動揺
「く、クロイド……?」
恐る恐る声をかけてみる。
肩に手を触れるとクロイドははっとしたように我に返り、目を丸くしたままアイリスの方へと顔を向けてきた。
「あ……」
まだ呼吸は整っておらず、口はぽっかりと開けられたままだ。
「……クロイド、無理はするな」
一連のクロイドを見ていたブレアが眼鏡を指先で持ち上げながら静かに諭すように呟く。
「まだ、焦らなくていいぞ」
「いえ」
深く息を吐いてクロイドは呼吸を整え始める。
「やります。やらせてください」
「だが……」
そこまで呟き、ブレアは言葉をのみ込む。そして、観念したように溜息を吐き、頷き返した。
クロイドは目の前にいるユアンとレイクの方へと向き直る。二人は何が起きたか分からないという顔でお互いの顔を見合わせていた。
「……すいません。王宮へ潜入すると聞いて、取り乱してしまいました。……二度も行くような場所じゃないですから、驚いてしまって」
無理やり笑みを作るクロイドはどこか知らない人のように見えた。
そして、彼の言葉に何故か妙に引っかかる部分があったが、その違和感の正体を見つけることは出来なかった。
「大丈夫か? ……手伝って貰えるなら助かるけど、無理だけはしないようにな」
心配しているのかレイクが顔色を窺っている。
「はい、大丈夫です。……未熟者ですが、先輩達のお役に立てるように頑張りますので」
クロイドの言葉にレイクの瞳が突然、ぱっと輝いた。
「い、いま……先輩、と言ったか?」
「え? あ、はい」
「ふっ……。先輩か……悪くないな……」
レイクの口元が緩み、にやりと笑う。
先輩呼びされたのが余程、嬉しかったらしい。
「あらら。……嫌よねぇ。自分よりも身長が低いのに態度が大きい先輩なんて。あ、私の事はユアン先輩って呼んでね!」
「おい、お前もちゃっかり、先輩風を吹かせているじゃねぇか」
「あんたよりは十分、見た目が先輩だもの~」
「何だと、この野郎!」
再び喧嘩を始める二人を困ったような表情で眺めながら、クロイドは苦笑いしている。
そこには先程見てしまった、全ての終わりを告げられたような表情は浮かんでいない。
クロイドの視線がふと、こちらを向いた気がした。彼は言葉を呟くために口を動かそうとしたがすぐに閉じて、目を逸らす。
自分に何かを伝えたい、そんな感じにも見て取れる。
……いつか、聞けるのかしら。
クロイドの事は好きだ。それは相棒として、そして異性として。
でも、自分は彼の事はほとんど知らないと言ってもいいだろう。
まだ、出会ったばかりの頃に、いつか自分の事を話したくなったら聞くと約束したことがある。
それを彼は覚えているだろうか。
聞きたいけど、聞けない。
それがもどかしくて、どうすればいいのか分からなくて。
……私はどんな話でも聞きたい。どんなクロイドでも受け入れたい。
「ほら、そろそろ報告は終わりだ。作戦会議は授業から帰ってきた後だ」
ブレアの声に一同は、ぴたりと喧騒をやめて、そちらを振り向く。
「えー……。任務から帰ってきたばかりで、授業に出なきゃ駄目ですか?」
「当り前だ。お前達は仕事が本分だと思っているだろうが、学業と両立してこそ、完璧な人間に近づくんだぞー」
「つまり、学業と仕事を両立しつつ、あの学園を卒業したブレア課長は完璧な人間であると」
すると、ブレアは考え込むように顎に手を置く。
「……晴れの日はよく授業を抜け出して、屋上で昼寝をしていたな」
「駄目じゃないですかー!」
からからと笑いながらユアンは腹を抱える。
「息抜きも必要だったんだよ。今の学園より、昔は堅苦しい所だったからな。……それにお前達、授業を休みがちだと、卒業出来なくなるぞ? もう一度、同じ学年をやりたいか?」
「……行きます」
諦めたようにユアンとレイクは項垂れる。やはり、同じ学年を二度やるのは嫌らしい。
「学生の時にしか、味わえないものがたくさんある。今の内に堪能してこい」
そう言ってブレアは手で追い払うような仕草をする。立ち上がるユアンとレイクに続き、アイリス達も腰を上げた。
「それでは、また後で出勤しますー」
「失礼しました」
四人でぞろぞろと課長室を出ていく。
いつもは二人だけだった魔具調査課に先輩達が帰ってきたというだけで、他の課と同じような明るい雰囲気になるので不思議だ。
「さて面倒だけれど、このあとは授業だし、お互いに終わってからまた課長室に集合しましょう」
「はい。よろしくお願いします」
「じゃあな、二人とも。……あー……勉強とか面倒だ……」
「またねー! ……まぁ、あんたの頭じゃ授業に追いつけないかもねぇ~」
「何だと!? 見てろよ。次の試験の時、学年一位になってやるからなっ」
「はいはい、言ってなさいな~」
二人は喧嘩をしつつも魔具調査課から出ていく。その場にぽつん、とアイリスとクロイドだけが残される。
「……えっと私達も、そろそろ行きましょう?」
「……あぁ」
クロイドの表情は出会った頃と同じ無の色へと戻っていた。
今は何も言わない方がいいだろうと、アイリスも魔具調査課から出ようとしたが、後ろから声をかけられる。
「アイリス。……夜でいいから、話があるんだ」
「え? ……え、えぇ。分かったわ」
表情に色はない。
だが、彼の瞳の奥は揺らいでいるように見えた。それは揺らいでいたとしても、何かを伝えようとする、意志を持った瞳だったのだ。
返事をするとクロイドは先程よりも安堵したのか、どこか柔らかい表情へと戻る。
「俺達もそろそろ行かないとな」
「そうね……」
同意をしつつも、先を歩くクロイドの背中をそっと見つめる。語ることさえも恐れているのだろうか。
結局その後、アイリスは登校して授業を受けたが、どこか上の空のまま一日を過ごすしかなかった。