緊張下
医務室を出たクロイドはその足で、自身が所属している「魔具調査課」へと向かった。
魔具調査課の扉は昨夜、侵入してきた魔物の攻撃によってひび割れてしまった部分があるので、新しいものと取り換えられていた。
何の変哲もない扉だが一応、魔防が施されている特注の扉らしい。
クロイドが魔具調査課の扉を開けば、そこには先輩であるミカとナシルがコーヒーを飲みつつ、何かを話し込んでいた。
「クロイド、夕食はちゃんと摂ってきたかい?」
こちらに気付いたナシルが、いつもの気さくさを交えた声で訊ねてくる。
「はい、軽めのものを頂いてきました」
ナシルに答えると、その隣に立っているミカが感心するように呟いた。
「よく入るなぁ……。俺、妙に緊張しちゃって、一切れのパンでさえ、喉を通らなかったよ。まぁ、スープはカップ一杯分だけお腹に入ったけれど」
「ちゃんと食べておかないと、あとで倒れるぞ、ミカ。今夜はたくさん、魔法を使うことになるだろうし」
「分かってはいるんだけれどさぁ。ほら、俺ってば元から小食だし」
「筋肉をつくるには食事と運動が大事だって、いつも言っているだろう~?」
「だからと言って、人の食事を勝手に大盛りで注文するのはどうかと思うよ、ナシル」
ミカとナシルのいつものやり取りが始まり、クロイドは思わず、ふっと息を吐くように笑ってしまう。
「あー、ほら、ナシルが筋肉、筋肉って言うから、クロイドに笑われたじゃないか」
「なっ、私のせいじゃないっ! ミカの筋肉がいつまでも貧弱だからだろうがっ!」
ああ、いつもの光景だ、とクロイドは緩やかな安堵を抱いた。
だが、これ以上は空気が悪くなってしまうだろうと思い、クロイドは二人の間に割って入ることにした。
「すみません、笑ってしまって。……でも、お二人のおかげで緊張が少しだけほぐれました。ありがとうございます」
そう言って、お礼を告げると二人は顔を見合わせ、それから肩を竦めた。
「……まぁ、俺達のどうでも良すぎる話でクロイドの緊張がほぐれたならば、何よりだよ」
「そうだな。……クロイドは色々と気負い過ぎる性格だからなぁ。どんな時でも気楽に呼吸が出来るように、思い出しては速攻で笑える話を持っておいた方がいいだろうな」
「笑い話と言えば、レイクがこの前、紅茶の茶葉を床上に盛大に散らかしていたよ。それを見かねたユアンが得意の風魔法で片付けようとしたけれど、むしろ余計に魔具調査課全域に広がり、その場を目撃したセルディにこってりと怒られていたなぁ。そこにロサリアが現れて、散らかった茶葉が足元にあることに気付かずに踏んじゃって、思いっきりに足を滑らせたんだよね。でも、セルディが何とかとっさにロサリアを抱き止めて無事だったんだ。しばらくの間、セルディは急にロサリアと触れることになった事態に対して、硬直していたんだけれど、ロサリアに『近い』って言われて殴られていたよ。不憫で面白かった」
「何だ、その面白い話は!? 私、全く知らないんだけれど!?」
ちなみにナシル同様、クロイドも知らない話だ。恐らく、自分達がいない間に起きた出来事だったのだろう。
そして、セルディがかなり不憫である。
「あれ? そういえば、ライカはどうしたの? 一緒に食堂へと夕食を食べに行ったんでしょう?」
首を傾げつつ、ミカが訊ねてくる。
「ライカなら、エリックと少し話をしてから戻ってくると言っていました」
夕食の席で、エリックとライカは一緒だった。
ライカにとって、エリックは歳が近く、何より学びを得ている相手だ。自分達、先輩には出来ない相談もしやすいのだろう。
「ああ、なるほどね」
「あまり、遅くなるようならば迎えに行こうか。……この後は、ブレア課長から話があるみたいだし」
クロイド達が何故、魔具調査課に集まっているかというと、ブレアに招集をかけられたからだ。
悪魔『混沌を望む者』の件について、総帥や黒杖司、黒筆司達で話し合ったことが、各課長達に伝えられたようで、各課で全ての団員達に伝達するようにとお達しとのことだ。
それ故に、教団の中は緊張感がずっと漂っているような状態が続いていた。
不安、怒り、嘆き、そう言った、様々な感情が渦巻いている。
だが、それらを爆発させることなく、団員達はただ静かに今夜に備えていた。
すると、魔具調査課の扉が叩かれることなく突然、開かれた。
つまり、魔具調査課に所属している誰かだろうと三人が扉の方に視線を向ければ、案の定、室内に入ってきたのは課長であるブレアとつい先程、話題に上がっていたライカだった。
恐らく、魔具調査課に向かう途中で、二人はばったり会ったのだろう。
「おっ、揃っているな」
ブレアはその場にいる三人に視線を向けて、軽く頷いていた。
「……ライカ、エリックと話しは出来たか?」
クロイドがブレアの後ろからひょっこりと現れたライカに訊ねると、彼はこくり、と頷き返した。
「はい、出来ました。……今夜は長い夜になりそうだから、お互いに気を付けよう、と。そんな、話しをしてきました」
ライカの表情は少しだけ、和らいでいた。
この拭うことの出来ない緊張下で、ライカは抱いている不安を外に出さないようにと必死に抑えている。
それは恐らく、周囲に心配をかけないためだろう。
だが、親しくしているエリックと話しをしたことで、先程よりも心が安らいだようだ。
そのことに安堵しつつ、クロイドは「良かったな」とほんの少し笑ってから、ライカの頭を優しく撫でた。
ライカは魔力の制御方法や魔法について、学んでいる最中だ。
教団に入りたてである彼に、魔物と戦闘を行わせるわけにはいかない。
「守られる側」が彼にとって、どれほど心苦しいものなのかは分かっているが、それでも納得してもらうしかないのだ。
……ライカは賢い。……いや、賢過ぎる子だ。今回もきっと、置いて行かれることを理解しているんだろうな。
そんなことを思いつつ、クロイドはただ、ライカの頭を撫で続けた。
「──ナシル。ユアン達やロサリア達に、連絡はついたか?」
ふぅっと息を吐きつつ、ブレアはナシルに視線を向ける。
恐らく、遠地での任務で教団から離れているユアンとレイク、ロサリアとセルディ達に連絡を取るようにとナシルに頼んでいたのだろう。
現在、ハオスによって教団を取り囲んでいる結界は以前のものとは別物になっている。
団員が触れただけで、「敵」だと認識し、跳ね返してしまうのだ。それ故に、団員が外に出られなくなっていた。
だが、その案件も今は解決しており、外部と通じる通路が団員達も使えるようになったため、教団の外にいる団員との連携が取りやすくなっていた。
「ええ、何とか。……二組とも、任務は無事に終わったみたいですけれど、教団に戻ってくるとなると、やはり早くても半日はかかるそうです」
「……そうか。まぁ、仕方がないだろう。四人については、戦力に入れない前提で考えるしかないさ」
それでもブレアは少し、残念そうだった。やはり、この状況ならば戦闘に慣れている団員を一人でも多く、戦力として欲しいのだろう。
「でも、ユアン達のことなのできっと全速力で帰ってくると思いますよ。教団と外部を繋ぐ、出入口となる場所も教えましたし」
「そう……だな。あいつらのことだから、魔力回復薬をがぶ飲みしつつ、魔法を使って全速力で帰ってきそうだな」
苦笑するブレアにつられて、クロイド達も小さく笑った。
あの先輩達のことだ。教団の危機、そして大事な後輩の危機となれば、多少の無理をしてでも帰ってきそうである。
「さて、それじゃあそろそろ今夜についての話をしようか」
ブレアの言葉に、その場に一瞬で緊張感が広がっていく。
クロイド達は課長の口から告げられるものをただ静かに待った。




