変わり者の一変
黒杖司、アレクシア・ケイン・ハワードがロディアート市街中に大がかりな睡眠魔法を発動させる少し前の時間──。
同じく黒杖司の一人であるハロルド・カデナ・エルベートは王宮に到着していた。
馬車から降りて、荘厳とした佇まいの白き王宮に視線を向けつつ、自身の顎鬚を軽く撫でる。
見た目だけはどこにでもいる老人、といった風体であるがこれでも実力ある魔法使いであり、研究者だ。
「ふむ。表からの見た目は以前、訪れた時と変わらず、といった様子だな」
エルベート家は今でこそ魔法使いの名家と再び呼ばれるようになったが、表向きには貴族でもある。
こう見えて、伯爵の位を持っているが、その爵位はすでに息子の一人に早々と譲っていた。
爵位など、魔法使いの自分にとっては面倒で不必要なものだからだ。
それゆえにハロルドは魔法使いの家としての「当主」の座だけに座っている。こちらはまだ、息子達や孫達に譲るつもりはない。
育て方が悪かったのか、一族の者達は矜持が高い者ばかりだ。
そんな者達に軽々と譲り渡してしまえば、つけあがるに決まっている。
せいぜい、教団内で他の魔法使い達の優秀さを目にし、荒波にもまれ、挫折を知り、己を磨いていく努力をし続け、見極めていけばいいとさえ思っている。
そして、その中で確固たる「己」を得た者に当主の座を渡そうと思っていた。
ハロルドはゆったりとした様子で王宮の中へと足を踏み入れた。
以前と言っても数十年ほど前に訪れた王宮は、外観はほとんど変わっていない。
だが、内装は前と比べると幾分か落ち着いた色合いになっていた。国王が変われば、王宮内の雰囲気も変わるのかもしれない。
華美だった昔よりも、今の方が随分と空気が柔らかくて、落ち着いていて良いとハロルドは低く笑った。
しかし、今夜ばかりはそうはいかないだろう。
「エルベート黒杖司」
低い声に名前を呼ばれたハロルドは、声がした方へと振り返った。
金髪に碧眼の青年、エリオス・ヴィオストルが立っていた。
彼が魔的審査課の特別魔法監察官として外国を飛び回っていることは、研究室に籠ってばかりのハロルドも知っていた。
その優秀さを教団内で知らない者はいないだろう。もしかすると、あと数年後には課長に──いや、黒杖司の席に座っているかもしれない。
だが、このエリオスという青年の性格からして、座って仕事をするのは性に合わない気がする。
「王宮での指揮を執っているのは君か?」
「ええ、そうです。……ヴィオストル家は教団と王宮との橋渡し役ですからね。今のところ、双方に混乱は起きてはいませんし、団員達はすでに指示された配置についています。王家の者と王宮に勤める者達は安全な場所へと避難させました。それと貴殿に用意を頼まれていたものも準備し終えています」
つらつらとエリオスは完了したことについて述べていく。
さすが、というべきか。ハロルドは顔に出すことなく、エリオスの仕事の早さと正確さを心の中で褒めたたえた。
「うむ、ご苦労。……では、準備してもらったものを見せてもらうとするか」
「こちらです。案内します」
エリオスはこちらの歩みの速さを考えて歩いてくれているようで、ハロルドはそれほど急ぎ足にならずに済んだ。
……随分と静かな夜だ。たとえるならば、嵐の前の静けさといったところか。
自分は昨夜、すでに屋敷に戻っていたことから教団内で起きたことを実際に目にしたわけではない。
それでも今夜、ブリティオン王国のローレンス家に仕える悪魔が教団と王宮、市街に魔物を放つという計画を聞き、王宮へと赴いているのだ。
……先生に任された以上は、しっかりと務めを果たさなければならぬな。
市街に住まう市民達はアレクシアが、教団に出現する魔物達はベルドが対処するという。
そして、自分は王宮の守護を任された。
王家の者はイリシオスにとって縁のある者だ。
たとえ、その縁が数百年前に遡り、現在は疎遠になっていても、彼女にとっては大事なものだ。
その大事なものを守るべく、自分は任された。その時の気持ちをどのように表せばいいのだろうか。
いや、元々、イリシオスは自分のことを認めてくれていた。出会ったあの日から、認めてくれていた。
……思い返せば昨日の出来事のようにも感じる。だが、あの日──あの時、先生と出会っていなければ、わしは誰かを傷付ける人間になっていたかもしれない。
魔法使いでもあり、貴族の家でもあるエルベート家。
教団が創られて以降は魔法使いの名家だったが数十年前、実父が魔法使いとしての実績よりも「貴族」としての在り方を優先したことで、魔法使いの家という威光に陰りが差し始めた。
古臭いものよりも、煌びやかで美しいものを好んだ父と母、他の兄妹達は魔法を好む自分を軽蔑した。
彼らにも確かに魔力が宿っており、魔法を扱えるだけの力はあるというのに、それらを自ら捨て去ったのだ。
──なんて、愚かなのだろう。魔法というものにはこんなにも未知の世界が広がっているのに。どうして自ら捨て去ることが出来るのか、僕には理解出来ない。
ハロルドは幼き頃から、自邸の書庫に籠り、先祖達が残した魔法に関する本を読み漁るのが好きだった。
そんな本を父達が自身の見栄を張り続けるために売り払って換金しようとした際には、書庫一帯に結界を張り、本一冊でさえ外に持ち出されないようにと必死に抵抗した。
その成果もあって、書庫の鍵はハロルド専用となったほどだ。
魔法に関する本や先祖が残した記録書を古臭いものとして位置付けているハロルドの家族は、それらを大切にしているハロルドを蔑み、嘲た。
それ故に、ハロルドは一族の中で変わり者と言われ続けた。
自分からしてみれば、変わり者はエルベート家の者達の方だ。
祖父の代だったならば、これほど「貴族」であることに固執することはなかっただろう。
貴族でありながらも教団に属していた祖父は、とても優秀な魔法使いだったと聞いている。
しかし、ハロルドが生まれて数年後くらいに亡くなっており、彼から魔法に関する話を聞きだすことは叶わなかった。
生きていれば、きっとハロルドの良き理解者となってくれただろうに。
味方がいないと分かりつつも、ハロルドは自分がやりたいことだけをやり進めた。
もしかすると、魔法使いとしてのエルベート家は終わりを迎えつつあるのかもしれない。
虚しさと憤りを胸に秘めつつも、ハロルドは魔法の研究を優先した。
祖父の代の縁を頼り、他の名家の当主に頭を下げては、魔法を少しずつ学ぶことも出来た。
父達はそれを許さなかったが、彼らの声は羽虫が鳴いているようにしか聞こえなかった。
恐らく、自分の見目がそれなりに良かったことから、貴族の令息としての教育を施し、家格の良い家の令嬢との縁を結ばせたかったのだろう。
だからこそ、ハロルドは全てを拒否するように早々と教団に入団し、寮生活となってからはさらに魔法に没頭した。
一人でいるのは楽だった。
そうやって、ずっと自分の世界の中に閉じこもって、好きなことだけをしていたい。
認められなくてもいい。
自分は、ずっとずっと──。
そんな時だった。
教団の図書館の窓際の席に座っていた自分に、天使と思えるほど可愛らしい少女が自分に声をかけてきた。
──お主は考え、想像し、そして自分なりの答えを出すことに長けておるようじゃな。
肩下まで伸びた金髪に飾られた赤いリボン。穢れを知らないようにも見えた、綺麗な瞳。
見た目は自分よりも少しだけ年下に見えた。
初恋だったのかもしれない。
だが、見た目に騙されるなという言葉を後々の自分は深く胸に刻むことになる。
天使のような愛らしい容姿をしながら、彼女の口調はまるで全てを統べる長のようだった。
そして、自分は話してもいないのにエルベート家の内情やハロルド自身のことを詳しく知っていた。
──なるほどな。お主は自分がやりたいことだけをやっておると。ふぉっふぉっふぉ。幼いながらもその心意気、立派なものじゃ。子どもは親に反抗して、自身の意思を訴えてこそ、成長するもの。ましてや、自分に目指すものがあるならば、なお良きこと。
彼女はハロルドの頭をぽんぽんと優しく撫でた。まるで、孫に接するように。
その時、覚ってしまったのだ。彼女にとって、自分は遥かに年下で、庇護下に置くべき対象なのだと。
つまり、初恋が失恋した瞬間だった。
そして、彼女こそが教団を統べる総帥であり、千年を生きる魔女、「ウィータ・ナル・アウロア・イリシオス」だということを知り、腰を抜かしそうになっていた。
どのような技術を以ってしてでも、不可能な魔法は何だと問われれば、すぐに挙げられるものは三つある。
まず、「時間」に関することだ。
植物や無機物の時間を操作することは出来るが、人間や世界の時間枠といったものに干渉することは出来ない。
もし、時間遡行などが出来れば、何度も時代の流れは変わってしまっただろう。
次に「蘇生」。
一度、死んだ人間を再び蘇らせることだが、こちらも禁忌となっている魔法で、成功している例はない。
仮に成功したとしてもそれは以前のものとは全く別の生き物と成り果てているだけだ。
そして最後に──全世界の、権力者のほとんどが求めたという「不老不死」。
絶対にあり得ることなどない、全ての叡智の塊。
それが目の前にいた。
この日から、ハロルドが持っていた小さな世界は崩れ去った。
自分の傲慢さとちっぽけさを知った、最初の出会いだった。
いつも読んで下さり、ありがとうございます。
リアル多忙につき、しばらく不定期となっております。
どうぞ宜しくお願い致します。




