繋ぐ者たち
その日は夏場にしては珍しく、朝からどんよりとした曇り空だった。
じめりとした夏の暑さを感じることがないのは、団員達が集まっている運動場を囲うように、冷気を発生させる魔法が使われているからだろう。
それでも、過ごしやすいと感じることはない。
むしろ、息を吐くことが難しいくらいに、喉に何かが詰まっている感じがした。
「……」
黒い服を着たアイリスは、凪いだ瞳で前を向く。周囲に同じように整列している団員達も、暗い表情をしている者が多かった。
静けさの中、規則正しい足音が響き、そしてぴたりと止まる。
立ち台に上り、皆の前に立ったのは新しく教団の総帥となったアレクシア・ケイン・ハワードだ。彼女もまた、いつもとは違う黒い服を着ていた。
立ち台の下には他の二人の黒杖司と黒筆司が立っている。
アレクシアが次の総帥と決まったため、黒杖司の枠が一つ空いたが、まだその座に就く者は決まっていないと聞いている。
教団内はまだ落ち着いていないため、新しい黒杖司を選ぶ暇がないのだ。
アレクシアはまず、団員達に向けて先日の件について話し始める。
全員が一丸となって努めたことで、一般市民を巻き込まずに済んだと感謝の言葉を告げるアレクシアの声を聞きながら、アイリスは遠くを見つめていた。
幸いなことに、悪魔「混沌を望む者」による襲撃で、一般市民や王家の者に被害は出なかった。
ただ、団員達と魔物の戦闘により、建築物に多少なりとも損傷があったようで、その補償への対処が大変だったと聞いている。
また、魔物から守るために戦った団員達の中には、酷い怪我を負った者も多く出ていた。
その中に行方不明者が一人と死亡者が一人ずついた。──セド・ウィリアムズとイリシオスだ。
ただし、行方不明者がセド・ウィリアムズであると、団員達には公表はされていない。アイリスもクロイドから教えてもらわなければ、知らずにいただろう。
セド・ウィリアムズが一時的に、教団と共闘したと知っているのは関わった一部の者だけだ。
話によると、イリシオス達と戦っていたハオスと同様に、セド・ウィリアムズもその場からいなくなっていたという。
魔法で痕跡を辿っても、途中で途切れてしまっており、まるで最初からいなかったように姿を消していた。
悪魔であるハオスはいつものように転移魔法を使ったのだと思われるが、生身であるセド・ウィリアムズが扱えるものではないため、結局、彼の行方は分からないままとなった。
……セド・ウィリアムズ。彼は──ラザリーの仇を取ったのかしら。
ハオスとセド・ウィリアムズとの関わりは、ラザリーの件以外に他には思い当たらない。
もし、自分がセド・ウィリアムズの立場ならば、大切な人を奪った者への復讐はこの手で必ずしたい、と思うだろう。
だからだろうか、彼の気持ちが何となく、分かるのだ。
……彼はきっと、ハオスを討ったのでしょうね。
そして、自分がやるべきことを終えたからこそ、その行方を人に知らせず、姿を消したのだ。
恐らくもう、彼と会うことはないのだろう。
「──イリシオス総帥は、教団とそこに属する者、そして国民を守るために……」
歳を感じさせない程に、背筋をぴんと伸ばしたアレクシアの言葉は続く。
「……」
今は何も背負っていないというのに、何故か身体が地面に沈んでいくように重い心地がした。
イリシオスが亡くなった後、彼女の身がどうなったのか、ほとんどの団員は知らない。もちろん、アイリスもクロイドも、だ。
それは恐らく、死しても彼女の身体を利用しようとする者が出るのを防ぐために、一部の者しか知らないように情報を制限しているのだろう。
もしかすると知っている者達も、己の口から情報が洩れないように秘密を厳守するために重い枷が付く魔法を用いているのかもしれない。
そうすることで、イリシオスはやっと安寧を得られるのだ。
アイリスはふと、自身の右手へと視線を向ける。
そこにはいつもと変わらず、ちゃんと動く手があった。
アイリスを含めた一部の団員達は、ハオスから放たれた古代魔法によって魂を抜かれた状態となっていた。
だが、イリシオスによって、その魔法は解除された。
アイリス達もどのようにしてイリシオスが魔法を解除したのかは、聞かされていない。
恐らく、解除する際に使った魔法も古代魔法であるため、深く知ることは出来ないのだろう。彼女はその身に宿した古代魔法に関する全てを墓場に持っていくと決めて、逝ったのだ。
……イリシオス総帥は……私を、私達を「救った」とは思っていないのかもしれないわね。
きっと、彼女にとっては守るべきものを守ったに過ぎないのだ。それでも胸の奥に広がるのは、虚無と悔いばかりだった。
自分のせいで──と思ってしまう己がどうしてもそこにいるのだ。
「──……どうか、これだけは覚えていて欲しい。イリシオス総帥が、心から望んでいたことを」
団員達を見渡しながら発するアレクシアの声に、アイリスは自身の手から視線を逸らし、自然と顔を上げていた。
周囲には自分と同じようにゆっくりと顔を上げる者達が多くいた。
「イリシオス総帥は教団とここに居る者達の未来を、民の未来を、国の未来をいつだって守ろうとしていた。何十年、何百年かかろうとも、魔力を持つ者と持たない者が共に手を取り合って、先へと進む未来を願っていた。──迫害されることがないように。侵されることがないように。そして、誰もが自分の意思で未来を掴めるように」
震えることなく、強い想いがこめられた言葉は、アイリスの胸にすっと入ってくる。
「あの方は理不尽も苦楽も、全てを飲み込むように糧とし、未来へと繋ぐために進み続ける人だった。……だからこそ、その意志を受け継ぎたいのだ。そして、どうか……ここにいる者達にも、共に繋いでいって欲しい。たとえ、そこに困難な道が待っていようとも、あの方が目指した未来を描くために。……それこそが、イリシオス総帥の望むものだ」
目の奥が熱くなり、思わず閉じてしまった目蓋の裏にイリシオスの穏やかな笑みが浮かんでくる。
……ああ、そうだった──。イリシオス総帥が……本当に望んでいるものを知っていたはずなのに。
アイリスは両手を握り締め、拳に力を入れる。
そして、もう一度、顔を上げた。今度は決して、涙を流すことが無いように。
その場にいる者達もアイリスと同じように思っているのか、先程よりも力強い表情を浮かべている者が少しずつ増えていく。
未来を繋いでもらった自分達が、今度は次へと繋いでいくのだ。
それこそが、イリシオスの望みで、願いなのだから。
「この場をもってもう一度、ウィータ・ナル・アウロア・イリシオスという偉大なる魔女に敬意と謝意と──哀悼を」
アレクシアの声に、黒い服を着た団員達は一斉に祈り捧げる。
悲しみを祈りにこめる者。
新たに決意する者。
それぞれが、胸に刻みながら、ただ一人を想った。
教団が創られて数百年間、ずっと守り続けてくれたイリシオスのために、静かに祈り続けた。
「……」
ふと気付いた時には、どんよりと曇っていた空に切れ間ができていた。
そこから射しこむ淡い光は、団員達を優しく守るように照らしていた。
いつも「真紅の破壊者と黒の咎人」を読んで下さり、ありがとうございます。
今日で、なろうで連載七周年を迎えることが出来ました。今後も頑張って更新したいと思います。
また、活動報告を珍しく更新しています。




