初任務
アイリスが属している「嘆きの夜明け団」はかつて歴史上で最も残酷な無差別殺人だと言われた「魔女狩り」から、本物の魔女や魔法使い達を守るために作られた秘密組織でもある。
表は聖職者などを育てる国家組織として名が通っているが、入団する事が出来るのは魔力を持った者だけである。
そんな中に生まれながらにして、魔力を持っていないアイリスが所属しているのは異例なのだ。
しかもアイリスは、力の強い魔法使いの一族として有名な家であるローレンス家の生まれであるにも関わらず、一族が始まって以来、初めての「魔力無し」として生まれて来た者なのだ。
魔力を持つ者が持たない者を蔑む事もあり、ハルージャのアイリスに対する感情はまさにそれだった。
ハルージャは魔力の無い自分がここに居るのが気に食わないのだろう。そういう者は他にも沢山いる。
しかし、自分はここでやっていくしかないのだ。たとえ、この教団に入った理由が今は亡き家族の仇を取るためだけだとしても。
そのために、魔力の無いアイリスは剣を取った。師匠であるブレアに剣術の指南を受けて、技術を磨き続けた。
血を吐き、傷が増えても、たった一つの目的のためだけに、アイリスは厳しい鍛錬に弱音を吐かずに進んできた。
そしてついに、教団に入る実力を付けて入団試験に臨んだのである。魔法に関する知識では首席を取り、心身判断でも問題がなかったが「魔力無し」である事がやはり足枷となった。
いくらアイリスが有名な魔法使いの家の血筋を引いているとは言え、教団が始まってから、「魔力無し」である人間が教団に属していたことなど無かったからである。
だが、教団内でそれなりに権威を持っている家の出身であるブレアからの入団推薦を貰っていた上に、剣術による実技が認められた事で入団が初の異例として叶ったのである。
そこから、やっと出発地点に立てたアイリスは小さい頃からのたった一つの願いを叶えるために、更に剣術を鍛え続けた結果、「魔力無し」でも周りに引けを取らない程に強くなった。
全ては自分から大切な家族を奪った奴へ復讐するためだけに。
あの日、自分の誕生日の夜に家族を襲った「魔犬」を打ち倒すために。
それだけのために、アイリスは強くなり続けた。
「魔犬」は伝説級の魔物とさえ言われており、その遭遇率はかなり低い。数年に一度どころか、十数年に一度その姿が目撃されるかどうかだ。
記録によると数百年前から目撃情報があるらしく、同じ魔犬が数百年生きているのか、それとも別の魔犬なのかさえはっきりとした情報は今でも得られていないのだ。
何のために人を襲うのかも分からない。どういう魔物なのかも分からない。
分かっているのは黒く美しい毛並みを持ち、その身体は大人のように大きく、そして瞳は金色ということだけだ。
その魔犬に自分の家族は喰い殺された。
目の前に立ち、小さな自分を嘲るように口元を歪ませていた光景は今でも頭からこびりついて取れることはない。
――奴を討つ。
そのために自分は魔物の情報が多く集まるこの教団に入ったのだ。
それなのに手加減を忘れた破壊による失敗が重なり、とうとう魔物討伐とは関係ない課に回されてしまった。
これでは魔犬をいつか討ち取るという目的から遠ざかってしまう気がして少しだけ焦りを感じていた。
それでも仕事は仕事だ。自分のやるべきことをやらなければ、この最後の居場所さえも失いかねない。
アイリスは何とも言えない表情で口を一文字に結んだ。
・・・・・・・・・・
魔具調査課の部屋に入るとアイリスの机の上には一枚の小さな紙が置いてあった。
『課長室へ』
知らない字だ。流れるような筆跡で丁寧に書かれている。それでも誰が書いたものか、何となく想像出来てしまい、笑みが零れてしまう。
小さな紙を机の引き出しへと入れてから机を離れ、課長室の扉を三度叩くと中からブレアの明るい返事が返ってきた。
だが、扉を開けて最初に目に入ってきたのは来客用のソファでおもてなしを受けている親友のミレットだった。
「よっ! アイリス。初出勤だね!」
「なっ……んで、ミレットがここに居るのよ⁉」
「いやぁ、情報課に魔具調査課向けの有力な情報が流れてきてね。その件についてブレア課長と話していたの。あと、噂のクロイド君とやらも見てみたかったし?」
ミレットは口の端を上げて、にやりと笑う。どうやら情報を提供しに来ただけではなく、収集にも来たらしい。
アイリスはブレアの傍らに立っているクロイドに目を向けた。ミレットの発言には全く関心が無いのか、その瞳は軽く伏せられたままだ。
「そう言うわけでアイリス、クロイド。お前達に初任務だ」
ブレアは挑むような強い意思を持った瞳で二人を見つめて来る。
「……はい? えっ? ……もう、初任務ですか⁉」
つい、大声でアイリスは驚きの声を上げてしまう。
すぐ傍にいるミレットは何故か楽しそうに肩を震わせて笑っていた。恐らくアイリスの動揺っぷりが愉快だと思っているに違いない。
……あとで少々小突いても叱られはしないだろう。
「うむ。しかも潜入捜査だ」
「えぇ⁉ 任務初心者だっているのに、いきなり重要そうな任務を任せていいんですかっ⁉」
アイリスはこの課に入って一日目だがクロイドに至ってはまだ教団に来たばかりの素人中の素人である。
この魔具調査課で行うべき任務として主なものは、世の中に出回る魔具の回収である。
魔具は人々の心を魅了してしまうため、それをこちらで半ば強制的に回収するのがこの魔具調査課の任務となっている。
それは手を汚す仕事でもあるため、「嘆きの夜明け団」の入団者が自らこの課を希望する事の方が稀なのだ。
この魔具という物は「魔具所有者」として認可された許可証が無い者は扱う事が出来ない規則になっている。
しかし、この国の表向きな法律としては「魔法禁止」とお触れが出されており、魔法に関しての規制は厳しく行われていた。
もちろん、そんな裏事情を知っている一般人は少ないのだが。
許可証を持っていない上にこの教団に所属しておらず、魔具を所有している場合は相手の承諾を得て魔具を教団に譲ってもらうか、拒否の意思を示した場合は強行手段として奪い取る事も可能である。
この国の裏の法律としては教団側の正当行為として認められているが、行っている事は「窃盗」まがいの犯罪そのものなので、誰もがこの課に来る事を嫌がってしまうのだ。
魔具回収の行為をこの世界では『奇跡狩り』と呼ばれている。「魔法」とは現代の民衆にとっては、幻や物語の中で語られる扱いのものだ。
また、魔法が起こすものは奇跡とまで言われていたので、『奇跡狩り』という隠語が使われるようになったらしい。
そしてこの『奇跡狩り』は魔法の存在を知らない一般市民には極秘とされていた。
それでも、奇跡狩りは決して一般市民だけが対象ではないため、身の危険が無いとは言えない。
魔具回収の相手がそこらに住んでいる魔法の存在を知らない人間とは限らないからだ。
違法魔法使いと呼ばれる、教団側が魔法を使うことを認可していない人間が世間には潜んでおり、それを取り締まっていたのがアイリスが以前所属していた「魔的審査課」であった。
違法魔法使い達は大抵が、魔具の使用の許可証を持っていないまま使っている場合が多いのだが、もちろん、抵抗されれば魔法による戦闘だって起きかねないため、「奇跡狩り」は安全とは言い難い任務となっているのだ。
アイリスが驚きを隠せない中でブレアは愉快そうに口の端を上げている。
彼女は結構、悪戯好きだったりするので、手元にある任務の中で面白そうなものを自分達に命令として与えている気がしてならない。
「あぁ。初仕事にはぴったりだろう? 一度、大胆な仕事をしておくと後から怖いものなんて何もないぞー」
そこでブレアは深いため息をついた。
それはもう、わざとらしく盛大に。
「今年は魔具調査課への人事異動がアイリス達以外にいなくてなー……。ここへの希望者は常に少ないし、人手が足りていないんだ。だから、仕事が詰っていて大変なんだよ」
そう言えば、この課に異動してからまだ誰も見ていない。ブレアの言葉を聞いたアイリスはぐっと言葉を詰らせた。
魔具調査課への希望人数が少ないのは前から知っていた。自分とて第一志望は「魔物討伐課」だった。
だが、魔的審査課からお払い箱にされた自分はこの魔具調査課へと異動させられた。
そう、ここは必要とされなくなった者の最後の居場所として噂されている場所なのだ。それだけではなく、変人が多く集まる場所としても有名なことは、噂に興味がないアイリスでも知っていた。
今まで起こしてしまった不祥事が次々と頭の中で思い出される。
これが最後の砦と言うのならば、もう失敗は許されない。出来る限り功績を上げていくしか自分には残されていないのだ。
「分かりました。受けます」
アイリスは両足に力を入れて、真っ直ぐとブレアを見た。ブレアは最初からアイリスがそう答えると分かっていたのか、満足そうな表情で頷き返す。
「では、頼んだぞ、新人ども」
それだけ告げるとブレアは立ち上がり、コート掛けに掛けていた上着を手早く羽織った。上着を着るということは、どこかに行くつもりらしい。
「先程、上層部からの緊急の呼び出しがあってな。私はこれで失礼するよ。あ、任務の詳細はミレットに聞いてくれ。それと……」
扉の取っ手に手をかけたまま、ブレアは顔だけを少し振り返り、不敵な笑みを浮かべる。
「チーム名。なるべく早く考えてくれ。それじゃあ、宜しく頼むよ」
閉まった扉の向こう側で早足に駆けて行く音が遠くなっていく。相当、急ぎの用事だったらしい。
それにしても、新人に全てを任せて、あとは全く手出しも助言も無しとはさすがブレアである。この課は自分の意思での決定を重要視するのだろうか。
「チーム名、か……」
一年前に所属していた魔物討伐課でも、数人で組んでいた際にチーム名があったことを思い出す。
チーム名があると、誰がどこに属しているのか認識されやすい上に、課長に提出する報告書に記しておくことで、書類整理がしやすくなるのだろう。
とりあえず、それは後で考えるとして今は任務の内容を聞かなければならないと、アイリスは立ったままのクロイドに目配せした。
視線に気付いたのかクロイドもアイリスに続いてミレットの目の前の席に腰を下ろした。
「さっそく、任務の説明をしてくれる?」
「了解。まずはこれを見て。この地図の、この屋敷で行われる『とある事』が今回の対象よ」
長台の上に出された地図とミレットを交互に見て、アイリスは驚きの声を上げる。
「なに、この屋敷……広すぎない? どこの金持ちよ……」
「持ち主は最近何かと羽振りが良いと噂のブランデル男爵よ。主に別荘やパーティー用として使っているらしいわ」
「はぁ⁉ 家じゃないの⁉ どれだけ金持ちなのよ……」
まったく、金持ちの考えることはさっぱり分からない。
「この屋敷を購入したのは約二ヶ月前だけどね。元々は別の人が持ち主だったらしいの」
説明をしつつ、ミレットはアイリスとクロイドの前に二枚の紙切れをすっと出して来た。
「何これ……招待状?」
隣のクロイドも目の前に置かれた招待状を訝しげに見つめている。
紙切れはただの素材で作られているわけではないらしく、触るだけで紙の質がかなり上等なものだということが分かる。
それだけではなく、白地の紙に金色の文字が施されていた。ただの紙切れにかなりお金がかかっているようだ。
「そうよ。明日の夜、この屋敷で金持ちだけが参加するオークションがあるの。これはその招待状。まぁ、金持ち宛にしか送られて来ないんだけどね」
どうやらミレットは彼女が持っている独自に形成した裏の手を使って、この招待状を手に入れたらしい。
笑っている顔が黒いのは、自分で怪しいことをしていると自覚しているからだろう。
「それでこのオークションに魔具が出品されているっていうの?」
「オークション自体は一般人向けよ。参加する人は貴族や富豪ばかりだから警備が厳しいの。恐らく、そこを逆手に取って裏で魔具の取引をするみたい」
そこまでの情報を恐らく彼女一人で集めてきたのだろう。何度も思うことだが、ミレットだけは絶対に敵に回したくはない。
ミレットは次に図面を取り出す。これもどのような方法を使って手に入れたのか気になるが、アイリスはその部分を指摘することはなかった。
「これは、屋敷の構図……?」
「そう。これが大広間でオークションが行われる場所」
そう言って彼女は一階にある一番広い部屋を指差す。
「でも、どの時間にどこの部屋でどんな魔具を取引する予定なのかは分からないの」
ミレットは少し申し訳無さそうにそう告げるが、流通していない情報をここまで集めることがどれほど、大変なのかを理解しているアイリスは小さく首を横に振った。
「大丈夫よ。あとはこっちで何とかするわ。招待状まで用意してくれてありがとう、ミレット。……ほら、クロイド。あなたもお礼くらい言いなさいよ」
催促するアイリスに対してクロイドは少しだけ顔をしかめたが、ミレットとは目を合わさずに下を向いたまま、どうもと一言だけ告げた。
アイリスはクロイドから零れる一言を聞いて、満足そうに小さく頷くが、今の二人の様子を見ていたミレットは手に口を当てて噴き出した。
「な、何? 急に笑って……」
ミレットはよく小さな事で笑う性格だと知っているが、今は笑うような場面などなかったはずだが。
「い、いやぁ……ふふっ。あははっ……」
どうやら彼女の中の笑いのつぼにはまったらしく、腹を抱えて長台をばんばんと何度も叩く。大声で笑うミレットに付いていけない二人は呆然とした様子で彼女を見ていた。
暫くしてから、やっと落ち着いて来たのか、ミレットは呼吸を整えると残りの紅茶を一気に飲み干した。
「それで急に笑って、どうしたの?」
「いや、ただ……思っていたよりも、上手くやれているみたいで良かったって事よ。ほら、アイリスってば、ここに来るのを嫌がっていたでしょう」
「ん……。まぁ、でもやるからには責任を持って最後までやり通したいもの」
途中で投げ出す事は自分が許せない。やると決めたら最後まで徹底的にやり抜く。それがアイリスの信念でもある。
「よし、クロイド。今からこの屋敷の下見に行くわよ」
「……今からか?」
「そうよ。……あ、そういえば注文していた物が届いているかも……。水宮堂にでも寄って行こうかしら」
すると、ミレットはいかにも嫌悪感丸出しで表情をしかめる。どうやら『水宮堂』という言葉に反応したみたいだ。
「……ミレット。あなた、まだヴィルさんのことが嫌いなの?」
「当たり前でしょ! あんな軽率男、絶対相手にしたくないわ!!」
ヴィルとはアイリス行きつけの店の店主の名でミレットに対して一途に愛を主張している男である。
普段は骨董品や魔具の目利きに関しては右に出る者は居ないと言われるほどに、素晴らしい「眼」と「知識」を持っている人なのだが、ミレットが絡むと他に何も見えないくらいに別人になる。
どこで彼女に惚れたかは知らないが、自分がミレットと親しくなっている時にはすでに、ヴィルからアプローチされていた状況を見かけたことがあるのを覚えている。
「いつも立ち寄ると『ミレットちゃんに宜しく』って言われるんだけど?」
「こっちは何を言ってもお断りだって言っておいて」
「……はいはい。それじゃあ、ちょっと財布を取りに寮に行って来るから。クロイドはここで絶対に待っていてよね? ミレット、情報提供してくれて、どうもありがとう」
クロイドの返事を聞かないまま、アイリスは寮の部屋に置いてある財布を取りに少々早足で課長室から出て行った。
・・・・・・・・・・
扉が閉まり、アイリスの足音が完全に聞こえなくなった事を確認したミレットはクロイドに向き直る。
「……呪われた奴だって聞いて、警戒していたけれど思ったよりも優しそうな奴で良かったわ」
だが、クロイドは返事をせずに無言のまま、自分に淹れられていた紅茶を一口だけ飲む。
「長い間、親友をやっているとね、分かるのよ。あの子、結構危ないことに首を突っ込んでいるって。後先考えずに、すぐに無茶をしちゃう子なの。だから……アイリスの事、お願いね?」
まるで秘密を語るように小さい声でそれだけ伝えると、ミレットは資料を片付け、クロイドに一礼してから、振り返ることなく課長室から出て行った。
それを視線で一瞥し、また紅茶へと向ける。水面にはクロイドの顔が歪んだように映っていた。
そして、自分自身に向けてそっと呟く。
「……呪い、か……」