、という訳ですね……?」


 このルールなら私を圧倒的に不利な立場に追い込みつつ、「賭け試合」としてはちゃんと成立する。


 これを提案したルアナ。そしてそもそも【グラディエーター】ランク7人を全員私に当てろなどと無茶ぶりを要求したクリームヒルト。


 2人の女の奸計は、今確実に私を追い込もうとしていた。シグルドが嗤う。


「ふ……そうだな。だがそれでも完全な7対1とは違って、お前が生き残れる確率はゼロではない。死にたくないのであれば、全力で足掻いてみる事だな」



 ――こうしてあの地獄のガントレット戦に続いて、二度目の試練が私に訪れたのであった……



次回は第34話 龍が欲する物は


久しぶりにサイラスと会ったカサンドラは、シグルドが

クリームヒルトに甘い理由について尋ねるが――!?


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