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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
愚者の旅立ち編
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愚者は旅立つ

 

 全ての音が遠のくような静かな部屋には、少しだけ荒いイリシオスの呼吸が響いた。

 誰も、何も、声に出せない。ただ、目の前で横になっているイリシオスを見つめ続けることしか出来なかった。


 声を発せば、きっと泣いてしまう。

 それが分かっているからこそ、感情を言葉に表せなかった。


 イリシオスはアイリスの顔を見ると、安心したように目を細めた。


「……いやぁ、古代魔法を使うことなんぞ、この数百年で一度もなかった故に心配だったが……。ちゃんと通用したようで何よりじゃ」


「っ……」


 軽い調子で笑うイリシオスに対して、アイリスは表情をぎゅっと歪めた。


 混沌を望む者(ハオスペランサ)の魔法によって、アイリスと同じ状態へと陥った者達を救ったのはイリシオスだ。

 彼女が大怪我を負った状態で古代魔法を行使したことを知っているからこそ、喉の奥が詰まって、何も出てこない。


 お礼を言わなくてはいけないのに、謝罪の言葉を告げなければいけないのに。何も、何も出てこないのだ。


 胸には様々な感情が混ざり合い、上手く表現できない。両手で拳を作り、爪を指に食い込ませては「泣くな」と自分を戒める。


 それなのに、どうしてこの両目からは雫が零れてしまうのだろう。

 ただひたすらに溢れて、零れて、拭うことさえできない。


 アイリスだけでなく、隣に立っているクロイドも同じように瞳を揺らしていた。


「……なに、泣くことはない。わしはただ、総帥としての仕事をしたまでじゃ」


 穏やかな声で、彼女は宥めてくる。身体が傷付き、苦しさと痛みに襲われていてもなお、イリシオスはアイリス達を気遣う言葉を向けてくるのだ。


 どうして、この人はこんなにも優しいのだろうか。

 どうして、他人を責めることなく、受け入れることが出来るのだろうか。


「わしはな、遅かれ早かれ、この世から退場する予定じゃった。それが()だっただけじゃ」


 遠くを見つめるような表情で、彼女は呟く。


「不老不死なんぞ、時代錯誤の幻想物じゃ。偶然と傲慢の産物である『ウィータ・ナル・アウロア・イリシオス』は本来ならば、存在してはならぬもの。……二度と、二度と生み出してはならん」


 それはきっと、イリシオスが不老不死となった時から、心に決めていたことなのだろう。


「だから、これはただの幕引きにしかすぎぬ。……本当の意味で『古き時代』は終わり、お主たちの『新しき時代』がこれから始まるのじゃから」


 過去の負の遺産は記憶と共に全て葬り去られ、そしてイリシオスが願い、求め続けた未来が彼女の眠りと共に訪れるのだろう。

 それがイリシオスの望むものだと分かっているのに、アイリス達は言葉を返すことが出来なかった。


 彼女が背負い続けてきたものはきっと、果てしなく膨大で、気が遠くなる程のものだ。

 その荷をやっと下ろせるのならば、それがいいのかもしれない。けれど、心では、受け入れられないのだ。


 いつも、そうだった。誰かの死を簡単に受け入れることなんて、出来やしない。

 受け入れた瞬間から、その者と共に刻んだ想いや時間が全て過去になってしまうのが、怖かった。


 数える程の長い時間ではなかったというのに、遠くの場所まで歩いてきたような感覚が、イリシオスの吐息によって現実へと戻される。


「頼みが、ある」


 まるで決意を吐露するような言葉に、びくりとブレアの肩が揺れた。


「わしの身は不完全とは言え、不老不死じゃ。……この状態のままで埋葬するのではなく、どうか灰にして欲しい」


「っ、何を……!」


 教団に属する団員は殉職すると、専用墓地へと埋葬される。だが、イリシオスはそれを望んでおらず、火葬を希望しているのだと理解出来た。


「たとえ、焼いて灰になったとしても、その灰を──不老不死の研究に使う輩が今後、出てこないとは言えぬ。ならば、いっそのこと、二度と使えぬようにその灰を海に流してくれぬか」


 その言葉に誰もが息を飲んだ。

 イリシオスが自身の墓が他者によって暴かれる前提で話をしていたからだ。


「ブレアも、知らぬとは言わせぬぞ。……禁じていても魔法使いの中には禁忌の魔法に手を出す者はいる。そういった者達は死んだ魔法使いの遺体から『記憶』や『知識』を得るために、墓をよく荒らすからのぅ」


 だから、自身だったものを灰にして、海に流せというのか。弔い、彼女の安寧を願うことさえもさせてくれないというのか。


 まるで、糸を張ったような静寂の中、一つの声が降り注ぐ。


「──そんな、寂しいことを言わないで下さい」


 いつものはっきりとした声色ではなく、今にも消えそうな細やかな声で、ブレアが呟く。見上げれば、彼女は泣いていた。

 それはアイリスがブレアと出会ってから初めて見る涙だった。


 ブレアはわずかに目を細め、縋るように表情を滲ませる。


「先生。そんなに悲しいことを言わないで下さい」


「ブレア……」


 ブレアが泣くところをイリシオスも見たことはなかったのか、その瞳がわずかに見開かれる。


「絶対に、守りますから。あなたが遺して下さったものも、あなたが紡いで下さったものも」


 一歩、前へと進んだブレアは手を伸ばす。ベッドの上へと投げ出されていたイリシオスの手を取り、それから祈るように──縋るように握り締めた。


「だから、ご自身をなかったことにしないで下さい。あなた自身が自分を否定しないで下さいっ……! 絶対に、絶対に、誰にもあなたの身を奪わせたりしない……! 絶対に、守ってみせますから……っ!」


 心の叫びがその場に響く。


 こんなにもブレアが感情的に訴えるのは初めてだった。いつだって冷静で、頼りがいがあって、誰よりも強くて。

 そんな彼女が心をむき出しに出来る相手はきっと、イリシオスだけだったのだろう。


 ブレアが発した言葉の後、間延びするような声で返事が返ってきた。


「……愛されておるのぅ、わしは。お主にそんな顔をされた上にそこまで言われたならば、嫌だとは言えぬよ。……よろしい。ならば、守っておくれ。その誓いの通りに」


「……っ」


 イリシオスの答えに、ブレアは唇を噛むように結び直し、それから力強く頷き返した。


「……頼もしくなったの、ブレアよ。……いや、誰もが強くなった。わしがいなくても、大丈夫だと思える程に」


 そう言って、穏やかに笑うイリシオスの表情は慈しみに満ちたものだった。


「……この、千年。悔いや苦しみもあれば、喜びと幸福ももちろんあった。同時に多くの出会いと別れもあった」


 一度、目を閉じてから再び開く。そこには決して、己の時間が終わることに対する悲観さは宿っていなかった。


「ずっと、ずっと、見送ってばかりの人生じゃった。果てが見えないくらいに長く、後ろを振り返ることを躊躇う程に」


 それでも、とイリシオスは言葉を続ける。


「死というものが分からなかったわけではない。ただ、遠い存在だった。誰もが辿り着く自然の摂理という果てをわしだけが、持っていなかった。わしだけが、失ってしまった。……この身に苦しんだ時もあったが、今はもう、良い。それさえも含めて、わしの人生じゃったとそう言える」


「先生……」


「どうか、悲しい顔で見送らないでおくれ。……図々しいことにな、わし個人の望みは二つあってのぅ。一つはあやつら──エイレーン達が遺したものを守り続けること。そしてもう一つは……愛する者達に囲まれ、穏やかに眠りにつくこと。……それが叶う日が来ただけで、これはただの旅立ちじゃ。人は旅立つ時、笑顔で見送るものじゃろう? だからどうか、笑っておくれ。この愚か者の旅立ちを祝しておくれ」


 幼子を宥めるような柔らかい呟きに、ブレアは表情を一瞬だけ歪め、空いている手で涙を大雑把に拭っていた。


 そんなブレアをイリシオスは愛おしいものを見るように目を細める。彼女はそのまま順番にアイリスとクロイドにも視線を向けた。

 ふふっ、とまるで無邪気な少女のように笑ってから言葉を紡ぐ。


「そしてもう一つ、新たな望みが生まれてしまった。……今、まさにたった今じゃ。心から死にたくないと──死ぬのは怖いと思った」


 そう語る彼女の顔には、遠くにあったものをやっと手繰り寄せられたような安堵が浮かんでいた。

 そして、先程と比べると口調が弱々しいものに変わったことに気付く。


「けれど、同時に分かったこともある。それまで遠い存在だった死をこうして身近に感じて初めて──初めて、死とは悲しく苦しいだけでなく、満たされるものでもあるのだと、知った」


 そう呟いたイリシオスの表情が一瞬だけ、以前、死を見送ったことのあるラザリー・アゲイルと重なって見えた。

 ラザリーもまた、最期は満たされたような表情をしていたからだ。


「わしは今、途轍もなく満たされておる。愛しい者達に見送られるなど、代えがたい程に贅沢で幸福なことじゃ。……ああ、本当に、素晴らしかった。どんな始まりと終わりであっても、これまで出会ってきた者達に『出会えて良かった』と心からそう思える人生じゃった」


「……私も」


 ぐっと何を飲み込み、それからブレアがくしゃりと笑う。そこにはもう、覚悟を決めている顔があった。


「私も、イリシオス先生に出会えて、本当に良かった。あなたがいなければ、私はきっと自分の力を持て余した生意気で傲慢な小娘のままだったでしょう。けれど、それをイリシオス先生が変えてくれた」


 ブレアは握っているイリシオスの手に力を籠める。


「私は、忘れません。あなたに手を伸ばしてもらった時のことも、あなたに褒められた時のことも。私の知らない私を引き出して、『ブレア・スティアート』自身を認めてくれた『ウィータ・ナル・アウロア・イリシオス』というたった一人の師を、絶対に忘れません」


「ブレア……」


 ブレアの言葉に続くようにアイリスとクロイドも一歩、前へと進み、イリシオスの冷たい手へと自分の手を添えた。


 ああ、これは命が失われていく温度だ。目の前にいるイリシオスは魔法で一時的に生かされているだけに過ぎないと分かっている。

 だからこそ、この冷たさを忘れてはならないのだ。


「……本当は、もっとイリシオス総帥と話したかったです。あなたが見て、感じた世界をもっと、聞きたかった」


「クロイド……。すまんのぅ、お主にかけられた呪いを解く手伝いが出来ず……」


「いいえ。……俺はこの呪いと向き合うと決めているので、解く方法は自分で──自分達で、見つけてみせます」


 はっきりとしたクロイドの言葉にイリシオスは目元を緩める。もう、魔法が効かなくなってきているのか、彼女の口からは崩れた吐息が零れていた。


 アイリスもイリシオスに伝えたいことはたくさんあった。

 けれど、今はこれだけ伝えたい。この数百年、彼女が自身に課せてきたことに、心からの言葉を。


「……ずっと見守っていて下さり、ありがとうございました」


 絞り出すようにアイリスが発せば、イリシオスは小さく笑い、それから震える右手を向けてくる。


「アイリスよ。……この指輪を受け取っておくれ」


「え……」


 確か、その指輪にはエイレーンの契約魔である「輝かしき獅子(グロリオン)」が封じられているはずだ。かつてイリシオスがエイレーンから譲り受けたらしく、名を「ダスク」と呼んでいた。


「元々、ダスクは預かっていただけじゃ。そして、わしの身に何かあれば、『ローレンス』の名を持つ者のもとへ行くようにと言い聞かせておる。……どうか、友人のように対等な関係を築いておくれ」


「っ……。分かり、ました……」


 震えそうになるのを何とか抑えながら、アイリスはイリシオスの右手に触れ、それから金色の指輪を抜き取った。

 託されたものをアイリスがぎゅっと握り締めれば、イリシオスは安心した表情を浮かべ返した。


 目頭の奥がつん、と痛むのをわざと無視し、アイリスは精一杯の笑みを浮かべる。


「イリシオス総帥。どうか──どうか、あなたの次の旅路が……いいえ、次の旅路も幸福でありますように」


 見送らなければ。

 イリシオスが望む笑顔で。


 満足したのか、イリシオスの瞳が少しずつ虚ろなものへと変わっていき、目蓋がゆっくりと閉じ始める。

 ただの眠りにつくように、静かに、安らかに。


「……いとしき、者たちよ。どうか……己が選んだ道が……旅路が……満ちたもので、あらんことを……」


 掠れていく声で、それでもイリシオスは他者のために祈り続ける。

 そんな彼女だからこそ、アイリスはただ、ひたすらに願う。


 彼女の旅路が、穏やかで満ちたものであるようにと。

 愛しき者達と同じ時間を生き、語らい、育みながら、同じ眠りにつけるように。

 

 どうか、どうか、どうか──。



「先生っ……。……っ……」


 呼んでも、もう返事はない。慈愛に満ちた瞳で、優しい笑みで、見つめてくれることもない。


 今、ウィータ・ナル・アウロア・イリシオスは眠りについた。

 千年にも及ぶ、長い長い時間の中で生き続けた彼女はやっと重荷を下ろし、役目から降りて、眠ることが出来たのだ。


「っ……。ぅ……」


 嗚咽するアイリスをクロイドが抱きしめる。彼も自分と同じように泣いていた。

 イリシオスの傍に控えていた侍女らしき女性は、無表情ながらも目をきつく閉じ、何かに耐えるように唇を結んでいた。

 ブレアは熱を分け与えるように、冷たくなったイリシオスの手を握り締め続けていた。



 もう一度、願う。


 イリシオスの次の旅路を。

 たとえ、苦難があろうとも、幸福で満ちたもので溢れるように。


 何度も、何度も、祈るのだ。




・・・・・・・・・・




 イリシオスはふっ、と呼吸が楽になった気がして、目覚める。


 気付いた時には無限に広がる白い空間の中にいた。おかしなことに、空間は果てしないにも関わらず、自分が横になっている場所には色とりどりの花畑が広がっていた。


「……ふむ。天の国か? それにしては……花畑以外に何もないのぅ」


 死後、実際に天の国があるかどうかは議論され続けている議題だ。イリシオスとしては、その議題の答えよりも今、自分がどこにいるのかを知りたかった。


 起き上がったイリシオスは一歩、前へと進む。自身の腹を貫き、開いていたはずの穴はそこにはなく、怪我による痛みも感じなかった。


 ということはつまり、自分は完全に死んだのだろう。体感はなくても、記憶で補っているのか、花畑の上に立つ足から伝わってくる感触は知っているものだ。


「……静かな、場所じゃな」


 いつも、教団は人の声と活気に溢れていた。だからこそ、独りきりなのは久々で、少し寂しさを感じた。


 いや、独りきりになるのは慣れていた。千年前、不老不死になったあの日から、この世界のどこにも自分と「同じ」生物はいなかったのだから。


 だから、本当は早く死んでしまいたかった。

 周囲の時間と景色だけが変わり、自分は何も変わらない。絶望と孤独による苦痛に耐え続けるなんて、想像したくはない。


 けれど、歩みを止めることはなかった。

 自分が生きている意味を見つけなければ、死ぬことを許したくはなかったからだ。


 不老不死になった際に犠牲となった多くの人間の命の上に、自分という生命は成り立っている。それなのに、無にするように自ら死を選ぶことなど、出来なかった。


 ならばせめて、自分が何のために生まれ、何のために生きているのか探そうと思ったのだ。

 意味を見つけることが出来れば、死んでもいいと許せるかもしれない。


 そうだ、最初は罪悪感と心が楽になりたい一心で、この身の存在意義を探すために旅に出たのだ。

 たった、十二歳の少女だった頃に。全ての魔力を失った状態で──独りきり、で。


「……懐かしい。千年も前のことをこんなにもはっきりと思い出せるとは」


 死ぬ際に見ると言われている走馬灯のように、自分が歩み始めた一歩を思い出せた。

 生き続けた千年を振り返りながら、イリシオスは花畑を歩き始める。


 この千年、本当に色んなことがあった。


 特別でも何でもない普通の女の子として生きてみたいと思ったこともあったが、イリシオスは不老不死になった時に成長と生殖機能を失っている。それ故に自身の血を遺すことも出来ない身体となった。


 ただ、誰かと一緒に生きて、同じ時間を過ごし、そして共に眠りたい。他者にとっては「普通」のことを密かに望んでいた時期もあった。


 そんな中で生涯の友と呼べる者達に出会い、教団を作り、国を興した。魔力を持つ者と持たない者が共に生きられる世界を作ろうと誓い合った。


 歩いていたイリシオスはふと、立ち止まる。


「……」


 本当はとっくに、分かっていた。

 教団にも、この国にも、自分はもう必要ないと。見守らなくても、彼らならば進んでいけると分かっている。


 けれど、もう少しだけ、もう少しだけと──皆で築き、紡いだものを見守り続けたいと居座ってしまった。それが我儘だと分かっていながら。


 思わず、心のままに振り返りそうになった時だ。




「──イル!!」


 懐かしい声が前方から響き、イリシオスは振り返るのを止めた。


 自分を「イル」と呼ぶのは生涯で、二人だけだ。かつて大国だった国を治めた女王であり、友人のエリザベス──「ロザ」とその孫である「ロア」。

 この二人は「愚者」の意味を持つ「イリシオス」という名で呼ぶのを嫌い、イリシオスを「イル」と呼んでいた。


 イリシオスは名前が呼ばれた方へと視線を向ける。


「……あぁ……っ」


 喜びと懐かしさが交じり合った声が、つい漏れてしまった。

 

 目の前に広がる光景が、己によって生み出された幻想でも構わない。

 それでも──それでも、もう一度、会いたいと思っていた愛しき友人達がそこにはいた。


「ロアっ、ミリシャ! クシフォスに、エイレーンも……!」


 出会った頃と変わらない姿の友人達がそこにはいた。


「全く、一人で頑張り過ぎだぞ、イル」


 ロアが人懐こそうな笑みを浮かべ、イリシオスのもとへと小走りでやってくる。そして、一緒に行こうと言わんばかりに手を差し伸べてきた。


「何故、ここに……」


 ここがどこなのか、イリシオスでさえ分からないというのに。


「待っているって言っただろう」


「そう、そう。あなたが自分の人生にちゃんと満足するまで、私達はいくらでも待つと約束したでしょう?」


 ぶっきらぼうながらも優しい声で呟くクシフォスを補うように、ミリシャが弾んだ声色で答える。


「お疲れ様、イリシオス。彼らを見守り続けてくれて、ありがとう」


 エイレーンが穏やかに声をかけてくる。彼女と視線を重ねた時、エイレーンはぱちり、と片目を閉じた。


「……なるほど」


 そうか、そうなのか、と妙に納得してしまった。

 

 この空間はエイレーンがきっと元々、用意していたのだろう。イリシオスの死によって発動するこの魔法は、恐らく彼女が編み出した名も無き魔法だ。

 その魔法で、この白い空間に友人達の記憶の残滓、もしくは一部となるものを残しておいてくれたのかもしれない。


 ……本当に優しい魔女じゃ。何でも出来るというのに、自分以外の誰かのためにしか、その力を使わない。


 眠りにつくイリシオスが独りぼっちにならないように、エイレーンは──友人達は最初から、迎えに来るつもりで、この空間で待っていてくれたのだ。


「……本当に、気が長いのぅ、お主たちは」


 どこか泣きそうな顔でふにゃり、とイリシオスは笑った。そこにはもう、「千年の魔女」も「総帥」もいなかった。


「行こうぜ、イル!」


 ロアが手をぎゅっと握り、引っ張ってくる。


「まだ一度も見たことなかった海を見に行こう。人が踏み入れたことのない竜が住む谷や氷に覆われた大地にも行ってみよう。一緒なら、どこに行っても絶対に楽しいはずだ!」


 教団を作り、国を興したことで、共に旅をするのは出来なくなった。

 それでも、いつか全てが落ち着いて、次へと託すことが出来たならば、この五人で世界を見に行こうと約束したのだ。


「わしは……」


 そこで、気付く。自分はもう、不老不死ではない。

 だから、どこへだって自由に行けるのだ。


 ロアと二人だけで彼の祖国を出て、放浪していたあの頃と同じ──いや、今度は五人で。再び風のように旅をする。

 けれど、それは決して孤独な旅ではない。


 イリシオスは前を見る。四人が自分の答えを待っていた。


「……ああ、行こう。共に、行こう」


 ロアと手を繋ぎながら、イリシオスは走り出す。

 羽織っていた古いローブは風に攫われるように脱げていったが、気にすることなく進み続けた。


 不老不死という鎖から解き放たれた今、イリシオスを縛るものは何もない。だからだろうか、身体がとても軽く感じた。


「世界を見よう。共に生きよう。……新しい、旅を始めよう」


 彼らとならば、どこへでも──世界の果てでさえ、行ける気がした。



 愚者と自らを呼んだ少女は軽やかな足取りで、友人達と旅立つ。

 この先に続く旅路もきっと、満ちたもので溢れていると信じて。



 

          愚者の旅立ち編 完


     


あとがきが長くなり過ぎたので、活動報告にまとめました。

感想なども、いただければ嬉しいです。励みになります。

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