第17話 【マーセナリー】連戦の果てに……
『し、信じられない! カサンドラ、三連勝だぁっ!! だ、だがまだ魔物は控えているぞ!? 次なる相手は冷酷無比な殺し屋、アラクニッドスパイダーだっ!!!』
――ワアアァァァァァァァァァァッ!!
大歓声と共に四度赤の門が開き、そこから這い出てきたのは…………
体長が2メートル以上、体高も1メートルはありそうな化け物蜘蛛であった。八本の足にはビッシリと赤黒い毛が生えており、その不気味な黒光りする眼球で私を獲物と見据えていた。
「はぁ……はぁ……く……!」
体力は殆ど回復していないが休んでいる暇はない。私は傷ついた身体に鞭打って強引に上体を起こす。見ると化け蜘蛛――アラクニッドスパイダーが八本足を高速で蠢動させながら、ゾッとするような速度で迫ってきている。
速い! これではすぐに接近されてしまう。私は慌てて起き上がろうとするが、疲労と傷の痛みで思うように行かない。気ばかりが急く。
どうにか片膝の姿勢になった時には、既におぞましい魔物が至近距離まで迫っていた。
「くぅ……!」
私は咄嗟に盾を前に掲げて身を守るような体勢になる。蜘蛛が足の一本を叩きつけるように振り下ろしてきた。先端には鋭そうな爪が備わっている。その爪が私の盾と接触する。
「……ッ!」
予想以上の衝撃に、私の体勢は再び崩れそうになる。この怪物に圧し掛かられるのは色々な意味で避けたい。私は後ろに押される勢いに逆らわずに、強引に足で地面を蹴るようにして後方へ飛び退る。
化け蜘蛛が鎌首をもたげるような仕草を取ると、その口から何か液体のような物を吐きつけてきた。
「き……!」
それが何の効果を及ぼす物なのか、当たったらどうなるのか、という事よりも、本能的な汚辱感から私はかつてない程の必死さで身を躱す。
地面に付着した液体は料理で肉を焼く時のような音を立てて泡立ち、後にはその部分だけが溶け崩れた石畳が残された。これは……酸だ! ヘルハウンドの火球と効果は違うが、当たったら一溜まりも無いという点では同じだ。
蜘蛛が酸唾を続けざまに吐き付けてくる。私はとにかく当たらないように躱し続けるが、既に相当の体力を消耗している今、いつまでも躱し続ける事は出来ない。またヘルハウンドと違い何発で打ち止めなのかも解らないので、その意味でも持久戦は得策ではない。
私は何発目かの酸唾を横に跳んで躱すと、奴が次弾を撃つ前に一気に距離を詰める。だが……
ガクッと私の足が崩れる。くそ……! 体力の消耗が予想以上で、急な加速に付いていけなかったのだ! マズい。このままだと奴が次の酸唾に吐くまでに間に合わない。
そう思っている側から次の酸唾が真っ直ぐ私に向かって飛んできた。距離が近すぎる上に体勢も崩れている。回避は間に合わない。
「くぅ……!」
やむを得ず盾を掲げて酸唾を受け止める。
ジュウウゥゥゥゥッ!! という肉が焼けるような音と共に、盾の表面が腐食していく。石だけでなく金属も溶かせるようだ。盾の強度は犠牲になったがその分時間は稼げた。
私はそのなけなしの時間を最大限活用して、疲労で笑いそうになる膝を叱咤して蜘蛛に突撃した。あの酸唾攻撃は吐き付けるまでに若干の『溜め』が必要なので、接近戦で使えるような物ではないはずだ。化け蜘蛛相手に近付くのも嫌だが、背に腹は替えられない。どの道私の小剣では相手に近付けないと攻撃すら出来ないのだ。
私が剣を振り下ろすと蜘蛛は生意気にも後ろに飛び退って回避した。また距離を離されたらもう打つ手がない。私は絶対に離されてなるものかと喰らい付く。
引き離せないと悟ったのか、蜘蛛が前脚を振り上げて攻撃してくる。今度は左右の前脚2本同時だ。私は追い縋っている最中であり体勢が整っていない。そこに左右から迫る死の鉤爪。解っているのに躱せない。ならば――ッ!!
私は一切の回避行動を意図的に放棄した。私を縛る『呪い』は即座に反応する。
「――ッ!!」
自らが意図しない強制的な高速挙動に、私の身体は悲鳴を上げる。私自身が動かすよりも速い速度で盾を動かし、一方の前脚の攻撃を遮断する。そして右側から迫る前脚が私の喉元を掻き切る直前――
「……っ」
私の上半身が不自然な程急激に後方に反り返る。蜘蛛の前脚が上を向く形になった私の目と鼻の先を薙ぎ払っていく。今度はそのまま逆に上体が前に折れ曲がる。まるで後方に反らした上半身を、反動をつけて一気に振り抜いたかのようなありえない挙動だった。
だがあり得なかろうが何だろうが、このチャンスは逃せない。私は無我夢中で剣を前方に突き出した。上体の動きに合わせて凄まじい勢いで突き込まれる剣先は、そのまま化け蜘蛛の顔の真ん中に勢いよく深々と突き刺さった!
蜘蛛が無茶苦茶に暴れ回るので、私は汚らわしい体液が付着したままの剣を引き抜いて、慌てて後方へ飛び退いた。やがて蜘蛛の動きが緩慢になり、完全に停止する。どうやら死んだようだ。四体目……。
『お、おぉーーっ!! 何と、何とぉ!? カサンドラ、人間離れした体捌きでアラクニッドスパイダーを倒したぁぁぁっ!! とうとう4体の魔物を討伐してしまったぞぉ!? こ、これは誰もが予想しなかった大金星なるかぁぁぁ!?』
今まで以上の大歓声と怒号がアリーナを埋め尽くす。これまでの戦績から私に賭けている客もそれなりにはいるようだ。だがやはりまだ圧倒的に怒号の方が多い。
「ぐ……」
だが今の私にそんな事を気にしている余裕はなかった。精神的にも、そして肉体的にも、だ。私は堪え切れずにその場で片膝を着いてしゃがみ込んでしまう。
「はぁ! はぁ! はぁ! ふぅ! はぁ!」
もう限界だった。体力は完全に底をついて立ち上がる事さえ覚束ない。それに加えて傷の痛みや出血による疲労も重なる。私のむき出しの肌は大量の汗に血が混じって濡れ光っていた。
更に追い打ちを掛けるように、最後の『呪い』の力による反動。あれは瞬間的に凄まじい効果を発揮するが、その分身体への負担が尋常ではない。
意識的か無意識的かに関わらず、人間が如何に精密なコントロールの元に身体を動かしているのかが実感できる。それらを無視して『外から』『強制的に』『予想もしない挙動で』身体を動かされるという事が、どれほど身体に負担を掛けるのかも。
これが私がこの『呪い』を多用できない理由であった。使えるのは毎度1回きり。それも一度使ったらある程度の間隔を置く必要がある。もしそれを無視して多用すれば、私は身体に致命的な障害を負う事になるだろう。それ程の反動があった。
もう既に四連戦を戦い抜いた。幾度もの危機を潜り抜けた。私の身体も体力も完全に限界を迎えている。もう充分なはずだ。私は自らに言い聞かせた。だがそんな私の願いを嘲笑うように……
『さぁさぁ、地獄のガントレット戦もいよいよ大詰め。五戦目に突入だぁっ!!』
「――ッ!!」
まだ……終わらないというのか。いつこの地獄は終わるのか。もしやシグルドは私に飽きて、体よくここで処刑するつもりなのではないだろうか。
私は思わず救いを求めるかのように主賓席を見上げてしまった。そこには豪華な椅子に腰かけてグラスで果実酒を飲みながら、この試合を観戦しているシグルドの姿が……
だがシグルドは私と目が合うと、口の端を吊り上げて笑みを深くしただけであった。
「……!」
そこに救いは無かった。死ぬまで戦えという事だ。
『五戦目の相手は……何と、脅威レベル4の魔物。森の人食い野人、トロールだぁぁぁぁッ!!!』
「な……」
レベル4? 今アナウンスはレベル4と言わなかっただろうか? この試合にはレベル3の魔物しか出さないはずではなかったのか。
そんな私の驚きなど無視して赤の門が容赦なく開く。現れたのは、身長は3メートル近く、下顎から牙が突き出た醜い顔、緑がかった体毛を生やしたずんぐりした体型に、異様に太く長い腕を備えた巨大猿人であった。
トロールと呼ばれるこの魔物は森林などに生息し、自然に出来た洞穴などを住居にしており、生息域の被る熊型の魔物ペレスカーンと獲物――人間の奪い合いをしている事が多いらしい。
時に討伐隊として派遣された傭兵や騎士などを返り討ちにする事もあるという危険な魔物だ。
「グ……ガアァァァァッ!!」
私を視認したトロールがその太い両腕を広げて咆哮する。当然だが私を殺す気満々だ。地面に付けた両の拳と、短い足を交互に動かしながら跳ねるように迫ってくるその巨体は、とてつもない迫力だ。あの拳に捕まったら……いや、あの太い腕で殴られただけで軽く死ねるだろう。並みの傭兵では返り討ちに遭うのも頷ける。
私は立ち上がろうとするが、疲労と消耗で膝が言うことを聞かず、どうにか立ち上がれた時には、すでにトロールが危険な距離まで迫っていた。
駄目だ。最早まともに戦える状態ではない。今の状態では最初のホブゴブリンですらキツいだろう。ましてやレベル4であるこの化け物に抗うのは不可能だ。
まさに名目通りの『処刑試合』そのものだ。残虐なショーを期待して観衆が熱狂する。
ふざけるな。お前達の思い通りになど絶対になってやるものか。
私は……逃げずに、逆に前へ出た。こうなったらやれる所までやってやる。肉体の限界? そんな物は知った事ではない。どの道まともな戦いは不可能で、何もしなければただなぶり殺しにされるだけだ。ならば選択の余地など無い。
間近まで迫ったトロールがその巨大な拳を振り上げて一気に叩きつけてきた。戦鎚の一撃も容易に超える天然の凶器だ。当然当たったら即死だろう。また速さも相当なものだ。
だから私は……一切の能動防御を放棄した。進んでその拳の前に身を晒す。トロールの拳が私の頭を粉砕する瞬間――
「……っぁ!」
やはり凄まじい力によって強引に動かされる私の肉体。紙一重で避けた私のすぐ真横を剛腕が唸りを上げて通り過ぎる。
私の身体は人間離れした挙動でそのままトロールの後方へ回り込む。ここで『力』の作用が消える。この呪いはあくまで自殺防止の効果しかないので、敵への攻撃は自らの力で行わなくてはならない。
身体を締め上げるとてつもない負担に、悲鳴を上げそうになるが歯を食いしばって耐える。こんな物を何回も続けていたら、確実に私の身体が保たない。この一撃で決めるべく、私は剣を振りかぶって、飛び上がるようにして太い首の付け根部分に剣を突き刺した。
「ガァッ!?」
トロールが驚いたような叫びを上げて振り返る。くそ! 表皮と筋肉が厚くて思ったより剣が刺さらなかった……!
トロールが振り返りざまに腕を横薙ぎにしてくる。私は再び……敢えて回避をせずに身を乗り出す。そしてまたもや強制的に動かされる私の身体。
「ぐ……う、ああぁぁぁぁぁっ!!」
身体中が軋むような激痛に悲鳴を上げてしまう。私の身体はトロールの腕を潜り抜け、その懐に入り込んでいた。今度はその無防備な下腹部に向かって剣を全力で突き出した。
背中に比べると皮膚や剛毛が薄い部分で、私の剣は深々と突き刺さった。
「ギガァァァッ!!」
取るに足らない小さな獲物である私に深手を負わされた事で怒り狂ったトロールが、私を鷲掴みにしようと腕を伸ばしてくる。私は咄嗟に剣を引き抜くと、今度は自力で後ろに飛び退いた。
しかし度重なる疲労と激痛の前に足をもつれさせて転倒し、その場に尻もちを着いてしまう。
すぐには立ち上がれない。致命的な隙だ。勿論それを見逃すトロールではない。距離を詰めつつ、両の拳を握りあわせて大きく頭上に振りかぶる。恐らく私の体ごとまとめて叩き潰すつもりだ。あんなものを食らったら、私は原型を留めない挽肉に変わるだろう。
観客が総立ちになる。
頼む……。もう一度。もう一度だけ保ってくれ。私は振り下ろされるハンマーに対して、一切の防御・回避動作を意図的に取らなかった。お願い……アル、私に力を!
「――っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
三度私の身体が軋む。いや、四戦目を含めれば四度目だ。尻もちを着いた体勢から私の身体が、そのまま腰の力だけで持ち上がったような不自然な挙動で横に跳びはねる。
空振りしたトロールのハンマーナックルが轟音とともに地面を揺らし、石畳が砕け飛散する。
間を置かず、今度は胴体を引っ張られるようにして強引に起き上がらされ、半円を描くようにして再度トロールのバックを取るポジションとなる。
「う、おおぉぉぉぉっ!!」
私はあらん限りの力を込めて、トロールの背中の真ん中に逆手に持った剣を根元まで突き入れた。奴の皮膚の硬さは一回目の攻撃の時に学習済みだ。なので正真正銘、最後の力を振り絞っての全力攻撃だった。
「ギアッ!? ガアァァァァァァァッ!!!」
トロールが凄まじい咆哮を上げたかと思うと、ビクンッ! と身体を跳ねさせる。私の乾坤一擲の一撃は、奴の脊髄と内臓を共に破壊していた。
トロールの動きが次第に緩慢になり、そして遂にゆっくりと前倒しに倒れ込んだ。……背中に剣を突き立てたままの私と共に。
ズズウゥゥゥン……! と地響きと共に、トロールの巨体がうつ伏せに地に沈む。
………………
一瞬、アリーナ……いや、闘技場中が静寂に包まれた。そして次の瞬間――
――ワアァァァァァァァァァッ!!!!
空気が振動した。音が爆ぜたかと思うほどの大歓声がアリーナを包み込んだ。
『な……な、な、何とぉっ!? カ、カサンドラ、レベル4の魔物を倒したぁぁぁっ!! 地獄の5連戦を生き延びたぁぁっ!! し、信じられない! わ、私は夢を見ているのでしょうか!? いや、これは紛れもない現実だ! 【ウォリアー】……上級剣闘士カサンドラの誕生だぁぁぁぁぁっ!!!』
大歓声に負けないほどの興奮したアナウンスの声が私の耳に入ってくる。良かった……。これで本当に打ち止めらしい。私はシグルドとルアナの思惑を破り生き延びたのだ。
私はトロールの背に剣を突き立てた姿勢のまま、深い安堵に包まれた。身体中が激痛を訴え、身じろぎするだけでも全身に凄まじい衝撃が走る。
私は安堵に包まれながらも、とにかく一刻も早く衛兵が駆けつけて私を部屋まで運んでくれる事を祈り続けた。
今日は……いや、恐らく一週間は寝台の上から離れられそうもない。とにかく今はゆっくりと休息を取りたかった……
次回は第18話 少国家連合集結
レイオット公国の公王の元に、各小国家の使者達が秘密裏に集っていた。
事件を起こした仮面の男の正体を疑った彼等は――!?




