見送る歌
全てが灰になったのを見届けた後、セドは虚ろな瞳のまま、杖を持った腕をだらんと下ろした。
終わったのだ、やっと。
残骸となった灰は、まだ赤黒い炎を纏っていたが、しばらくすれば鎮火するだろう。この魔法は他の炎系統の魔法とは違い、燃やすのは「対象」となるものだけだ。
それゆえに周囲が木々で囲まれていても火事の心配はないので、自分達の身に危険が及ぶことはない。
「……」
やり遂げたことに対する安堵からなのか、セドの身体はふらりと前のめりに揺れる。
「おおっと。……お疲れ、セド」
しかし、すかさずセドに腕を伸ばして支えてくれたのはリベルだった。
「……悪魔でも、人を労うことがあるのだな」
セドがそう返せば、リベルは喉を鳴らしながら笑った。
「皮肉が言えるならば、大丈夫そうだな。……ほら、その木の根元に座るといい。魔力探知が出来ないように、周囲にはこっそりと魔法をかけておいたから、しばらくの間は我々がここにいることに気付かれないはずさ」
リベルはゆっくりと前へと進み、セドを木の根元へと下ろす。そして、当たり前のように彼女もセドの隣へと座った。
「……怪我人のように気遣わなくとも、結構……。……っ、ごはぁっ……」
「ああ、ほら、だから言ったのに」
セドの口から血が吐き出された。それは少量とはいえないものだ。
「ごほっ……ごぼっ……」
血が自身の衣服を赤く染めていく。その色はあまりにも鮮やか過ぎて、美しくも棘がある花の姿を思い出してしまう。
「……悪魔と契約している身とはいえ、人間が転移すると、その代償は大きいまま……か」
リベルはうーん、と唸るような声を上げる。
「やはり、私ひとりでハオスを追いかけるべきだったかな。もしくは、わざと逃がさずにあの場で仕留めれば良かったか……」
「……いや、私もあの悪魔が絶望のどん底に落ちる顔を見たかった。──これでいい。……それに元々、教団に残るつもりもなかったのだから。今頃、教団に残っていれば団員に囲まれていたと思うぞ」
「そうか? ……それならいいが。だが、身体が随分と辛そうだぞ、セド」
「……」
本当は転移してきた時から、身体が四方に引き千切られそうなくらいに痛かった。
今も何とか呼吸は出来ているが、肺が潰れかけているのだろうと察していた。
だが、セドにはもう、どうでも良かった。
ただ、ハオスを殺す。ラザリーの死を受けてから、それだけを胸に刻み、生きてきた。
それなのに、復讐という死をハオスに下しても、心が空虚なままなのは変わらなかった。
その理由は考えなくても分かっている。
「……自由を歩む者。お前はこの後、どうするつもりだ。私との契約が終わった後、だ」
「む? ……そうだな。念願は叶ったが、すでに『悪魔十二席』ではなくなったからね。私に与えられていた『権能』はこの手にはもうない」
そうは言うものの、リベルはあまり「権能」に関して、惜しんでいる様子は見られなかった。
「今はセドと契約をしているから、こうやって姿が取れているが……。契約が終われば他の悪魔と同様に何かを器にしながら生きていくさ。今まで通り、私らしく自由にね」
「……ならば、私の魂だけでなく、この身体も貰い受けるか」
「は……?」
ぽかん、と口を開けた後、それからリベルは笑い出した。
「あっはははっ! いやぁ、セドが追加報酬をくれるなんて! 君、意外と情に厚いよなぁ」
「……」
じとり、とセドがリベルを小さく睨めば、彼女は軽い口調で謝った。
「悪い、悪い。だって、セドがそんなことを提案するなんて、思わなかったからさ」
しばらく笑っていたリベルだったが、表情を穏やかなものへと変えた。
「契約した時、セドは私に言ったね。全てが終わった後、自分の魂を好きにしていいと」
「その言葉に偽りはない」
「真面目だねぇ、セド。悪魔と契約した者は皆、好き勝手生きて、契約が完了する時には命乞いだってするのに。……まぁ、そうところを私は認めているのだけれど」
最後の一言は何と言ったのか、セドの耳では聞き取れなかった。
「セド。本当は君、今にも死にそうなくらいに痛いし、苦しいんだろう? 命の期限がすぐそこまで来ているんじゃないか?」
「……ああ」
やはり、契約しているからか、自身と繋がっている状態ゆえにリベルには全てお見通しらしい。
「正直に言おう。……片目が見えない。肺が潰れかけ、呼吸するのも精一杯だ。すでに両足には力が入らないし、身体の節々には千切れそうな痛みがある。あらゆる臓器が痛み、内側から爆発してしまいそうだ。……もう、まもなく人間としての機能は全て停止するだろう」
それでも、セドは穏やかに喋った。
この命に心残りなど無い。──無い、のだがどうしてなのかリベルともう少し話していたかった。短い時間とは言え、共に同じ目的を持って行動した同志だ。
だから、もしかするとすでに失ったと思っていた人としての情が残っていたのかもしれない。
「ふむ……。もはや治癒魔法でさえ修復は不可能な域だ。……だが、私の器としては申し分ないだろうね」
うん、うん、とリベルは頷く。
「もう一度、確認するよ。──セド・ウィリアムズ。君の魂と身体は契約者であるこの『自由を歩む者』が貰い受ける。だから、君が死んだ後はどう扱おうと構わない。……そうだね?」
「……ああ。それでいい」
セドの返答を聞いたリベルはにやり、と笑った。
「ならば君の死後、トゥリパン村の墓地に一つ、墓を増やそうかな。ラザリー・アゲイルの隣にね。そして、その魂を見送ろうじゃないか」
「……!」
リベルの発言に驚いたセドは片目を大きく見開き、彼女の方へと視線を向ける。
しかし、この悪魔は悪戯が成功したと言わんばかりに楽しげな笑みを浮かべているだけだった。
イグノラント王国、トレモント地方のトゥリパン村。
そこにはセドの姪であるラザリー・アゲイルの墓があった。
「だって、好きにしていいんだろう、君の身体と魂を。それなら、どう扱おうが私の『自由』だ」
けらけらとリベルは笑う。
セドは片目を細め、それから短く息を吐いた。
「……そうだな」
それ以上、言葉にすることはしなかった。
自分達の間に、特別な言葉は必要なかったからだ。
「──ごほっ……ごほ……っ……」
再び、口から血が零れていく。
手は動かないため、拭うことさえ出来ない。
「……ああ、もう、終わりか。……いや、終わったのか……」
自分の死後のことを聞いたからなのか、途端に眠くなってしまう。これだから人間の身体というものは不思議だ。
受け入れてしまったのだろう、己の死を。それゆえにセドの身体は「生きる」ということを止めたのだ。
「……リベル。最後に一つだけ、頼んでもいいか」
「ん? 何だい? 相棒の最後の頼みだ。代償無しで聞いてあげようじゃないか」
「……歌を、歌ってくれないか」
セドの望みを聞いたリベルは少しだけ目を丸くし、それから彼女にしては珍しく、柔らかな笑みを浮かべた。
「いいとも。それで、どんな歌がいい? ……『声』は君の記録の中から読み取った、ラザリー・アゲイルのものでいいのかな?」
「ああ。……では、赤子が母親に歌ってもらう、あの歌を」
リベルは頷き、そしてセドの隣で歌い始める。
記憶の中のラザリー・アゲイルの声で。
母親が赤子をあやす時に歌う、イグノラント王国では聞きなれた歌だ。恐らく、この世に生を受けて初めて聞く歌の一つだろう。
……ああ、君の声だ。
セドは目を瞑る。
記憶の中のラザリーは歌を歌うのが好きだった。新しい歌を覚えた時はよく、セドの前で披露してくれた。
自分は、その穏やかな時間がとても好きだった。
それなのに──それなのに、時間が過ぎるたびにあの声を少しずつ忘れていく己が憎かった。
あの子が死んで、そんなに月日は経っていないというのに。
人間というものは他者が死んだ時、初めに忘れるのはその者の声だという。
……あれほど聞いて、耳に残した声でさえ、私は忘れてしまうのか。
それが言葉に出来ないくらいに恐ろしかった。
これ以上、忘れるくらいなら──ここで終わりにしてしまおうと思えた。
何となく、瞼の裏側が明るくなった気がして、セドは目を開けた。
そこには半透明で薄っすらと光っているラザリーがいた。
自分勝手な幻覚だと分かっている。けれど、もう一度、その姿を目に焼き付けることが出来た、とセドは口元に柔らかな弧を描いた。
彼女は穏やかな笑みを浮かべており、唇を動かす。
おじ様、といつものように呟いていた。
迎えに来てくれたのだろうか。
そんなことしなくても、今からいくというのに。
動かないと思っていた手が、ゆっくりとラザリーの方へと伸ばされる。
「……ラザ、リー……。いま、君の……もと、へ……」
虚ろだった瞳から命の光は失われ、手は軸を失ったようにばたり、と落ちた。
歌っていたリベルは歌うのを止めた。
そして、隣で眠ったように逝った相棒の頭を優しく撫でる。
「……もし生まれ変わることがあるならば、その時は──君の願いが叶うことを祈っているよ。その際にはまた、私とも会えるかもしれないね」
リベルは言葉を続ける。これは悪魔『自由を歩む者』としてではなく、ただのリベルとしての言葉だ。
「──おやすみ、我が友よ。君に縛られるのは、案外悪くなかったよ」
リベルは歌の続きを歌い始める。冷たくなっていく、友人の頭を撫でながら。
ただ、静かに。
ただ、安らかに。
目には見えず、共には歩めず、そして手には取れないものだとしても。
それでも友人の旅路を祈ることだけは──そうしたい、と思う己の心だけは自由なのだから。
いつも「真紅の破壊者と黒の咎人」を読んで下さり、ありがとうございます。
今日で、なろうで連載六周年を迎えることが出来ました。
ずっと書き続けられたのも読者の皆様のおかげです。これからも、マイペースに更新を頑張りますので宜しくお願い致します。




