魔視眼
魔具調査課の課長であるブレア・ラミナ・スティアートは愛用の長剣を腰に下げ、教団本部の周囲の見回りをしていた。
非戦闘団員達や治療を受けている団員達は、魔物が入ってこないようにと結界が張られたこの本部の建物に避難しており、ブレアは彼らを守るように近付いてくる魔物を次々と狩っていた。
任務に出ている魔具調査課の部下達にも一応、教団の緊急事態を知らせたが返事は返ってきていない。
彼らが帰って来てくれると、こちらとしても助かるが、遠方に出向いている部下達が戻ってくるには時間が足りないだろう。
周囲をしっかりと警戒しつつも、ブレアは深い溜息を吐いた。
……あのくそ忌々しい爺も今頃、教団の敷地内で魔物を狩っているだろうな……。どこかで鉢合わせしたら、斬りかかってしまいそうだ。
こちらをからかうような態度を取る実の祖父、ベルドの顔が頭に浮かんだブレアは思わず、舌打ちしてしまう。
普段は冷静で、頼れる課長としての威厳を保っているブレアだが、祖父が絡むとどうしても自身の感情の方を優先しがちだった。
接近禁止と言われたが、あの男を視界に捉えるといつのまにか身体が動いているので仕方がないのだ。
そういう点では自分はアイリスと似ているのだろう。
……いや、アイリスが私に似たのかもしれないな。
ふと、脳裏に浮かんだのは今も眠ったような状態のアイリスの顔と悲痛な表情を浮かべるクロイドの姿だった。
ブレアは唇を噛むようにしながら、結び直した。
……もう二度と、失わせてやるものか。
自分にとって、アイリスとクロイドは弟子でもあり、部下──そして見守るべき者達だ。
だからこそ、これ以上、彼らにとっての大事なものを失わせるわけにはいかないのだ。
今回、悪魔「混沌を望む者」の対処は、対悪魔を得意としている祓魔課が中心となっていると聞いている。
そして、総帥であるイリシオスは、彼女が持っている対悪魔の知識を用いて、祓魔課の補助をすると言っていた。
何も心配はいらないとイリシオスは笑っていたが、ほんの少しだけ不安のような曖昧なものが頭に過ぎるのは何故だろうか。
微かにざわつく心を静めつつ歩いていると、前方から魔力が感じられ、ブレアはすぐさま剣を引き抜いた。
瞬間、目の前には大きな牙が迫ってきており、ブレアはそのまま剣で一閃を描くように、横へと薙いだ。
「っ……!」
剣筋は魔物本体へと直撃したはずだが、思っていたよりも身体が硬いようで傷を付けるには至らなかったようだ。
剣の柄を握る手に残るのは、重いものや硬いものを叩いた際に残る痺れだった。
ブレアは目を細めつつ、自分の相手となる魔物を見据えた。
黒い毛皮と大きな痩躯、爪は触れただけで引き裂かれそうな程に鋭く、口元から見えている牙に噛まれれば、二度と離してはくれないだろう。
……大きさは私の二、三倍といったところか。瞬発力もあるようだが、何より皮が硬い。……いや、先程の手応えからして、皮膚というよりも身体を覆っている毛が鉄のように硬く、盾の役割をしているのだろうな。
ひゅっと風を斬るように音を立てながら長剣を軽く横に振りつつも、ブレアは先程の一瞬で得た情報を頭の中で整理していく。
……この手の魔物の対処方法はあるが、長時間、相手にするとなると厄介だな……。
恐らく、鉄のような剛毛を使って相手を少しずつ傷付け、じわじわと体力を奪うつもりなのだろう。
魔物は体勢を整え直したのか、再びブレアの方へと顔を向けてくる。
そして、鋭い爪を用いて、何とかブレアを捕らえようと攻撃を繰り出してきた。
ブレアにとって、それらは単調な攻撃だが油断はならないため、しっかりと見極めながら攻撃を躱していく。
しかし、何故だろうか。魔物の内側から漏れ出ている魔力に奇妙な心地を抱いてしまう。
……この魔物……身体の中に魔力が二つ、存在している……?
感じ取れた二つの魔力の質はどうやら別々のもので、片方は小さい波動を持ちながらも、そこに存在しており、混ざり切ってはいないようだった。
「……ふむ」
少し考え、攻撃が届かないようにと一時的に魔法で結界を形成する。
案の定、魔物は結界を破ることが出来ず、まるで猫が壁を引っ掻くように結界に爪を立てていたが、傷が付くことはなかった。
その間に、ブレアは遮魔鏡と呼んでいる眼鏡をするりと外した。
そして、眼鏡入れの中に仕舞ってから、再び目を開く。
黒茶色だったブレアの両目は、まるで光が宿っているように淡い青色に発光していた。
魔視眼と呼ばれるこの瞳は、ブレアの高すぎる魔力に影響され、後天的に発現したものだ。
魔視眼は周囲の魔力を視覚化して視ることが出来るが、その分、瞳や身体にかかる負担は大きいため、普段は遮魔鏡をかけていなければならない。
また、この遮魔鏡はブレアの魔力を制御するための魔具でもあった。
日常生活を送る際に負担がかからないようにと、イリシオスから遮魔鏡を外すことを禁じられているが、今回は緊急事態であるため、己の判断で外すことが許可されていた。
ブレアは改めて、目の前の魔物を見据えた。
それまでは感覚的にしか感じ取れなかった魔力が、大きな身体の中に二つ、存在しているのを発見する。
……一つは確実に魔物の魔力だが……。もう一つは喰われた魔力持ちの人間の魔力か?
仮にそのような場合、喰われた魔力はすぐに養分として変換され、魔物本来が持っている魔力に溶け込むはずだ。
ならば、喰われた人間が魔物の中で生きているかと問われれば、否だ。
確かにこの魔物の身体は大きいが、人間を殺さないまま一飲み出来る程の口の大きさではない。
疑問を抱きつつも、隠されたものを見透かそうとブレアは魔物を凝視する。
結界越しにこちらに牙と爪を立て続ける魔物は、目の前の獲物を何とか喰おうと必死にもがいているように見えた。
だが、魔物が持っている魔力の質が、自分が知っている相手と一瞬、重なったように感じられたブレアは目を見開いてしまう。
「……なっ……」
思わず、小さな呟きが口から零れ落ちた。
呼吸がしにくくなったのは、恐らく気のせいではない。
「そんな……」
自分と対峙している黒く大きな魔物に、かつての友人の姿が重なっていく。
アイリス達の報告によって、すでに教団側では死亡扱いされている、ブレアよりも年上で根は真面目なのに、好奇心旺盛な友人。
教団の魔法使いでありながらも自らの足で現地へと赴き、謎を解き明かすことが好きで、まるで夢見る少年の心を持ったまま、力強い足並みで自身の望みを得るために突き進んでいた、冒険者な彼──。
「エディク……。まさか、お前、エディク・サラマンなのか……!?」
もはや面影など微塵も残っていないというのに、かつての友人の魔力だけは確かにそこに存在していた。




