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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
愚者の旅立ち編
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黒杖司の戦い

 

 どうするべきかと考えていると、動けないでいるベルドのもとへと歩いてきたイリシオスはぴたりと立ち止まった。

 彼女はベルドの顔を見て、にこりと笑みを浮かべた。


 ──わしの勝ち、じゃな。


 イリシオスはまるで子ども同士の遊びに勝った少女のように、無邪気に笑っていた。


 彼女が右手を軽く下に下げれば、ベルドの身体を捕らえていた何かは口を大きく開いて、解放してくれた。


 地面に座り込むようにしながら、見上げてみればそこに美しくも凛々しい黄金の獅子がいた。

 討伐するべき魔物とは格が違うと瞬時に理解するも、黒い瞳に見下ろされていると今にも食われそうな気がして、唾をごくりと飲み込んでしまう。


 イリシオスが言うには、この獅子は「黄昏(ダスク)」という名で、元々はエイレーン・ローレンスの契約魔だったらしい。

 昔、エイレーンから譲り受け、契約者をイリシオスに書き換えているので、彼女が命令しない限り、襲うことは無いという。


 契約魔による攻撃はさすがに予測していなかったため、ベルドはなるほどと思いつつも、ふぅと深い息を吐く。

 自分の右手は空っぽだ。この契約魔が召喚された瞬間に、剣を落としてしまったので勝負としてはベルドの負けだろう。


 だが、イリシオスは負けた自分を何故か褒めてきたのである。


 ──ベルド・スティアート。お主は臨機応変に自分を動かすことが出来る剣士じゃ。その上で問おう。……この戦いにおいて、お主は何を求めて剣を振るっていた?


 その質問に対して、ベルドはすぐに答えを出すことは出来なかった。


 最初は、ただ単純作業だった。

 だが、途中からは違う。


 一筋縄ではいかないと分かった時、どうにか「勝ちたい」と思ったと、ベルドは素直にイリシオスへと告げる。

 彼女は少しだけ目を細めてから、頷き返した。


 ──お主は剣を振るうことに「意味」と、そして自分の存在に「価値」を与えたかったのじゃろう?


 穏やかな問いかけは心臓の奥まで貫いていった気がした。


 彼女の言う通り、自分は──「ベルド・スティアート」は誰かにとっての「剣術の天才」であり続けなければ、価値がないと思っていたからだ。


 ──お主は確かに強い。わしと対峙した時、己の強さを理解しているからこそ余裕を持っているように見えたが、油断はならぬ。……自分の力を過信し過ぎていると、いつかきっと大事(おおごと)として自分に返ってくる。もしかすると、自分ではなく──その手で守りたかった者に、被害が及ぶことだってあるかもしれぬ。


 イリシオスはベルドに向けてその言葉を告げたというのに、まるで彼女自身を諭しているようにも聞こえた。


 守りたいものなんて、自分にはなかった。

 剣を振るうことの意味はただの自己表現でしかなくて、止まってしまえばいつか消えてしまうと思ったからだ。

 自分の存在に意味がなければ、価値がなければ──そうしなければ、いけないと強く思っていた。


 ベルドが唇を小さく噛んでいると、目の前から鈴のような声が降って来た。


 ──そもそも、それほどまでに焦る必要はない。


 その一言に、ベルドは瞳を瞬かせる。

 イリシオスは猫のようにじゃれている黄昏(ダスク)の喉を右手で撫でつつ、こちらに振り返った。


 ──わしは不老不死となってから、生きる意味を見つけるのに百年はかかった。……おかしいじゃろう? 不老不死という身体を手に入れたというのに、「生きる」意味を見出せなかったのじゃ。それなのに、まだ生まれて十数年そこらのお主が生きるための理由を見つけようと焦っている姿は、わしからすれば生き急いでいるようにしか見えぬ。……それはあまりにも、虚しく惜しいことじゃ。


 約千年近く長生きしているイリシオスから見てみれば、十数歳の自分の人生の長さなどちっぽけなものだろう。

 それでもイリシオスの表情はいたって真面目だった。


 ──世界は広く、未熟なお主はまだまだ空っぽじゃ。だが、空っぽということは、これから出会う未知なるもの、自分の一部となるもので満たすことが出来る特別な機会に多く恵まれる可能性があるということじゃ。


 はっきりとそう言い切ったイリシオスの言葉に、ベルドは目を見開く。未熟、と言われたのが初めてだったからだ。


 ──これから先、お主と模擬試合をすることになっても、わしは千年分の知識と踏んできた場数の多さを用いて、お主に勝つことが出来ると言い切れる。


 にやり、とイリシオスは不敵な笑みを浮かべた。


 この時、今の自分のままでは今後も彼女に勝つことは出来ないとそう思える程の圧倒的「差」がそこに存在しているのだと理解した。


 そして、イリシオスはベルドに向けて、勝ちたいかと問いてきた。

 初めての未知の感覚を得たベルドは無意識に頷き返していた。


 ──ならば、わしに勝つための課題をお主に与えよう。お主がこれから進む五十年という月日の中で、剣を振るう理由を見つけて、わしに見せつけてみせよ。自分の意思で得たものはきっと、お主にとっての良き糧となり、わしに勝つための一歩となる。


 思わず、ベルドは表情を崩してしまいそうになった。


 この人は自分がこれから進む人生という過程を見守ると言っているのだ。

 そして、その集大成を己にぶつけることで見せつけよと言っている。


 親よりも、親らしい一言に視界が歪みそうになった。


 そうだ、本当は──天才(結果)だけでなく、今の自分(歩む過程)も認めて欲しかったのだ。


 この時、ベルドの心は決まった。

 それまでの虚無感を取り払い、新たな目標を抱くことで、天才を越える「唯一」となりえる存在に向けて一歩を踏み出した。


 見守ってくれるというならば、見せつけてみせようではないか。

 イリシオスが立つ場所へと辿り着くまでの過程を。


 そして、いつかきっと彼女に「参った」と一言、言わせてみせるのだ。

 自分の五十年が彼女の千年に匹敵したのだと、認めさせるために。


 

 それからのベルドは一変した。剣術や魔法だけでなく、あらゆることを吸収し、己の一部とするために学んだ。

 自分の知らないことがあれば、素直にその分野を得意とする者に訊ねては理解を深めた。学ぶことの過程が楽しくて仕方がなかった。


 次はどうやって、イリシオスに挑もうか。

 どうすれば勝てるだろうか。

 彼女ならば、どのような手を使って勝負を勝ち越すだろうか。


 そうやって思考を巡らせるのはただ、楽しかった。


 だが、理解だけでは強くなることは出来ても、勝つことは出来ない。

 ベルドは積極的に強い魔物を討伐し、どのような状況にも臨機応変に対応するための戦い方を学び直した。


 魔物を討伐し、命を助けた者から感謝されれば、心の奥に温かいものが生まれた気がした。

 同時に、自分の手には守る対象の命がかかっているのだと理解してからは、守るための戦い方も会得しようと改めて決意した。


 そして、世界は広いと言ったイリシオスの言葉を知るために、ベルドはイグノラント王国だけでなく、世界を巡りながら魔物を討伐する旅をした。


 旅先で巡り合うものを一つ、一つ、己の一部とする。

 そのたびに自分の視野の狭さと未熟さを嫌という程、実感した。


 そんな日々を繰り返しては、イリシオスに近付くために己を磨き続けた。

 数年に一度くらいの頻度でイリシオスに挑んだが、いつもあと少しというところで戦況はひっくり返され、負けてしまう。


 だが、その「負け」を嫌だとは感じなかった。

 得た経験を次に活かし、また挑もうと前向きに思っている自分がここにはいるのだ。


 それだけでなく、イリシオスは宣言した言葉通りに自分を見守り続けた。

 助言を与える時もあったが、ほとんどがベルド一人の力で解決できるようにと些細な助言ばかりだった。


 成長すれば、イリシオスはまるで我が子のことのように褒めてくれる。

 それが、ただ嬉しいと感じる自分がいた。



 

 ……あれから、五十年以上が経ったが結局、「参った」の一言も言わせられなかったな。


 それでも、あの時に選んだ選択を自分は後悔していない。

 イリシオスに自分の五十年を見せつけ、認めさせる──。

 

 それは長いようで一瞬だった。これから先もずっと刻んでいくことになるのだろう。

 だが──。


「何となく、今日で終わりな気がしてならねぇな……」


 ぼそりと呟いた言葉は風に攫われて消えていく。

 妙な不安が肌にひしひしと刺激を与えているように感じていた。


 今夜の件において、イリシオスが選んだ選択を自分は否定しない。

 否定はしないし、尊重する。


 それでも──それでも、最後の最後にもう一度だけイリシオスに挑みたかった。


 そして今度こそ、参ったとその一言を言わせたかった。

 幼子のようだと自分でも思っているが、よくやった、と彼女に言われたかった。


 ……それもきっと、叶わない。


 だから、自分はこれから別のものをイリシオスへと見せつけよう。

 ベルド・スティアートとして、この五十年間で得た全てを用いて、イリシオスが望んだ未来を迎えるために力を果たしてみせようではないか。



 ──ゴーン……ゴーン……ゴーン……。


 目の前にそびえ立っている時計塔の針が夜の十二時を指し示した。

 悪魔が指定した約束の時間だ。


「……さぁて、やってやろうじゃねぇか」


 ベルドは腰に下げていた双剣を一気に引き抜いた。


 自分が剣を振るう理由を今こそ、見せつけてみせよう。

 彼女のために、振るう剣を。




 かつて、「天才」である故に虚無を抱いていた少年は、五十年という月日をかけて剣を振るうための確かな理由を見出し、双剣の柄を握る手に力を込め直した。



  

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