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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
愚者の旅立ち編
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剣士の戦い

  

 身体に負担がかかると分かっていながらも、ブレアは身体強化の魔法を使い続けた。


 ……塔までの距離、残り百五十メートル……!


 ブレアが足に力を入れるたびに地面が少しだけ抉れていく。


 間に合え、と心の中で何度も呟いた。

 感情のまま動くことが正しいとは限らないと分かっている。それでも、ここで動かなければ自分は絶対に後悔する。


 風を切るように進んでいる時だった。

 突如、前方から何かが飛んできたことを察知したブレアは、避けながら急いで止まる。


 先程までいた場所には、短めのナイフが二本、突き刺さっていた。殺傷力はないが、それでもブレアの意識を逸らし、動きを止めるには十分だった。


 そのナイフの持ち主が誰なのか、自分は知っている。


「っ……! 何のつもりだ、くそ爺っ!」


 ブレアは暗闇に向かって吠えた。


 目の前の小型のナイフを投擲武器として好んでいるのは、忌々しい祖父しかいない。

 このナイフは祖父が贔屓にしている鍛冶屋でしか、作られていないからだ。


「──よう、ブレア。そろそろ来ると思っていたぜ」


 しわがれた声と共に暗闇から現れた祖父、ベルド・スティアートは喉を鳴らしながらブレアへと挑戦的な視線を投げかけてくる。


「さっきの膨大な魔力を()()、塔に行こうとしているんだろう?」


「……だったら、何だ。あんたには関係ないだろう」


「いいや、これが少しばかり関係あってな」


 ベルドはそれまで、陽気な口調だったが一瞬にして、彼から強い威圧が放たれる。


「ブレア。お前があの塔に行くと言うならば、わしはここで──お前を止めねばならん」


「っ……!」


 ベルドが腰に下げている長剣の双剣を引き抜き、構えた。


「お前に任されたことは何だ、ブレアよ。……教団内に出現する魔物の討伐だろう。ここで私情を挟む暇があるのか?」


「……! まさか、最初からイリシオス先生が何をするつもりだったのか、知っていたのか! 知っていて……全てを知っている上で、止めなかったのか!」


 向けられる威圧を切り捨てるように、ブレアは長剣を素早く抜いた。


「それが、イリシオス総帥の望みだ」


 低く、はっきりとした声がブレアの耳に入ってくる。


「彼女の覚悟を、誇りを、願いを、意志を──理解しているからこそ、止めたりしないさ。そんな権利、わしにはないからな」


「っ……!」


 ブレアはそうだった、と思い出す。この男も自分と同様にイリシオスの弟子だったことを。

 それ故に、ベルドがイリシオスの意志を引き継ごうとしているのだと察した。


 ……これだから、この男のことは気に入らないんだ……!


 いつだって、自分がなれない「己」に簡単に到達してしまう祖父。それなのに自分は欲するものに手を伸ばしても届くことなく、空を掴むばかりだ。


「上に立つ者ならば、甘い考えは捨てろ。……この大局によって、長い夜が終わる。ならば、お前も己がどうするべきか、分かるだろう」


「いいや、微塵も分かりたくはないね! ……自分の恩人を犠牲にしてまで得た勝利を、心から喜べるわけがないだろう……!」


「……ならば、時が来るまでここでお前を抑えるしかねぇな。なに、少しばかり足止めさせてもらうだけだ。命までは取らん」


 ベルドの瞳に剣呑さが宿る。


 本当ならば、模擬戦以外での団員同士の戦闘は禁じられている。力を持つ者は、周囲に与える影響を常に頭に入れておかなければならない。

 けれど、今だけは規則を破ってでも、お互いに譲れないものがあるようだ。


 睨み合っていたが、最初に静寂を破ったのはベルドだった。


「イリシオス総帥の邪魔は誰にもさせねぇ」


 その瞬間、目の前にいたはずのベルドの姿がひゅんっと消えた。だが、消えたわけではない。

 攻撃が来ると判断したブレアはすぐさま剣を振った。


 ──ガンッッ!!


 互いの剣が交わった激しい音がその場に響く。ベルドの剣を受け止めたブレアはぎりっと奥歯を噛んだ。


 ……この男、本気を出さずとも私を止められると思っているんだな。


 祖父のそういうところが大嫌いだ。この戦い、彼にとってはただの手合わせにしか過ぎないというのか。


「こん、のっ……!」


 ブレアは剣を握りしめる手に力を込め、ベルドの剣を弾き返す。そしてそのまま、一歩を踏み込み、蜂が針を刺すように剣先を突き出した。


 しかし、ベルドはブレアの動きをあらかじめ予測していたのか、首を軽く逸らすことで向かってきていた剣先を避けていた。


「最初から首狙いとは。随分と直情的じゃねぇか。……いや、昔と比べりゃあ、今の方がまだ理性的か」


 向こうはブレアを止める気しかないようだが、こっちはベルドを殺す気でいる。いや、いつだって祖父と剣を交える時は殺す気満々なのだが。


 ブレアは息をすることさえ忘れ、次々とベルドに向けて一撃を放つ。だが、ブレアの剣筋をベルドは読み切っているようで、全て簡単に避けられてしまう。


 ……こんな奴を相手にしている暇はないというのに……!


 少しでも隙を見せれば、そこを狙われると分かっているため、背中を見せることなど出来ない。


 暗闇の中、耳をつんざく激しい音が途絶えることなく響き続ける。

 自分はそれなりに強いと自負しているが、剣の天才と呼ばれた祖父を相手にするのは容易いことではない。


 ブレアの剣を難なく避けていたベルドはすぐに攻撃へと切り替える。


「くっ……」


 ベルドは普段から双剣を好んで使っているが、その一撃は重く、そして速い。


 ……くそっ……。ほぼ、同じ剣技だというのに、こうも差がはっきりと分かると嫌になる……。


 思わず、舌打ちしたくなってしまう。攻撃へと転じたベルドの一撃を避けるのに精一杯で、反撃する暇さえ与えてくれない。


 ──ヒュッ!


 風を斬る音と共に、ベルドの剣がブレアの頬に赤い一線を描いていく。


「っ……」


 冷たいものが頬を流れていくが、ブレアは気にすることなく目の前の相手だけを見据えた。


「ふむ……。わしの剣をこれだけ受けて、小さな傷一つで済むとは……。以前よりも成長しているようだな」


 まるで、祖父が孫の成長を喜ぶような口調だが、ブレアにとっては反吐が出る言葉でしかない。


 どれ程、強くなろうとも結局、自分は祖父が立っている場所に追いつくことは出来ないのだと突きつけられている気がしてならなかった。


「ブレアよ。お前の手で、全てが救えるなんて思い上がるんじゃねぇ。わしらにはわしらにしか出来ないことがある。ならば、イリシオス総帥を信じ、彼女がなすことを──」


「──ふざけるなっ!」


 ベルドの言葉をブレアは切った。


「多くの他者を守るために、イリシオス先生を犠牲にしろと言われて、頷けるわけがないだろう!」


 脳裏に過るのは、柔らかな笑みを浮かべた恩師の姿。

 

 千年、という月日を口にしてもそれがどれ程の時間なのか、ブレアの感覚では共感することは出来ない。

 けれど、彼女が今まで築き上げたものを理解することは出来る。


 そして、イリシオスが自分を救ってくれたことを一度も忘れた時なんて、なかった。


「あの人の意志を理解し、尊重するために──なんて、そんなこと、言われなくても分かっているんだよ、こっちは!」


 ブレアの反論に対し、ベルドの表情が小さく歪んだ。


「緻密な作戦を立てる時間がない上に、あの悪魔に対処出来るのがイリシオス総帥しかいなかったんだから、仕方ねぇだろう! 奴が扱うのは我々では手に余る古代魔法なんだぞ!」


 再び、二人の剣が交じり合う音が響く。それは互いの感情がぶつかり合う音にも聞こえた。


「お前は甘いんだよ、ブレア! 人の上に立つってことはなぁ! 自分の命を盾にしてまで、他者を守る覚悟を持たなきゃならんってことだ! イリシオス総帥はいつだって、それが出来ているだけなんだよ! そうやって、お前みたいに私情を挟むだけ挟んで、『何も守れなかった』なんて、出来ねぇんだよ! それこそ愚か者のすることだ!」


「甘くて結構! あんたの言う通り、私は私情を殺すことなんて出来ないからな!」


 ガキンッとブレアはベルドの剣を跳ね返し、吐き捨てる。


()を殺し、(こう)を守る? ──そんなもの、くそくらえだ! 甘かろうが、何だろうが関係ない! この感情は決して、無かったことには出来ないし、したくない! それが『ブレア・ラミナ・スティアート』という剣士の在り方だ!」


 ブレアが吠えれば、ほんの少しだけベルドの目が見開かれた。


 このまま、イリシオスを失いたくはないという気持ちに蓋をし、目を逸らしてしまえば、それは「自分」ではなくなってしまう気がした。

 そして、きっと後悔という言葉だけでは足りない程、悔い続けるのだろう。


「それにまだっ……私は、あの人に恩返しをしていないっ!」


「っ……」


 一瞬、ベルドの剣に迷いが生じたのをブレアは見逃さなかった。


 ブレアはそれまで抑えていた魔力を一気に解放する。

 全ての意識を両目へと集中すれば、神経が千切れそうな程に強い痛みが襲ってくる。それでもこの隙を自分が逃すわけがない。


 青く発光するブレアの双眸はベルドの全体を捉えた。自分と同じ、スティアート家特有の魔力を彼は持っている。

 鍛え上げられたその魔力が、頭のてっぺんから足の指先まで循環しているのがブレアの魔視眼(ましがん)()()()


 躊躇いを見せたベルドが再び、ブレアへと剣を振った。

 同時に彼の身体に隅々まで行き渡っている魔力が動く。


 ……右の剣を右下から左へと薙ぎ、左の剣を下から突き上げる……!


 ベルドの動きがブレアの両目ではゆっくりと見えていた。

 だからこそ、分かる。彼が次にどんな動きをするのか──。


 ブレアはベルドの魔力の動きを魔視眼で()()し、彼が次に繰り出そうとしていた攻撃を完全に()()()()


「そこを退けぇっ、くそ爺ぃっ──!」


 握っている剣に、膨大な魔力を注ぎ込む。立ち塞がるものを打ち砕く力をここに集約させ、ブレアは剣で渾身の一閃を描いた。


 ベルドは咄嗟に双剣を交差させ、ブレアの一閃を防ごうとしたがそこに激しい音が響く。


 ──ガキンンッ!!


「っ──!?」


 ベルドの剣にひびが入り、刀身に伝う亀裂によって真っ二つになった。彼も愛用の剣が折れると思っていなかったのか、目を大きく見開いていた。


 ……今だっ……!


 がら空きになったベルドの身体の下半身に向けて、ブレアは思いっきりに足で蹴り上げる。


「がっ……!?」


 ブレアの足はベルドの急所へと直撃したことで、彼は後方へと体勢を崩した。


 どんなに屈強で、天才だとしても、「人間」の基本的な急所は変わらないものだ。彼の身体は重力に抗うことなく、地面の上へと倒れた。


「ぐっ、ブレア……。お前って奴は……」


 さすがのベルドも急所の痛みには耐えられないようで、顔を顰めている。


 この状況下で祖父に一撃を与えることが出来るならば何だって良かったが、思っていたよりも通用しているらしい。


 剣士だとしても、剣だけで戦うわけではない。勝つためには、どんな隙も見逃さないと最初から決めていた。


「お前はそこで寝ていろ、くそ爺!!」


 ブレアは吐き捨てるように告げ、ベルドに背を向けて走り出す。


 ……先生っ、先生、どうか……!


 間に合えと願うことしか出来ないもどかしさを抱きながら、ブレアは塔を睨んだ。





 塔に向かって走っていく孫娘の姿をベルドは浅い息をしながら見つめていた。


「……全く……このような手を使うとは……」


 いくら身体を鍛えているとしても、鍛えられない部分もある。ブレアはそれを分かっていてやったのだろう。

 自分に絶対に勝つために。


 ベルドは深い溜息を吐きながら、何とか立ち上がる。

 愛用していた双剣はブレアの渾身の一撃を真正面から受けたことで、綺麗に折れていた。


「あいつめ……。あれほど、持て余しておった『魔視眼』をちゃんと自分のものにしているじゃねぇか」


 今まで一度も、剣を折られたことはなかった。

 誰も自分を超えられないと思っていたが──やはり、うぬぼれだったようだと、ベルドは薄く笑う。


「……若いってのは、いいもんだ。自分を偽ることなく、真っすぐ進むことが出来るんだからよ」


 塔へと向かったブレアの姿はもう、見えない。

 この勝負は、自分の負けだ。


 それ故にブレアを追いかけることはしなかった。

 負けた以上は──彼女に、譲ろう。


「……けど、悪ぃな、ブレア。……もう、決まっているんだ」


 低い声は暗闇の中に溶けていく。

 ブレアが向かった先に何が待っているのか知っているからこそ、ベルドは苦い表情を浮かべた。


「……恩返し、か……」


 いつか、きっと果たそうと思っていた小さな望み。

 その想いを抱いていたのはブレアや自分だけではない。イリシオスの世話になった者ならば、誰だって思うことだ。


 けれど、この望みが叶うことは二度とないのだろう。

 自分は結局、この数十年を費やしてもイリシオスに恩返しが出来た、なんて思うことはなかったのだから。


「自己満足だって分かっているんだが、やっぱりやり切れねぇもんだな」


 心に残る後悔を拭う方法など知らない。

 だから、自分は自分のやり方で、イリシオスが望むものを切り開くことしか出来ない。それが、『ベルド・スティアート』という剣士の在り方だ。


「……さて、剣も折れちまったし、予備の剣を取りに行くか」


 折れた剣を拾い上げ、ベルドは塔へと背を向ける。


 教団内にはまだ、魔物がうろついている。

 残りの魔物を片付けるために、ベルドは歩き始めた。


   

 

活動報告にて、「大きなお知らせ」について書いています。

ご興味がある方がいれば、ぜひご覧くださいませ。

 

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