進む先
「それからすぐに衛兵が駆け付けたが、間に合わなかった。母上は──最期に俺の手を取って、守れなくてすまないと……そう言って息を引き取ったんだ」
「……」
沈みゆく太陽のように彼の様子もまた、深い場所へと沈んでいくようだった。
「国王も弟もひどく嘆いていた。特に国王は暫く政務に手が付かない程の落ち込みようだった」
自分がブレアに引き取られ、イグノラント王国の首都ロディアートに来たばかりの時期にはすでに、この国の王妃と王子が病死したという出来事は国全土へと広まっていた。
半年近くの間、国民達は皆、喪に服していたのを覚えている。
だが何故、生きている彼を死んだことにしたのか、その理由は国民には公表されてはいなかった。
「……魔犬が去ったあとにすぐ、俺は王宮魔法使いのもとへと連れていかれた。そこで、言われたんだ」
──クロディウス王子は魔により呪いを受けられている。
「その時、俺は呪いとはどんなものかは分かっていなかった。だって、見えないのに呪いだなんて、どうやって分かるんだって。……でも、さすがは王宮魔法使いどもだ。俺の中にある魔力に新しい力が注ぎ込まれているのをすぐに気付いていた」
「……それが魔犬化する呪い……」
アイリスの言葉に続くようにクロイドは頷く。
「呪いを受けた王子なんて、世間からしてみれば外聞が悪い。それにこの髪色と瞳ときたもんだ。まだ、13歳に満たなかった俺と弟は国民の前に姿を現す行事がなかったから、この姿を知っている人間は限られていた」
「だから……あなたを死んだことにしたっていうの」
まさかと言わんばかりにアイリスの瞳が揺らぐ。クロイドは曖昧な表情で頷いた。
「……それからは空っぽのような日々だった。弟にさえ自分は死んだことにされ、父親からは冷めた目で見られた。それもそうだろう。自分の妻が目の前にいる子どものせいで死んだのだから、堪ったものじゃない。恨まれても仕方ないと思った」
声がやがて小さくなり、かすれたようにさえ聞こえる。
「そんな日々を送っているうちに、王宮から追い出された。もう、二度と姿も見たくないと言っているようなものだろう。俺はその時、名前を今の名前へと変えさせられ、身分を隠され、そして田舎の教会へと預けられた」
そこで以前、ミレットから聞いていた話と繋がって来る。
「国王からの連絡などはもちろん来ることはなかった。そのうち、俺の事情を知る王宮の人間がやってきて、国王に対して自分はこの教会で死んだことにすると告げられた。でも、その方が良いんだって、子ども心に悟っていたのかもしれないな」
自嘲するように乾いた笑いがクロイドの口から零れ落ちる。
「……俺は全てを隠し、新しい自分として教会で生活し始めた。その時に生活する上での様々なことを学んだよ。……それでも日々は淡々と過ぎるだけで、心の中には罪悪感だけが募っていった」
クロイドが、料理が上手い理由は教会で身に着けた技術なのだろうと言わずもがな察した。
その技術は彼が王子ではなく、ただ個人として生きるために必要なものだったのだろう。
「教会の人間からは神父を目指してみないかと言われたこともあった。その時の俺は孤児扱いだったからな。でも、神に仕えたとしても母上を殺してしまったという咎は決して消えないって知っていたから……いつも断っていた」
「孤児扱い……」
「その教会は教団に深く関わりがある場所だったんだ。だからそこには、魔物によって家族を失ったり、一時的に預けられていた子どもが多く住んでいた」
イグノラント王国にはたくさんの教会があるが、そのほとんどはこのサン・リオール教会の支部ばかりだ。
教会を活動拠点にすることで、魔物討伐や現地調査などが行いやすいような仕組みになっていた。
「……でも、それはある日、突然終わったんだ」
「え……?」
空気が不穏で重いものへと変わる。
「満月の夜だった。多分、呪いを受けてぴったり4年目の時期だったと思う。15歳になった俺の身体に異常が起きた」
つまり、約一年くらい前のことだ。
「力の抑えが効かなくなり、自我が保てなくなった。……その時、初めて魔犬化したんだ」
「っ……」
「魔犬化していた間の記憶はほとんどない。ただ、ふと我に返った時、自分の身体はぼろぼろで、教会の建物を半壊していた。そして……教会の人間や子ども達を知らずのうちに襲っていたんだ」
クロイドは自分の両手を見つめる。小刻みに震えるその手の感触は味わいたくはないものだったはずだ。
「皆、血が出て傷だらけだった。幸いにも重傷はおらず、死人も出なかったが……。俺を見る目は恐ろしいものや恨むものを見ているようだった。自分に自覚は無いにしろ、これ以上ここには居られないと思ったが……その時、俺を討伐に来ていたブレアさんの知り合いが、俺を引き取ることになったんだ」
当時は確か、ブレアはすでに魔具調査課の課長になっていたはずだ。1年前の魔物討伐課にいるブレアの知り合いなら、力が強いうえに信頼できる人は数人いた。
クロイドを引き取ったのはその中の一人だろう。
「それからは暫く、魔犬の呪いの力を制御することが出来るようにと、匿って貰っていた人から特訓を受けていた。……そして先日、教団の監視下に置かれるが決まり、入団したんだ。あとはアイリスが知っている通りだ」
全てを話し終わったのか、クロイドはふっと息を吐く。夕方の色だった空はいつの間にか夜の色へと変わっていた。
「これが俺の全てだ。……面白くとも何ともないだろう?」
「面白いわけがないじゃないっ!」
反論するようにアイリスは噛み付く。そして、少し背伸びするようにクロイドの首へと腕を回し、抱きしめる。
「そんなの、笑って言えるようなものじゃないわ。……どうしてあなたまで……その気持ちを知っているのよ。どうして、それほど淡々としていられるの。私はずっとずっと、魔犬を恨んで仕方がなかったわ。絶対に復讐してやるって、それだけを生きがいにして今まで生きてきたっていうのに、クロイドはどうして自分ばかりを責め続けていられるのよ」
捲くし立てるようにアイリスは思っていた感情を引き出す。言葉はいつの間にかかすれて、瞳から涙が溢れだす。
彼の痛みを味わうことは出来ない。でも自分はその痛みを知っている。クロイドは自分の知っているそれ以上の痛みを持って、今まで生きてきたのだ。
「……元々、自分の生というものに、こだわったことがなかった。強く、生きたいなんて、願ったことがなかったんだ」
クロイドはアイリスの身体に腕を回し、そっと抱き締め返してくる。
「王子という身分だったが、俺の代わりはいると分かっていた。それよりも、俺が存在するせいで迷惑をかける人の方が多いと思っていたんだ。だから、呪われたこの身で笑うことも嘆くことも許すことが出来なかった」
その言葉にアイリスは一つのことを思い出す。
以前、クロイドが自分の前で魔犬の呪いを受けていると告げた時、彼は自分自身を戒めていたことを。
「それでも構わなかった。恨まれて、憎まれることが当たり前で、それが自分に与えられた罰と咎ならば、そうやって生きていくしかないって。そう、思っていたんだ──」
抱き締める腕の力がふいに強くなる。
「でも、出会ってしまった。……自分の甘い考えさえも吹き飛ばす程の強い意志に、出会ってしまったから、もういつまでも受動的ではいられないと思ったんだ」
低い声でも分かるほど、震えていた。
でも、それは嘆きを表すような震えではない。抑えていなければ零れてしまうほど、強く意志を持ったもののように思えた。
「アイリス。君に出会ってしまったから、自分ももう……いつまでも魔犬の被害者ではいられないと思ったんだ」
「……」
「魔犬を倒し、仇をとる。それだけを強く生きるための目標として、ここまで気高く生きられるのだと知った。そう知った時、今の自分の姿を見て、妙に笑えてしまったんだ。自分が迷惑をかけて傷つけてしまった人達がいるのに、それでも俺はどこか被害者面をしていたって気付けた。その時やっと、自分が真っすぐと生きるための意志を見つけたんだ」
「それは、なに……?」
胸に顔を預けていたアイリスは顔を上げて、息を吸う。そこには先程とは違った表情のクロイドがいた。
「俺は人々を苦しめてしまうこの呪いを解きたい。普通の身になりたい。そして、魔犬の被害がこれ以上出ないように、いつか魔犬を討ちたい。……君の感情に触れて、初めてそう思ったんだ」
穏やかだが、強く決意した表情は生き生きとしているようにも見えた。
だから、彼は約束してくれたのだ。
いつか一緒に魔犬を倒し、呪いを解こうと。
「……俺はこれからも魔犬の呪いを恐れながら生きていくしかない。誰かを傷付けてしまうかもしれない。君を……苦しめてしまうかもしれない。それでも、生きて、戦い抜くことを許してほしい。一緒にこれからも隣に立つことを認めてほしいんだ」
アイリスは彼の胸に耳を当て、鼓動を確認するように目を閉じた。同じ感覚で脈を打ち、確かに生きているのだと告げるそれは、紛れもなく自分と同じものだ。
「当り前よ」
クロイドを下から見るように顔を上げたアイリスは不敵に笑う。
「私一人じゃ、勝てないもの。……クロイドの力も必要よ。絶対にこの約束を果たすまで、一緒に居てもらうからね」
確認するように答えつつも、その返答は聞かなくても分かっている。
ありがとう、と言う言葉の代わりに再び強く抱きしめられた。
「……明日から、王宮での任務が始まる。過去の自分から旅立つには、あの場所は俺にとっては苦行に等しい場所なんだ。もしかすると足を引っ張ってしまうかもしれないが良いだろうか?」
「勿論。お互いの欠点を補うために、こうやって相棒をやっているんでしょう?」
だが、彼にとって王宮は魔犬に襲われ、母親が殺された場所だ。精神的に辛いことが多いだろう。
「……最初に出会えたのが君で本当に良かった」
頭上で聞こえた彼の声がどこか曇っているように聞こえた。
これはある意味、クロイドにとっては試練なのかもしれない。
過去を越えるために、次へと進むためには必要なものなのだろう。
……でも、もうこれ以上、自分を咎めないで。
先へ進むと決めた彼にとって、過去は拭えないものだと分かっている。人を傷付けたことに変わりはない。
それでも、もう二度と魔犬の被害を出さないために動き始めたクロイドの意志を止めないで欲しい。自分と同じで彼の時間はやっと動き出したのだから。