サンドウィッチ
白く長い壁が延々と続き、外から降る太陽の光が反射して、廊下を歩いているだけにも関わらず、自分が立っている場所が眩しく感じられる。
どの場所も隅々まで掃除してあるため、塵一つ落ちていない。同じような廊下を渡り、クロイドに中庭へと連れて行ってもらった。
人払いがしてあるのか、中庭は本当に人の気配がしなかった。
柔らかな芝生が広がり、季節の花々だけではなく、木々も揺らめいている。
薔薇を育てているのか、垣根のように作られている薔薇の壁はアイリス達の背よりも高かった。
その庭園とも呼べるような場所の真ん中に「温室」はあった。
ガラスを使い、それを家のように組み立てているらしい。温室は外から見ても素敵なものがたくさん詰め込まれた宝箱のような華やかな場所だった。
「……温室の中には花だけではなく、この王宮で使う薬草なども育てられているんだ」
周りに人がいないか注意深く見渡しながら、クロイドは温室の扉へと手をかけて、ゆっくりと開けていく。
ふわりと甘い花の蜜のような匂いと、草木の爽やかな匂いが同時に鼻をかすめる。
「暖かい……」
「天井もガラスで出来ているから太陽の光が室内に溜まっていくんだ。夏場になると、熱中症になるくらい暑くなるぞ」
扉を静かに閉めて、迷うことなく木々で出来た道を通ると、開けた場所にテーブルと長椅子が二脚並べてあり、長椅子にはアルティウスが書類を手にしたまま座っていた。
テーブルの上には彼の食事が並んでいる。
アイリス達の足音に気付いたアルティウスが顔を上げて立ち上がった。
彼の表情は信じられないものを見ているのに、それでも嬉しさが込み上げ、今にも泣き出しそうなくらいに少しずつ歪んでいく。
「……本当に、ロディなんだ」
「……ああ」
それは一瞬だった。アルティウスが勢いよくクロイドへと抱きついたのだ。
「よ、よか……良かった……。 生きて、いてくれて……」
強くクロイドの身体を抱きしめつつ、アルティウスは子どものように涙をぽろぽろと零す。
躊躇うことなくクロイドを抱きしめ、そして涙を流すアルティウスの姿を見て、気が抜けたのか彼の顔もやっと和らいだようだ。自分の腕をアルティウスの背中へと回し、そっと包み込む。
……それもそうよね。死んだと思っていた身内が生きていたんだもの。
自分の場合に置き換えてみれば、嬉しい話だろう。
暫くの間、二人は抱きしめ合っていたが、アイリスの視線に気付いたのか気まずそうにお互いは離れていき、そしてどこか照れくさそうに笑い合った。
「そちらの女性は?」
「今は同じ場所で仕事をしている相棒だ」
躊躇なく「相棒」と呼ばれたことに、嬉しさと同時に少し寂しいものも混ざった気がした。
「初めまして、アイリスと申します。今はイリスと名乗っていますけど」
そういえば貴族間で挨拶する場合には、もっと仰々しい感じに挨拶をすると思うが、目の前にいるのは王子様だ。
このような場合の挨拶の仕方はどうすればいいのかは知らない。
「初めまして、アイリスさん。僕はアルティウス。ロディ……じゃなくって、クロディウスの弟なんだ」
泣き腫らした瞳を指先で弾きつつ、一般人のように軽やかに、そして穏やかに彼は挨拶する。
爽やかな笑顔はいかにも、良家の子息といった雰囲気で、自分が知っている貴族達と比べ物にならないほど、良い人そうに見える。
「ねえ……。私、お邪魔ならどこかで待っているけれど……」
クロイドの方に視線を移しながら訊ねるとアルティウスは笑って首を振った。
「全然、構わないよ。むしろ、今のロディの話が聞きたいから、君には居て欲しいな」
「……何を聞くつもりだ」
「今は何をしているのかとか、普段の君はどんな感じなのかとか。それに──どうして君は死んだことになっていたのか、とか」
アルティウスの言葉にクロイドは小さく目を見開き、諦めたように伏せて、溜息を吐いた。
「そうだな。お前にも聞く権利はあるもんな」
クロイドは長椅子へと腰掛け、アイリスにも座るように目配せしてくる。
「アイリスさんもどうぞ座って下さい。──すいません、ちょっと待って……。ああ、あった、あった」
花壇の近くに木製の棚が置かれており、アルティウスはそこからティーカップを二つ用意して、自らティーポットを持ち、お茶を注ぎ始める。その姿をアイリスは遠慮なく眺めていた。
本当にクロイドが二人いるみたいだと思う。
性格はあまり似ていないようだが、もしかすると自分が知らないだけでクロイドもアルティウス程、明るい性格をしていたのかもしれない。
「でも、本当に嬉しいな。あの時、他の大人達は口を揃えて、君は死んだって言っていたけれど、僕はきっと、ロディは生きているって信じていたから……」
涙ぐみながらも、ティーカップを二人の前へと出す。
「……まあ、あの時は大人の事情とやらで、俺はいないことにした方が、都合が良かったんだろう」
「でも、だからって、君を死んだことにするなんて、僕は許せない」
昼食はサンドウィッチなのか、大皿に綺麗に盛られており、アルティウスは小皿を三枚取り出して、アイリス達の前にも一皿ずつ置いていく。
「昼食がまだ済んでいないようなら、一緒に食べてくれ。一人だとこの量は食べきれないからね」
クロイドに目配せすると、彼は穏やかな表情で頷き、自らもサンドウィッチを手に取る。
遠慮しなくていいなら頂こうと、アイリスは卵とハムの入ったサンドウィッチに手を伸ばした。
「いただきます」
そして、一口食べてからすぐに分かってしまった。
この味を自分は知っている。何故なら以前、クロイドが自分に作ってくれた味と全く一緒だからだ。
思わず絶句していると、アルティウスがサンドウィッチを頬張りながら首を傾げる。
「お気に召さなかった?」
「あ、いいえっ。ただ……凄く、美味しくて」
「それは良かった。ここのサンドウィッチしか食べたことないけれど、僕は小さい頃からこの味が凄く好きなんだ。そういえば、随分前にサンドウィッチが好き過ぎて、ロディと一時期はまって、毎日のように食べていたら周りから怒られたっけ」
アルティウスは懐かしむような口調で、静かに笑う。アイリスもつられるように笑ったが、それ以上は言えなかった。
クロイドが作ったサンドウィッチと同じ味だと。
ふと、視線だけクロイドの方へと向ける。ただ、穏やかな表情はアイリスの知らない兄の顔をしていた。
……あなたは忘れずにいたのね。
この味も、アルティウスとの思い出も。
「それで、どうして君が死んだことにされたのか教えてもらってもいいかい? 当時のことを僕なりに調べようとしても、周りがその証拠を全て上手く隠して教えてくれないんだ」
「……それがお前のためになるからだろう」
「それはそうかもしれないけれど……。でも、僕はもう嵐で泣くような子どもじゃない。……母上のことだって、そうだ。周りはずっと隠してばかり。あの日、あの夜、何が起きたのか僕は知りたい」
それはただ好奇心でそう言っているのではなく、切実に心から願っていることだったのだろう。
真実は何か。
アルティウスはまだ、あの嵐の夜のことを知らされていない。
だが、それでも彼は知りたいのだ。自分の身の知らないところで、「何か」が起こっているのだから。
「……少し、辛いかもしれないが、本当にいいんだな?」
クロイドが紅茶を飲む手を止めて、アルティウスの瞳を真っすぐと見る。彼は挑むようにはっきりと強く頷いた。