成り立ち
「エイレーンは『ローレンス』という一族の生き残りの娘であった。当時は魔女狩りが盛んな時期でな。彼女は悪質な異端審問官により、無実の罪を着せられそうになったのだ」
「……」
ふと、クロイドがこちらを見た気配がした。
「その際に、エイレーンは彼女自身の存在に一度絶望しかけている」
「絶望って……。どういうことですか?」
ミレットが首を捻りながら質問する。
「うむ。……魔力を持つ者はな、自身の存在に絶望すると魔力を喪失してしまう可能性があるのじゃ。魔力は操る者にとっては、中心であり、心を映すもの……。存在を絶望するということは、自身を否定するという意味でもある」
誰かがひゅっと喉で呼吸するような音を出した。知らなかったのだろう。
魔力を失う可能性があるのは、教団に所属する人間だったら誰しもあることを。
だが、現状でそのようなことになってしまった人は聞いたことがなかったため、聞いたとしても冗談で済まされてしまうかもしれない。
「……エイレーンは住んでいた森の近くの村に魔物が襲ってきたのを助けたが、それをエイレーンの仕業だと責め立てられてしまってな……。彼女は命からがら異端審問官の手から逃げ延び、そしてミリシャという少女に助けてもらった。また、旅をしておったわしと初代国王のグロアリュスも、行き倒れていたところを彼女に助けてもらい、それから四人で生活するようになった」
この教団を作った五人の話は有名だ。
まず魔女のエイレーン、教会の持ち主であるミリシャ、後にイグノラント王国初代国王となるグロアリュス、不老不死のイリシオス、そして異端審問官のクシフォスの五人によって、教団とこの国の礎は作られた。
「エイレーンを追ってきていた異端審問官のクシフォスは実はエイレーンの幼馴染での。彼女を他の異端審問官から守るために、裏で色々と手回ししていたらしいが……。ある日、この地域にとある病魔が襲い、その原因を究明したにも関わらず、エイレーンは疫病を齎した原因として仕立て上げられ、悪質な異端審問官に捕らえられたのじゃ」
自分の家系の始まりとも言える話を聞くのは久しぶりだ。
しかもエイレーンを知っている当事者から、生の話を聞けるなんてそう、貴重な体験は他にないだろう。
だが、隣のクロイドは複雑な表情をしたままだった。
「クシフォスもどうにかして彼女を助けようとしたが……。エイレーンはそこで思ったらしい。──自分がいなければ、この町にも住んでいた村にも、そして自分に関わった人達にも迷惑はかからなかったのでは、と」
イリシオスはそこで息を深く吐く。
表情は少し暗いようだった。
「これはクシフォスから聞いたのじゃが、彼女は絶望により、魔力を消失してしまう前に、自分に関わった人間の記憶を消して、自らの存在も消滅させようとしたらしい」
視界の端に映るミレットの顔がふっと、悲しそうに歪んだのが見えた。
ブレアは顔色一つ変えることなく、静かに話を聞き入ったままである。
「その際に塔の上から身を投げようとしたわけじゃ。……まぁ、そこでクシフォスが何とか彼女を引き留めて、無事に至るわけだが……。と、こんな感じかのぅ、わしが知っていることは。それからは皆が知るように、魔力を持つ人間を保護し、魔物を討伐するために集めていき、教団を形成させていった。国を作るのにも色々と苦労したが、何とか立国して、今に至るわけじゃ」
思わず、ふっと息を吐く音がそれぞれから聞こえる。
長い物語を聞いた気分だ。
「……のぅ、アイリスや。お主は今、幸せか?」
イリシオスが目をすっと細めて、訊ねてくる。
その質問をどこかで聞いた気がした。
「……幸せです。私は……誰が何と言おうと幸せです。たとえ、魔力がなくても、……家族がいなくても」
辛い時はあった。それでも今までの経験と感情が今の自分を作っている。
それは否定したくない。
だが、脳裏の隅で自分達はそういう血筋だから仕方ないと、誰かが困ったような笑顔を浮かべた気がしたが、それが誰なのか思い出せなかった。
「だから、誰かに自分は不幸だって、決めつけられたくはないんです」
「そうか……」
イリシオスがどこか安堵したように溜息を吐いた。
「エイレーンだけではない。今まで同じ時間を過ごしてきたローレンス家の者はやはり魔力の高い血筋からなのか、様々な問題を抱えているものが多くてのぅ……。わしも、エイレーン達も子や孫らが幸せになることを願っておった。だから、そう出来るように手助けはするつもりじゃったが……」
そこでイリシオスが先ほどと同じ愉快そうな顔でにやりと笑う。
「幸せかとローレンスの者に聞く度に、彼らはいつも幸せだと答える。そして、血筋だから仕方ないといつも笑っておった。それは諦めというよりも、その先にある試練を受け入れる覚悟があるということだったのだろうと今にして思う。……そういう事を含めると、やはりお主もローレンス家の者じゃな」
そういって、彼女は豪快に笑う。その笑顔も姿も声も全てが遠い記憶から引き出してきたものと同じだ。
自分は知らないが、この流れている血はイリシオスのことを知っているからだろうか。
「そうじゃった。すっかり忘れておった。……ブレア、ここに召喚しても問題はないかの?」
「……周りに人がいないか見てきます」
仕方ないというようにブレアが肩を竦めて、カーテンの向こう側へと行った。
「アイリスに会わせたいものがおっての」
「え?」
するとイリシオスは右手にはめている指輪をすっと目の前に出してきた。
「来たれ、輝かしき獅子」
指輪がカッと輝き、その場が光で満たされる。
目を瞑って開いた瞬間、そこにはいなかったはずのものがいた。
イリシオスの隣に現れたのは先程、色々と助けてくれた獅子だった。
輝かしいほどの黄金の毛並みに、きりっとした黒い瞳、引き締まった痩躯は紛れもなく同じ獅子だ。
それがイリシオスが座っている隣に突然現れたのだから、驚かないわけがない。初めて獅子を見たミレットは口を開けて目を見開いたままだ。
「さっきの……」
「こやつは、ダスク。黄昏という意味の名じゃ。元々はエイレーンの契約魔だったが、わしが譲り受けてな」
ダスクと呼ばれた獅子はアイリスの方へと近づき、頭を垂れる。
「えっ? え?」
突然の行動にアイリスが戸惑うとイリシオスは楽しそうに頷いた。
「ふぉっふぉっふぉ。どうやら頭を撫でて欲しいらしい」
そう言われてしまえば、断れないと思ったアイリスが遠慮がちに手を伸ばし、一番毛並みの良さそうな鬣を撫でる。
ダスクは小さく喉を鳴らし、まるで猫のように身体を寄せてきた。
……何だか、懐かしい。陽だまりのような匂いがする。
アイリスはそのままダスクの身体へと顔を埋める。
今はいないローレンス家の人々もこうやって、ダスクの身体に埋もれながら、誰かを想ったりしていたのだろうか。
「……やはり、お主からエイレーンの気配を感じ取っておるのかもしれぬな」
懐かしいものを見るようにイリシオスの瞳がすっと細められた。
「──さて、わしはもう少し後処理があるからの。そろそろお暇させてもらう。……行くぞ、ダスク」
イリシオスが呼ぶと、ダスクは言葉が分かるのか明らかに不満そうに低く唸った。
「まだ、アイリスとて全快しているわけではない。また会えるから、我慢するのじゃ」
仕方ないというように低く鼻を鳴らし、アイリスの額に大きな口で軽く口付けしてから、ダスクは輝きだし、そして眩い光とともにふっと消える。
イリシオスの指輪の中へと戻ったらしい。
「やれやれ。こやつは見かけによらず、甘えん坊でな。……また、会ってくれるとこやつも喜ぶ」
イリシオスが立ち上がり、カーテンの向こうにいるブレアへと声をかける。
「今回の件でお主らには迷惑をかけてしまった。……今、捕まっている者達が今後どうなるかはしばらく、協議していかなければ分からぬ。それでも、お主たちは彼らを許すことは出来るか?」
どことなく重い言葉にアイリス達はそれぞれ顔を見合わせる。
そして、強く頷いた。
「気にしていない、というわけではないです。彼らのことを全て理解したいとも思っていません。それでも……誰だって信じたり、すがるものがあるのは自由ですから」
アイリスがそう答えるとイリシオスは面食らったように、目を大きく見開いて、それから噴き出すように笑った。
「……うむ。その言葉だけで十分だ」
イリシオスはそのままカーテンの向こう側へ行こうとしていたが、そこで立ち止まり振り返る。
視線はアイリスではなく、クロイドを見ていた。
「……お主は、お主で思うところがあるかもしれぬが……。わしは会えて良かったと思う。クロイド、どうかお主も元気でやりなさい」
その言葉にクロイドの目は大きく見開かれ、そして何かを感じとったのか唇を噛み締め、強く縦に首を振った。
「それではのぅ。また、いつか茶会でもしようぞ」
そういってイリシオスは医務室から去っていった。
ブレアも見送ると言って席を外したため、その場に三人が取り残される。