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過去の話を告げるには場違いと思えるほどに、温室の中は静かで穏やかな空気が流れていた。風は吹いてはいないはずだが、それでも育てられている花々の優しく爽やかな香りがそこら中に充満している。
一度、空気を肺へと取り込み、何かを決意したような表情へと変えて、クロイドは魔犬から呪いをかけられた夜の事を話し始めた。
自分の母親がどのように亡くなり、それから何故、自分が生きていることを隠されて、田舎の教会へと追いやられたのか、そして今どうしているのかをただ淡々と他人事のように喋っていた。
だが、呪いをかけた相手を魔犬とは言わずに魔物と言っていたのは、クロイドなりに何か思うところがあるからだろうか。
アルティウスは話を真剣な表情で聞きながらも時折、眉を寄せて難しい顔をしていた。その表情はクロイドと変わりないように見えてしまう。
「だから今日は、目的の魔具を回収するためにここへと侵入していたんだ。……はっきり言って、俺が生きていて、しかもここへ来ていることを知られたら都合が悪い奴が結構いるから、他言しないで欲しい」
話を終えたクロイドはカップの紅茶をあおる様に飲み干した。一度、彼の口から聞いた話とは言え、やはり何と答えていいのか考えてしまう。
「……そうか。今、ロディは教団にいるんだ。そこで──そこで、生きているんだね」
どこか安堵したように柔らかい表情をして、アルティウスは椅子にもたれかかるように座った。
アルティウスもこの国の王子であるため、「嘆きの夜明け団」のことは知っていたようだ。教団の運営資金が国から出ているため、そのあたりの財政も詳しいのだろう。
「危ないことはしていない? 魔法を使うんだろう? 魔物と戦うことだってあると聞いた。……君は昔から剣術も武術も強かったけれど、心配だな」
「……今、アイリスから魔法を教わっている。それに今の暮らしは結構、気に入っているんだ」
突然、自分の名前が出て驚いたが、目の前にいるアルティウスはそうなんだ、といってアイリスの方をちらりと見て微笑んだ。
「僕は……君が生きていてくれただけで、それだけで良いんだ。教団の内部のことはあまり知らないけれど、教団の任務がどれだけ大変なことかは分かっているつもりだよ」
「……すまない。アルに会わないつもりで、片付けるつもりだったんだが……。迷惑をかけるようだったら、謝る」
「そんなことないよ。それに他の人には君達のことをちゃんと秘密にしておくし。……でも、王宮魔法使い達は動いているだろうね。何せ先程、不審な人物が二名、王宮に侵入しているって情報が入ったから」
「……」
アイリスとクロイドは顔を見合わせる。先輩二人のことだと思うが、まだ捕まっていないようだ。
「あの……。王子様に意見するのは失礼だと分かっているのですが……」
アイリスはそっと口を開き、アルティウスの顔色を窺いつつ、言葉を続ける。
「テロール子爵から献上された魔具を私達が持ってきた他の宝石と交換したいのですが、出来るでしょうか?」
一か八かの賭けだ。彼の口から断りが出たら、その目を避けて、強引な手段になるがどうにか自分達だけで魔具を回収するしかない。
しかし、王子であるアルティウスなら、それが簡単に出来そうな立場にいる。
「ああ、出来るよ」
即答だった。思っていたよりも早く返って来た答えにアイリスはつい、瞳を瞬かせつつ驚きの表情を浮かべてしまう。
「確か、青い雫型の石が付いた綺麗な首飾りだよね。今は執務室の保管場所に一時的に置いてあるから、記録書を書いてから宝物庫へと運ぶんだ」
どうやら読みが当たっていたらしい。
「奇跡狩り、だっけ。確か、王族でさえ奇跡狩りを止めることは許されないって随分前にだけれど、聞いたことがあるよ。君達の任務はその奇跡狩りと呼ばれていることだろう?」
何とも物分かりの早い王子だ。
頭の回転の早さはクロイドと同じくらいに良いのかもしれない。
「……協力してくれるのか? 国王に献上された物なんだぞ?」
「構わないよ。国王は宝石には興味ないからね。……貴族達がどうにか国王の気を引こうと頑張っているみたいだけれど、あの人はそういう事は嫌いな人だから」
兄弟揃って、自分達の父親の事を「国王」と呼んでいるのにはどこか引っかかったが、それでも彼らが国王に対して一歩引いた姿勢でいるのは感じ取れた。
「……そうだったな」
納得するようにクロイドも椅子の背に身体を預ける。
「君達に任せられた任務に、僕が協力するのは全然構わないんだけれど」
そこでアルティウスが身体を起こして、少しだけ前のめりになる。
「ロディにお願いがあるんだ」
「……何だ」
アルティウスは笑顔だが、その笑顔の奥があまり読めなかった。一体、彼は何を考えているのだろうかと思っていた次の瞬間、彼の口から言葉が零される。
「明日、半日だけでいいから『王子』になってくれないかな?」
笑顔のアルティウスから告げられた言葉に、アイリス達は一瞬だけ思考が停止しかけていた。