嵐の夜
「王家の人間は俺以外、金髪なんだ。……俺だけが黒髪で、黒い瞳として生まれた」
それは彼が生まれた時から、始まっていたらしい。
赤子の時はそれほど気にならなかったが、成長するにつれてクロイドだけが髪と瞳が黒色で目立つようになったのだという。
王家の血筋を辿っても黒髪を持つ者はほとんどおらず、皆が金色ばかりであったため、当時は王妃の不貞が噂されることもあった。
だが王妃の人柄として、そのような事は決して有り得なく、またクロイドが少しずつ成長するとその面差しが現国王の若い頃へと似てきたことから、そのような噂はやがてなくなったという。
恐らく、王妃以外の女性を妻には迎えない国王と庶民出身の王妃への嫌がらせとして、そのような噂が年頃の娘を持つ貴族から出てきたのだろうという見解だった。
「そして、俺は持っていてはいけないものを持っていたんだ」
「……」
そこでアイリスがはっと顔を上げると彼は真面目な表情で頷いた。
「歴代の王家の者でさえ、持っていた者はほとんどいなかった。……魔力を持って生まれてしまったんだ」
あまり王家の血筋のことは知らないが、王家の人間は魔力を持つ者はいないため、彼らを守るために王宮魔法使いが仕えているのだと聞いたことがある。
エイレーンの時代辺りまで遡れば、魔力を持った王族もいたかもしれないが、現在の知る限りでは王族で魔力を持った者がいるとは聞いたことがなかった。
「容姿が黒髪と黒目だったこともだが、やはり魔力を持っていたことが、周りの人間から軽視される要因となったのかもしれない。王宮の人間は俺のことをどこか遠巻き……というよりも、腫物を扱うような態度だった。……まぁ、弟はそんなことお構いなしに、いつも遊ぼうと誘ってきたけれど」
ふっと彼が小さく笑う気配が聞こえた気がした。
クロイドの中に残っている穏やかな記憶を思い出したのかもしれない。
「何となく王宮内は居づらかったが、生まれた以上は王位継承権を持つ者として勉強や剣術と武術、馬術などを弟と一緒に磨いていったよ。……それでも、貴族達は自分よりも弟の方に王位を渡した方がいいって噂していたが」
どこか諦めを含んだ自嘲の笑みが空へと向けられる。
アイリスはそっと手に力を入れた。
「だが、母上だけは違った。俺がこんな容姿なのにいつも気にかけて……。父親でさえ、あまり自分と話そうとさえしないのに、母上は俺のことを心配してくれていたんだ。別に、俺だけが特別というわけじゃない。ただ、弟と同じように変わらずに接してくれていた」
少ない味方として、母親が常に気遣ってくれていたのも王宮内で穏やかな日々を過ごせた理由の一つだろうとクロイドは穏やかに笑った。
「これからも、侮蔑を含んだ目で見られることは分かっていた。でも、そうやって生きていくしかなかった。それしか自分は生き方を知らなかったから……。だから、王族として認めてもらえるように努力だけはかかさなかった」
「……」
彼の努力が今、実っているのだと何となく感じていた。
クロイドの運動神経が良いのも、勉強が出来てすぐに魔法が使えるようになったのも、物事の要領が良いのも、全て彼の幼い頃からの努力の賜物なのだ。
「でも、それが一瞬で無になったんだ」
柵に置いている手に自身の額を押し付けるように、クロイドは顔を伏せる。息を浅く、吐いては取り込んでいた。
アイリスはクロイドから手を離し、彼の背中を温めるようにそっとなぞりながら触れた。
「……あの日……。俺が呪いを受けた日……。確か、満月だったんだ」
喘ぐように息をしながら、一つ一つ思い出すように言葉を吐き出していく。
「でも、夜空なんて見えない程に真っ黒な嵐の夜だったのを覚えている。だから、魔物にとっては力がもっとも増幅する日だったんだ。……王宮の結界はその時、一瞬で割られたらしい」
「っ……!」
自分と被害に合った状況が同じだ。その日は数年に一度と言われたくらいの大きな嵐の夜で、後から調べて分かったが満月の日だったのだ。
もし、この状況が他にも魔犬の呪いをかけられた者と同じだったならば、何か新しい発見が出来るかもしれないと密かに思った。
「俺は嵐が怖くて自分の部屋の隅で布団を被っていたんだ。弟は一緒に寝ようと言ってきたが、その日は何故か断った。普段なら、すぐにいいよって返事をしたはずなのに、その日だけは……違ったんだ」
伏せっていた顔を上げて、夕暮れから夜の色へと染まり始める空の遠くを見る。その視線の先にあるのは、王宮の建物が見える方向へと続いていた。
「突然だった。窓ガラスが割られた音と一緒に『そいつ』はやってきた。最初は何が何だか分からなかった。ただ黒い影だけが見えて、それが立ったまま、こちらに向かって歩いてきたんだ」
あまりの恐怖にクロイドは動けずにいたという。これまで剣術や武術を習ってきてはいたが、いざという時に腰が抜けて全く動けなかったのだそうだ。
「そして、そいつは俺を見て、金色の瞳を光らせながら、こう言った」
──魔力も年も申し分ない。丁度いい、器になりそうだ。
「っ……! それは……どういう意味なの」
「分からない。ただ、そいつは笑っていた。暗闇だったが、夜目が小さい頃から利いていた俺にははっきりと見えた。大きな歯がずらりと並んでいた」
どの特徴も自分が見た魔犬と一緒だ。
だが、それよりも驚きだったのは魔犬が話した言葉だった。
「奴が俺に近づいてこようとした時、部屋の扉が勢いよく開いた。そこには驚いた表情をした母上が立っていた。母上はすぐに、壁に掛けられていた剣を抜き取ると、俺の前に立ちふさがってくれたんだ」
クロイドの母は背で庇いながらも、彼を励ましたのだという。
すぐに衛兵が来るから、大丈夫。それまでは絶対にあなたに指一本触れさせたりしない。だから、早く逃げなさい、とクロイドの母は言った。
だが、クロイドは恐怖で動けずにいたため、彼の母が盾のように守ってくれたのだ。
「それでも、母上はただの人間だ。特別、魔物討伐の技を得ているわけじゃない」
魔犬から攻撃を受けるたび、母親は傷ついていったという。それでも立ち上がっては、クロイドを守ろうと必死だった。
そこに彼女の親としての愛が溢れていると知った彼はどんな気持ちだっただろうか。
「母上の持つ剣が魔犬に跳ね返されたその時、母上は隠し持っていた短剣を懐から素早く出し、魔犬の胸へと刺したんだ」
「……! それは、効いたの……?」
だが、クロイドは首を振った。
「あいつは……魔犬はただ、笑っていた。まるで小物を見るような瞳で、母上を見下して、そして……」
そこでクロイドは自分の口を押える。
「クロイド!」
思い出したことによって、気分が悪くなったのだろう。アイリスは背中を強くさすった。
「……大丈夫だ。すまない」
息を整えるように深呼吸して、再び顔を上へと向ける。
「そして、長く大きな爪で、母上の身体を切り裂いた」
「っ……!」
その瞬間、アイリスも自分の家族の身に起きた光景を思い出してしまう。
身体を引き裂かれた母と幼い弟と妹。血によって染められた真っ赤な絨毯。喉を潰されるように握られ、宙に浮く父の身体。
暗闇に光る金色の瞳と、見下した表情に浮かぶ不気味な笑み。
自分は全てを知っている。
クロイドと同じ経験を、感情を全て知っていた。
「俺は震えながらもすぐに母上を庇うように魔犬の前へと飛び出た。正直、何を考えていたのかあまり覚えていないがこれ以上、母上が傷つくのを見たくなかった。……腰抜けだったのに、母上が死にそうな間際でやっと、抵抗する力が出たんだ。自分でも本当に笑えると思うよ」
「──笑えない」
肩へと手を置き、アイリスは涙を溜めながらまっすぐとクロイドを見る。
「笑えない。そんなの、笑えることじゃないわ。私だって、同じ状況で動けなかったもの」
「……でも、俺のせいで母上を殺してしまった。それは変わりないんだ」
クロイドは静かに目を伏せて、短く息を吐く。
「その後、魔犬は俺へと手を伸ばしてきた。抵抗する術を知らない俺はどうすることも出来なかった。そして、また奴は笑った」
──俺を恨め。そして憎め。その心が糧となる。お前にかける呪いはお前の人としての人生を狂わせる。この呪いは自らへの呪いだ。その身を侵す呪いには抗えない。ただ、生きる上での枷となり、そしてお前の咎となる。
「まるで魔法の呪文のようだった。奴はそう言って、俺の左肩へと歯を立てたんだ」
クロイドはそう言って、服を少しだけはだけさせる。
左肩に獣が噛んだような痕がはっきりと残っていた。
「奴から流れ出るように溢れた呪いが身体中に熱く駆け巡った。あまりの痛みに呼吸すら出来ない程だった。それでも、苦しみによってもがく俺を見下ろしながら、奴は何事もなかったかのように王宮から去っていった」
──時が来て、お前がその呪いに耐えられたら、迎えにこよう。新しき、我が器として。
そう言い残して魔犬は姿を消したのだという。