捨てきれないもの
かつての友人をその手で見送ったブレアは深い息を吐いてから、唇を結び直した。
ここで、嘆いている暇などない。
魔物達は今も教団内で蠢いているのだから。
じわりと、背後から新たな気配を感じたブレアはそちらへ視線を向ける。
ブレアを狙うように距離を取りつつも、鋭い視線を向けてくるのは猿のような姿をしている魔物だ。
数はざっと見たところで五体。彼らも知恵が働くようで、数で押し切ろうとしているのだろう。
「……次から次へと、終わりがないな」
呆れたような溜息を吐きつつ、ブレアは魔物達を睨み返す。
あの陰湿な悪魔は一体、どれほどの魔物をこの戦いに投入しているのだろうか。
いくら魔物への対処に慣れていると言っても、体力や魔力、そして使う道具には限りがある。もはや、消耗戦と言ってもいいだろう。
再び、魔物達の相手をしようとしていた時だった。
「──風斬り!」
突如、魔物達の背後から風の魔法が放たれ、ブレアの方に意識を向けていた魔物達は抵抗することさえも出来ずに、身体が両断される。
だが、それで終わりではない。
「冷酷な業火!」
すかさず、見事な連携によって生み出された炎が魔物達を包み込み、一瞬にして塵となって消えていく。
その手際の良さは、普段の任務とは違う「魔物」相手でも通じるものだ。
ブレアは自分の代わりに魔物達を片付けた相手が誰なのか、もう分かっていた。
「随分と早い帰りじゃないか。ロサリア、セルディ」
暗闇からすっと姿を現したのは、自身の部下である『影』の二人だ。
短剣を魔具として使っているロサリアとブレスレットの魔具によって魔法を放つセルディだが、その連携はアイリス達と似ている。
しかし、彼らは遠くの地での出張任務に出ていたはずだ。
「ただいま、戻りました。任務は完遂しています」
抑揚のない声色で、ロサリアが帰還の挨拶をしてくる。難しい任務だったはずだが、彼らは無事に終えて帰ってきたらしい。
さすが、魔具調査課で最も任務を完遂している二人だけはある。
「ご苦労。……しかし、よく戻って来られたな。今回の出張先からここまで、急いでも一日はかかる距離だと言うのに」
「帰る途中で、僕らと同じく任務を完遂したユアン達と合流しまして。彼女の魔法のおかげで移動時間を随分と短縮出来ましたよ」
ユアンは風を操る魔法が得意で、その身体に風を纏わせて、屋根を足場にしつつ跳ねるようにしながら移動することが出来る。
彼らはそれを使って、街の家々の屋根を駆け抜け、一直線に教団まで飛んできたようだ。
セルディは軽く笑っているが、その額には薄っすら汗が浮かんでいる。よほど、急いで帰って来てくれたに違いない。
「それで、ユアンとレイクはどこに行ったんだ? 途中まで一緒だったんだろう?」
周囲を見回しても、二人の姿は見えない。
「教団の敷地に入ってから、二手に分かれました」
「恐らく、他の場所で魔物を討伐しているのではないかと。……僕達はとりあえず、非戦闘団員と合流しようと思って、本部に来たんです」
「なるほどな。……ああ、それなら後で、ナシル達に顔を見せてやるといい」
「ナシル先輩達も、本部に?」
「……ライカは?」
「ライカもナシル達と一緒にいる」
ブレアがそう答えれば、ロサリアは安堵したようにふっと息を吐いた。
「本部には非戦闘団員と怪我人がいるから、魔物が入って来ないように強めの結界が張ってある。……だが、結界を破壊されてしまえば、元も子もないからな」
「……それでブレア課長は本部の周辺から動かずに、ここでずっと戦っていたということですね」
セルディの問いかけにブレアは首を縦に振った。
「でも、お前達が来てくれたおかげで、少しは楽が出来そうだ。そろそろここを離れて、他の場所に出現している魔物を狩りに行きたいと思っていたんだ」
ブレアが喉をくっと、鳴らすように笑えば、セルディは肩を竦めていた。
「ブレア課長ほど強くはありませんが、その期待に応えられるように、僕達がここで防衛線を張りましょう」
セルディの隣でロサリアがこくりと頷いている。
とりあえず、この二人がいれば、魔物が本部に侵入することは出来ないだろう。
二人の戦闘能力や連携は中々のもので、魔物討伐課の団員に匹敵する力を持っている。彼らに本部の周囲の護りを任せておけば、安心だろう。
そんなことを思いつつ、ブレアは何気なく「塔」の方へと視線を向けた。
現在、塔にて悪魔と交戦しているのは祓魔課が中心となっているため、ブレアには詳しいことは聞かされていない。
……この『悪魔』に、教団の祓魔課が一体、どこまで対処出来るか……。
混沌を望む者が普通の悪魔ではないことは分かっている。
それでも、こちらにはその道に特化した熟練の魔法使いがいるのだから、不安は抱き過ぎない方がいいだろう。
だが、その時だった。
塔に向けていた視線に、妙な魔力が映り込んだ。
「何だ、あの魔力は……」
ロサリア達に聞こえないほどの声量で、ブレアはぼそりと呟いた。
塔の方から視えた魔力は、まるで光の柱を地上から空に向けて放っているようだった。異様な圧を感じる魔力の中には、何故か神々しささえも感じてしまう。
教団の誰も持っていない、その魔力の質が視えてしまったブレアは顔を顰める。
明らかに悪魔の魔力ではない。奴の魔力はもっと粘り気があり、なおかつ陰りを感じる魔力だった。
最初は教団の魔法使い達が一つの強大な魔法を使おうと魔力を一つに合わせているのかと思ったが、それとは違うものだと視ていれば分かる。
……純粋に、ただ一つだけの膨大な魔力……。
こんな魔力など、知らない。──いや、全く知らないわけではない。
自分はこの魔力と似ているものを持っている人物を知っている。
……何故だろうか。クロイドが持っている魔力に似ている。しかし、あいつの魔力は他の奴と比べると膨大だが、塔から見える魔力ほどじゃない……。
喉の奥に出かかっているものが何なのか分からず、もどかしく思いながらも、その答えは出ない。
ブレアは記憶の中から、クロイドの他にも例の魔力と似ている質を持った者を探した。
……あれは……あの、魔力は……。
一度でも視て、感じた魔力を忘れることはない。
ブレアはその中から、クロイドと微かに似ている魔力の質を持った者を思い出す。
「……ローレンス家……!」
思わず、言葉が口から漏れてしまう。
以前、ブレアはアイリスの実家であるローレンス家の親族と会ったことがある。
その時、ローレンス家の者から感じ取った魔力は今まで感じたものの中で一番、清廉かつ膨大なものだった。それと、塔から感じ取れる魔力は似ていた。
……いや、塔から感じる魔力の方が何十倍も膨大だ……!
しかし、これほどまでに強い、ローレンス家特有の魔力を持つ者はいないはずだ。
一体、どういうことかと疑問を抱いていると、とある顔が頭を過る。
誰よりも幼い姿をしているというのに、誰よりも深い懐と大きな器を持つ恩師──。
……まさか……。イリシオス先生……?
イリシオスが少し前に話してくれたことだが、かつて教団を共に創った祖であるエイレーン・ローレンスから、彼女の魔力が籠められた魔具をいくつか託されたらしい。
その魔具を使っているというならば、圧倒させるほどに膨大な魔力の量と質にも納得がいく。
そして、エイレーンが遺した魔具を使う人物は間違いなく、イリシオスだと断言出来た。
……イリシオス先生が、エイレーンから託された魔具はここぞという時にしか使わないと約束したと言っていた……。
ブレアの背筋に冷たいものがすうっと流れていく。
──イリシオスは安全な場所で、指揮を執っているのではなかったのか。
──何故、悪魔と交戦している塔から、ローレンス家特有の魔力が感じ取れるのか。
──誰が、エイレーン・ローレンスの魔力を宿した魔具を使っているというのか。
ざわり、とブレアの心が乱れ始める。
「っ……!」
言葉に出さずとも、抱いた疑問の答えは出ていた。
全身から汗が吹き出しそうになってしまうのは、自分にとっての「最悪な結末」を迎える可能性を恐れているからだ。
「──ロサリア! セルディ! ここは任せたぞ!」
「えっ!? あっ、ブレア課長!?」
突然、塔の方向に向かって走り出したブレアに驚いたのか、セルディが後ろから名前を呼んだ。それさえも無視して、ブレアはただひたすらに塔に向かって駆けていく。
……先生っ、イリシオス先生……!
悪魔と交戦し始めて、どれほど時間が経っただろうか。まだ、塔から伝わってくるローレンス家特有の魔力は感じ取れるが、それでも不安は拭えなかった。
何故、気付かなかったのだろう。
責任感が強く、慈悲深いあの人が団員達だけに戦わせて、自分は安全な場所で守られたままでいるわけがないのに。
今まで彼女と接していれば、そんなこと分かっていたはずなのに。
それ故にイリシオスが何をするつもりなのか、ブレアは薄々、気付いていた。
……嫌だ、私はもう……何も……っ。
ブレアは唇を強く噛みしめ、走る速度を上げるために、身体強化の魔法を使った。
骨と筋肉が軋む音が僅かに聞こえたが、今はそんなこと、どうでもいい。
これ以上、大切なものを失いたくはないからこそ、ブレアは私情を捨て切ることが出来なかった。
リアルが忙しく、長らく続きをお待たせしてしまい、まことに申し訳ございません。
三月の上旬か中旬くらいから、再び週一での更新に戻れそうです。
引き続き、「真紅の」をよろしくお願いいたします。




