過去
夕方、王宮に潜入し、魔具を回収するための計画をユアン達と一緒に立てたが、その際もクロイドは何かを思い詰めたような表情のままだった。
情報課のミレットの協力も得て、明日から王宮で働く「使用人」として潜入する算段を彼女が整えてくれたおかげで、上手く王宮内に潜り込めそうとのことだ。
ちょうど、授業が休みの日に潜入が重なったため、ミレットも王宮内の情報を得たいがために潜入したいと申し出ていたが、さすがに危険も伴うので断っておいた。彼女の知的欲求には底がないようだ。
王宮に潜入するための作戦会議の後は夕食をいつものように食堂で食べ終え、明日の準備をするために寮の自室へと戻ろうとしていた。
しかし、戻る途中でクロイドに話しかけられ、現在は教団本部の屋上に二人で佇んでいるのだが、お互いに一言も喋らないという状態が続いていた。
「……」
背中を見ているだけでも、彼が何か複雑なことを話そうとしていることは分かっていた。だが、中々、言葉を出そうとはしない。
伝えるだけでも、きっと彼にとっては重荷のはずだ。だから、自分は待てばいい。
アイリスはすっとクロイドの隣へと立つ。
燃えるように赤い夕日が、峰へと沈もうとしていた。
視線の先に広がるロディアートの街並みは、ところどころに灯りが付いており、まるで一枚の風景画のように見える。
「……この前も、こうやって一緒に夕日を見たわね」
少しだけ懐かしむようにそう言うと、隣からふっと息が漏れるような気配がした。クロイドが笑ったのだろうか。
「あなたに貰ったこの石、ずっと付けているのよ」
襟を少し乱しつつ、首に下げている黒く輝く石を取り出す。指先で触れながら、アイリスは穏やかに笑みを浮かべた。
「私、誰かに贈り物を貰うの、初めてだったの。……凄く嬉しかったわ」
屋上の柵に置かれていたクロイドの手が微妙に震えたように見えた。
「……俺はいつも、アイリスからたくさんのものを貰ってばかりだったから」
「そうかしら? ……私だって、あなたに色々と気付かされたことばかりよ」
ちらりと横目でクロイドの顔を窺うと、その瞳は何故か濡れているようだった。
その憂いた横顔さえも美しく思えてしまい、今の雰囲気にはこの感情は不謹慎だと自分を戒めるためにクロイドから視線を逸らした。
「……今回の任務、嫌なら断ってもいいのよ? 私だけでも手伝いには行けるし、あなたは休んでいても……」
「違うんだ」
はっきりと遮ったのは強い意思が含まれた言葉だった。
思わず驚いて、仰ぎ見るようにクロイドの方へと身体ごと向ける。
「違うんだ。……嫌とか、そういうものじゃない。ただ……」
「……ただ?」
まだ、彼の手は震え続けていた。色も白く見える程、その手は冷えているように見えて、アイリスは思わずその手を掴んだ。
「っ……」
本当に冷たい手だった。熱を無くした手を温めるように、アイリスは自分の両手を重ねて、握りしめる手に力を入れる。
「……ありがとう」
クロイドがこちらを振り返った気配を感じて、頭を上げる。
ただ、穏やかで、今にも泣きそうな表情がそこにはあった。
「……ずっと、言わなければと思っていたんだ」
「……」
決意したのか、ふっと深い息を吐く。
「どうして、自分が……魔犬の呪いをかけられたのか、どうして自分がここにいるのか」
彼が魔犬からかけられた呪い。それは呪いをかけられて13年の月日が経つと自らも魔犬となってしまう呪いだ。
「俺がこの呪いをかけられた時、母親は死んだ」
「っ……!」
突然の告白に、アイリスは唇を噛んだ。彼も自分と同じように家族を失くしていたのか。
「だが、これは俺のせいでもある。……いや、俺のせいなんだ」
「……どういうこと?」
脈打つ鼓動を表に出さないように抑えつつ、出来るだけ冷静を装いながら話の先を訊ねる。
「さっき任務が嫌かと聞いただろう? ……俺はこの任務が、気が進まないんじゃない。ただ……怖いんだ」
「怖い? 何が?」
「王宮というよりも、それに関わる全てが」
クロイドはアイリスから視線を外し、再び夕暮れとなった空へと視線を移す。
そして軽く瞳を閉じてから、アイリスの手を一度離し、今度は自らその手を包むように握り返してくる。
「──俺はこの国の王子だったんだ」
「え……」
何を言ったのか一瞬、理解出来なかったアイリスは眉を寄せる。確かに言葉は耳に入って来たのに、理解するための頭が追いついてきていなかった。
もちろん、彼が嘘をつかない性格であることは分かっている。分かっているのに、告げられた言葉の意味が想像以上のもので、飲み込むまでに時間がかかった。
「クロディウス・ソル・フォルモンド。……それが俺の本当の名前だ」
「……」
『ソル・フォルモンド』は王家の名前だ。それは間違いない。
そして、『クロディウス』という名前にも聞き覚えはあった。
「……王子、クロディウス第一王子は数年前に病気で亡くなったって聞いたけれど」
とても有名な話だ。この国の人間なら、知らない者はいない。
現国王には、二人の王子がいた。その子どもは双子で両方男児だった。
だが、数年前に王妃と双子の兄である第一王子は急病で亡くなったと聞いて、国中が驚きと悲しみに暮れていたことは幼かった自分も当時を理解していた。
「正確には死んだということにされていた」
「……どういうことなの」
その時、一瞬だけ彼が自嘲の笑みを浮かべたような気がした。彼自身の全てを嘲笑うような笑みは、アイリスの瞳には悲しみの表情として映っていた。
そして、クロイドは自分の身に何が起きたのかを思い出すようにそっと語り始めた。それまで、彼がずっと心に抱いていたことを明かすように。
静かに、穏やかに、語り始めたのだ。




