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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
愚者の旅立ち編
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我慢比べ

  

 勝算があると言っても、これはもはや意地の方が大きかった。

 この者だけは絶対に自分が仕留めなければ、という強い想いが小さな身体を動かしていた。


「こんっ、の──! 鼠みてぇにちょこまかと動きやがって!」


 混沌を望む者(ハオスペランサ)は無詠唱のまま、右手から生じた紫色の雷をイリシオス目掛けて放ってくる。

 まるで雷に命が吹き込まれたような動きをしているが、イリシオスは攻撃をひょいっと避けていく。


 もちろん、身体強化をしているからこそ、雷の動きが見えるだけで普段のイリシオスならば、こうはいかない。


 ……しかし、このまま攻撃を避け続けたとしても、時間を消費するだけで意味はない。無限に魔力を供給し続けているハオスよりもわしの方が先に膝を床に付けることになるじゃろう……。


 反撃をしても、致命的な一手を与えることなく、ハオスに防がれてしまう。彼は戦闘を好む悪魔ゆえに、手慣れているようだ。


 それだけでなく彼は多少、身体が損傷してもすぐに再生できるため、無理な戦い方をしてくる。


 イリシオスとて、戦闘が不得意というわけではない。

 弟子の相手をすることはよくあった。


 それでも、ハオスを確実に仕留めるためには現状を打破できる方法を取るべきだろう。


 ……やはり、大きな隙が必要か。


 ふっと息を吐きつつ、イリシオスは杖を横に薙ぐように振った。


 無詠唱によって形成されたのは、氷の矢。百本を超える数の氷の矢が空中にずらりと並び、一斉に放たれる。


 一方で、ハオスは即座に炎を纏う大きな獣を魔法で形成し、氷の矢を大きな口で飲み込んでは、溶かしていった。


 ……ふむ。この数の矢を一瞬で消し去るとは……。


 炎の獣は氷の矢を飲み込んだ後、霧散するように消えていったがその際に発生した熱風が、イリシオスの頬を掠めていく。


 ……これが戦の時に使われるものだったならば、使用された側の被害は甚大じゃろうな……。


 魔法の存在を認めている国は数多く存在している。

 その事実を知っているのは国の中枢に位置する僅かな人間と、魔法を使用する者だけだ。


 それらの国々とイグノラント王国は密約を結んでいる。絶対に、魔法を戦に使用しないという密約だ。

 故にイリシオスでさえ、魔法による戦の経験はほとんどない。


 かつて、自身の友として傍にいることを約束した古き国の「女王」は魔法の存在を認めていたが、それを私利私欲に使い、戦の道具として使用する考えなど持っていなかった。

 むしろ、反対していた方だ。


 ……このハオスという悪魔の主人は──他者を魔法によって支配しようとする考えの持ち主じゃろうな。


 今までのやり方を見ていれば分かる。

 魔法を使用する相手のことを微塵も考えていない使い方だ。


 奴らにとって魔法とは人を支配し、思い通りに動かすための道具でしかないのだろう。

 だからこそ、イリシオスとは相容れない相手なのだと悟っていた。


「──芸が無いなぁ、あんたの魔法」


 空中に浮いた状態で、ハオスがイリシオスを見下ろしてくる。


「本当に千年分の魔法の知識をその身体に詰め込んでいるのかって、疑いたくなるくらいに芸がねぇ」


「……そういうお主の魔法は品がないな。最初は子どもが覚えたての言葉を扱うように可愛げがあるものかと思ったが──狂気しか、宿っておらん」


 イリシオスは杖の先を床上へと叩きつけつつ、睨み返す。


「そうじゃろう、他者を傷つけることでしか、悦びを得られない低俗な者よ」


「はっ! 魔法ってのは、()()()()ためのものだろう?」


 何か間違っているかと問いかけてくるハオスの顔はイリシオスの見た目とそれ程、変わらない年頃の少女のものだ。


 人間の少女を依り代にしているハオスは魂を植え付けられている状態なのだろう。

 先程、魔法で手足を何度か吹き飛ばしてみたがすぐに再生され、元通りだった。


 ……ありがちだが、魂が刻まれている核は恐らく「心臓」か「脳」じゃろうな。


 見たところ、ハオスの身体は魔法によって作り変えられているのか、腐っていない。

 正確に言えば、身体が腐る前に時間が止められた状態──死んだ直後の状態が保たれているのだろう。


 故に悪魔の魂を縫い留めるための核は身体の機能として、「命令」を出すには重要な部分だと予測できた。


 ……脳、ではないな。先程、一瞬だけじゃが──攻撃をした時、無意識に胸あたりを右手で庇っておった。


 イリシオスとて、ただ長時間、彼の相手をしているだけではない。

 弱点を突くために相手は何が得意で、何が不得意なのかを焦ることなく見極めろ──それはイリシオスが弟子達に教えたことだ。


 情報を得ることは戦いにおいて、勝利へと一歩近づくことでもある。

 たとえ、相手が自分よりも強く、賢い相手なのだとしても、その者の情報を少しでも引き出し、一手を決める糧とすることが何よりも重要なのだ。


 ……よし、やるか。


 深く息を吐き出し、イリシオスは気合を入れるように、杖の石突で床を二回、叩いた。

 それはまるで、続きを促す合図だった。


 ハオスとイリシオスは同時に魔法を発動する。


 イリシオスは浮いたままのハオスを床へと引きずり下ろすために、足元から大量の植物の蔦を生やし、一気に伸ばした。


 対するハオスは空気中の水分を凝結させ、形成させた無数の氷の礫をイリシオス目掛けて発射する。


 防御することよりも、攻撃速度を優先させた互いの魔法は空中で衝突し、削り合っていく。

 しかし、蔦よりも氷の礫の方が威力は強いのか、蔦を割いた礫がイリシオスへと襲い掛かる。


 自身の身を守るための結界を形成するよりも早く礫が到達した──という風に見せかけて、イリシオスは()()()攻撃を受けた。


「──っ」


 直撃は免れたものの、それでも左のこめかみ辺りを礫が掠めたことで、冷たいものが頬を流れていく。

 視界に散っていく赤いものは間違いなく自身の血だ。


 目の前の悪魔は攻撃がやっと()()()()ことを喜んでいるのか、口元は弧が描かれている。


 受けた怪我は、大きいものではない。目に入りそうだった血を拭うために、イリシオスは空いている手を使った。

 血を拭った手を勢いよく振りほどき、付着していた血を床へと落とす。


 ほんの数滴。

 だが、これは最初の一手だ。


 ……まず、一つ目。


 焦ってはならない。焦りを見せてはならない。

 冷静さを保ちながら、イリシオスはハオスを見上げる。


 彼は己が優位に立っていると思っているのか、甚振るのが楽しくてたまらないと言わんばかりの表情を浮かべ、次の魔法を発動させる。


 攻撃が当たらないように注意しながら、イリシオスはその場から素早く移動した。

 ここで即死級の攻撃に接触しようならば、全て終わってしまう。


 イリシオスの後方からは、ハオスによって放たれた岩の塊が連なりながら床へとめり込んでいる。

 あの威力を直接、身に受ければ、脱臼どころでは済まないだろう。


 攻撃を避けつつ走っていたイリシオスは、急に勢いを落とし、そのまま振り返る。

 そして、杖の石突を一回、床を叩くように鳴らした。


「いでよ!」


 先程と同じように、イリシオスは床から大量の蔦を生やし、防壁として形成する。

 普通に結界を張って岩石を防ぐよりも、伸び縮みする蔦の特徴を生かした方が、岩石の勢いを削ぎ落せると判断したからだ。


 予想通り、蔦の壁に取り込まれたことで岩石の勢いは落ち、向こう側へと跳ね返されていた──が、それを見たハオスは愉快そうににやりと笑った。


 ……っ、まさか!


 杖を振り、防御へ転じようとした瞬間、床上へと転がっていた岩石は内側から勢いよく破裂した。

 尖った破片と化したことで、蔦を切り裂き、その刃はイリシオスへと届いた。


「っ……」


 急所となる頭や心臓への攻撃は何とか免れたが、手足には鈍い痛みが残った。

 小さな切り傷が身体には刻まれており、血が腕を伝って、床へと落ちていく。


 ……こやつ、さてはわしの血を回収することを忘れておるな……。甚振ることしか頭に入っておらん。


 目的よりも欲を優先してしまうのは、悪魔らしいと言えば悪魔らしい。


 イリシオスはすぐさま、自身の身体に治癒魔法をかけていく。それまで血が流れていたが、魔法を使うとぴたりと止まった。

 それでも「痛い」と感じたことが消えるわけではない。


 ……まさに我慢比べと言ったところか。


 やってやろうではないか。

 この程度の痛み、これまで経験した苦痛に比べれば虫に刺されたようなものだ。


 杖を構えたイリシオスは血濡れのまま、不敵な笑みを浮かべる。

 

 怪我をして、笑うとは思っていなかったのだろう、ハオスは眉を小さく顰めていた。


「さぁ、続きを。……最後、この場に立っているのはどちらなのか、決めようではないか」



 幼い見た目に似合わず、凛とした声はその場に染み渡るように響いていた。


 

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