水宮堂
大通りから離れた「猫の小路」と呼ばれる路地に、店の見た目は骨董屋にしか見えない「水宮堂」は静かに佇んでいた。
地元の人間でも店の存在を知っている者はいても、入ろうとする者は中々いないだろう。
まず店がある場所が路地の中だけでも怪しいのに、更に店の窓は少しくすんだ色で、店内をはっきりと見ることは出来ない。店にある唯一の扉の取っ手は金色だが、何か細やかな彫刻が刻まれ、扉も時代を感じる程に所々が汚れて古びたものとなっている。
見た目がかなり古く、怪しく見える店なのだ。ただし、一部の人間以外を除いては。
アイリスが躊躇うことなく店の扉を開けると、扉に付いている鈴が微かな音を鳴らす。
それに気付いたのか、店の奥から店主であるヴィルヘルド・ラクーザが顔を出した。
「おや? アイリス嬢ではございませんか。以前、注文なされた品をお求めに?」
整えられていないボサボサの茶髪の頭にくすんだ色の頭巾を被り、細い目を数ミリだけ開けてヴィルはにやりと笑う。
元々、細目なのだが、嬉しい時――つまりは彼が恋焦がれているミレットと一緒にいる時はその瞳は更に細められることをアイリスは知っている。
「ええ。この前は持ち合わせが無くて、売約して頂いたけれど、本当に良かったのですか?」
「まぁまぁ。アイリス嬢にはいつもご贔屓にして頂いてますんで」
いつからだったか、ヴィルはアイリスのことを「アイリス嬢」もしくは「お嬢さん」と呼ぶようになっていた。他の女性のお客に対してもそのような呼び方だが、想い人であるミレットに対しては「ミレットちゃん」と呼んでいるため、やはりヴィルにとってミレットはかなり特別な存在なのだろうと改めて認識する。
ヴィルはカウンターの下から小さな包みを取り出し、丁寧に布を広げて行く。
「かの鍛冶屋でもあり、魔法使いでもあったオルボール・シトリアンの最後の作品と言われている『戒めの聖剣』でございます」
いかにも良いところの店の店主のような口ぶりで、彼はちょっとだけすましながら、目の前に置いた品について口上を述べる。
アイリスの目の前に置かれた短剣の刃渡りは二十センチくらいで、鞘には蔦模様の装飾に青い石が埋め込まれていた。
「オルボールの作品は見た目が地味過ぎると言われることから、作品を集める収集家の方は少ないですが鍛冶屋としての腕は確かで、それまで彼が作り上げてきた魔具や剣の価値はかなり高いですな」
アイリスは短剣を取り、鞘から刃を抜いてみる。ヴィルが買い付けて来る前に、この短剣は誰かに使われていたはずだが、刃こぼれ一つ無い真っ直ぐな刃は不思議な力でも宿っているように光を反射させている。
「凄い……。迷いなく何でも斬れそうなくらいに、輝きが澄み渡っている……。まるで狼の目のような刃だわ……」
思わず、うっとりとアイリスが短剣を眺めながらそう言うと、何故かヴィルは満足そうに頷いていた。
「オルボールの魅力が分かるとは、アイリス嬢はやはり他の魔法使いとは違いますな」
「え?」
「オルボールはあまり豪華絢爛な剣を打ちません。外の鞘は控えめに、しかし剣を抜くとまるで隠されていた鷹の爪のように一気に力が顕現するのです。その魅力が分かるとはさすが魔具調査課に選ばれたわけだ」
彼は何度も満足そうに頷きながら褒めてくれるが、その最後の一言にアイリスは疑問が浮かんだ。
「……え? あの……今、魔具調査課に選ばれたって言いました?」
「言いましたが、それがどうかしたんですかい? ……ああ、あなたがそこに異動なさった事ですか? それならミレットちゃんから……」
「そこじゃ、ありません。あの……以前、同じ課に所属なさっていた元先輩の方に対してとても失礼かもしれませんが、魔具調査課に異動になった者はお払い箱にされたって聞いたんですけど……?」
アイリスがヴィルの顔を窺うように訊ねると、ヴィルは細い目を一瞬だけ丸くして、それから少し間を置いて、彼にしては珍しく大声で笑い始める。
「えっ? あ、あのっ……すみませんっ! 失礼しました……」
「いやっ……。あはははっ! ……くっ。ははっ!」
ヴィルはひとしきり笑った後、涙を指先で軽く拭きながら答える。
「お嬢さん、それデマだよ。つまり、嘘さ。……どこの誰が言い始めたのか知らないけど、魔具調査課は決してお払い箱なんかじゃない」
「なっ……。ど、どういう事ですかっ?」
さらりと重要なことを言われた気がしたが、頭が追いつけないアイリスは眉を小さく寄せたままの表情で、カウンター越しにヴィルへと詰め寄る。
「きっと誰かが魔具調査課の人間に嫉妬して、嘘でも流して評判を落とそうとしたんだな……」
ヴィルの口調は、水宮堂の店主から元魔具調査課の先輩のそれに戻っていた。
店主である手前、彼は年下相手でも常に敬語で話しているが、砕けた口調をしている時はまるで後輩を心配するお兄さんのようだ。
「これはね、俺が所属していた時の課長から聞いたんだけどさ。……魔具の力を見極める目を持っている者、魔具の魅力に憑かれないくらいに己の心を強く持てる者、そして現場での行動力と判断力が高い者……と、まぁこれらの条件を合格している奴が上の命令で魔具調査課に選ばれることが多いらしいんだ」
年齢は二十歳くらいのヴィルだが、秘密を話す子どものように悪戯っぽく言った。
「そんなこと……初めて聞きました」
自分の中の何かが崩れて行く音がする。
抱いていたもの全てが、消え去るように。
「まぁ、知らない奴の方が多いだろうね。……だから、アイリス嬢。魔具調査課に所属している事を恥じる必要なんて一つも無いんだ」
まるで自分の心の中を知っていたかのようにヴィルは目を細めてそう告げる。
「お払い箱」にされたと思っていたアイリスは心の隅っこの方で、もしかしたら自分はもう必要ない人間となってしまったのではと感じていた。
魔力は無く、自分の取り柄は剣しかない。しかも「嘆きの夜明け団」は魔力を持つ者しか入る事が許されない領域。
それでも、やらなければならない事がある自分は教団を辞めて出て行く選択肢などなかった。だから尚更、自分がここに居る事を認めて欲しかったのだ。
アイリスは込み上げる思いを留まらせ、ヴィルの目を見て微笑む。
「……ありがとうございます、ヴィルさん」
後輩の不安を拭うことが出来たと感じ取ったのか、ヴィルは口の端を少し上げて頷く。
「あ、そうでした。この短剣っておいくらでしたっけ?」
「おっと、お会計がまだでしたね。七千五百ディール……だけど、おまけして六千ディールにしてあげよう」
「えっ? 良いんですか⁉」
アイリスが喜びを込めた瞳で顔を輝かせながらそう言うと、ヴィルはふっと表情を緩めた。
「新しい後輩の門出の祝いさ」
「……ありがとうございます」
深く頭を下げて、アイリスは財布から六千ディールを取り出して、ヴィルへと手渡した。
すると、そこでヴィルは自分達以外に店には誰もいないのに、声量を下げて小さく告げてくる。
「……出来れば、ミレットちゃんに今度の休みにどこか遊びに行かないかって伝えてくれるかい?」
なるほど、どうやらそのような思惑も含まれているらしい。
「一応、伝えてはみますけど、返事はあまり期待しないで下さいね?」
くすりと笑って短剣を受け取るとアイリスはベルトに短剣を下げて、着ているコートで外から見えないように隠した。
街中で今の時代に剣を常備していたら、警官に職務質問をされてしまうからである。
「またご贔屓にー」
ひらひらと手を振るヴィルにアイリスはもう一度、頭を下げてから店を出た。
その足取りは、この店に入る前よりも軽くなっていた。