魔力回復薬
それから約二時間後。
クロイド達は塔の目の前で、地べたに座り込んでいた。
「──はぁ、はぁ……」
「身体が……重い……」
「うぅっ……。もう、魔力回復薬なんて、一滴も飲みたくありませんわ……」
ウェルクエントとノーチェ以外の三人は、顔色を悪くしながら、肩で息をしていた。
それもそのはず、休憩をはさむことなく、ただひたすらに塔に結界を張る練習をしていたからだ。
一度、張るごとに大量の魔力を一気に消費する上に、同じ魔力量を出力しつつ、結界を維持しなければならない。
集中力が欠けてしまえば、そこからずるずると結界の形成は崩れていってしまうため、休まる時などなかった。
そして、魔力が不足すれば、ウェルクエントから貰っていた魔力回復薬を一気に飲み干して、再び結界を形成──。
これを何度も繰り返さなければならなかった。
……一人で結界を維持し続けるよりも、かなり難しかった……。他の四人に合わせるために神経を研ぎ澄ませなければならないし、何より一度に消費する魔力量が半端なく多い……。
ここに集まっている者達は比較的に魔力量が多い者ばかりだろう。それでも、魔力回復薬に頼らなければ、結界を維持し続けることは困難だった。
「練習はこれくらいにしておきましょうか。でなければ、本番に響いてしまいそうですし」
さすがにウェルクエントも額に汗が浮かんでいる。それでも表情はいつも通りに涼やかで、姿勢を真っ直ぐにしたまま立っていた。
また、ウェルクエントだけでなく、ノーチェも同じだった。彼女は初めて会った時から、顔色一つ変えることはない。
まるで感情が備わっていないように、動くことはなかった。だが、彼女の魔法使いとしての腕前は、見上げるほどに鍛えられたものだった。
「恐らく、この塔に結界を張っている際には我々の身は無防備なものになるでしょう。そこを悪魔の手下となる魔物達が襲ってくる可能性があります。なので、数人ほど戦闘が行える魔法使いを各自に配置し、護衛してもらえるように手配しますね。さすがに戦闘を行いながら、結界の維持なんて、不可能ですから」
ウェルクエントはにこりと笑いつつ、そう言ったが、その通りだと全力で同意したい。
「……実際に結界を張ってみたが、『混沌を望む者』に通用すると思うか?」
息を整えたクロイドはゆっくりと立ち上がり、ウェルクエントへと訊ねてみる。彼は肩を竦めつつ、曖昧な表情を浮かべた。
「正直に言えば、この結界がどれほど通用するのか、想像はつきません。……確かに『断悪封じし聖なる透壁』は対悪魔用の結界の中で最も強力かつ強固でしょう。……ですが、『混沌を望む者』は普通の悪魔とは違いますからね……」
ふぅと短い息を吐いてから、ウェルクエントは塔に視線を向ける。
「ですが、これは絶対に制さなければならない戦いでもあります。……我々が創り上げる結界が、悪魔の喉に刃を突き立てる確実な一手になることは確かでしょう」
「……そうだな」
どれほど無謀、無茶、不可能だと言われても。
それでも──成さなければならない。
まるで根性論のように思えるかもしれないが、実際はそうなのだろう。
だが、そこにあるのは、絶対的な力に挑む覚悟だった。
飄々としているようで、ウェルクエントはその覚悟が出来ているのだろう。
「さて、他にもやっておかなければならない仕事があるので僕はお先に失礼します。……次は夜の十一時頃にこの場所に集合致しましょう。早めに準備をしておきたいので」
「ああ、分かった」
「では、時間になるまで体調を整えておいて下さいね。……今夜はきっと、とてつもなく長い夜になりそうですから」
それではまたあとで、と告げてからウェルクエントはその場から立ち去っていった。
同い年ではあるが、黒筆司という役職柄、今夜に備えておかなければならないことが山ほどあるのだろう。本当に頭が下がる。
同じく、何とか息を整えたエリックとハルージャも立ち上がった。顔色は悪いようだが、大丈夫だろうか。
「うぅっ……気持ち悪いですわ……。魔力回復薬を飲み過ぎましたわ……」
ハルージャもふらふらと身体を揺らしつつ、寮に戻って休むべく、歩き始める。
一方で、エリックは何とか立ち上がったものの、口元を押さえたままだ。
「き、気を抜くと……吐きそうです……」
「大丈夫か? 寮まで送っていこうか?」
クロイドが訊ねるとエリックは泣きそうな顔をした。よほど、魔力回復薬が不味かったらしい。
「だ、だいじょうぶ、です……。うぇっ……」
そう答えるものの、エリックは涙目のままだ。確かに魔力回復薬は美味しいとは言い難い味だった。
それでも鼻を摘まみ、味わうことなく一気に喉の奥に流し込めば、何とか飲めるものであった。だが、やはり後味が悪いので別の飲み物を飲んでおきたい気分だ。
「エリック、歩けるか? 無理ならば、少しここで休んでから戻ろう」
エリックの様子が心配であるクロイドは、出来るだけ穏やかに告げる。
「──あの」
ふと、声がその場に響いた。クロイドが振り返れば、まるで主人に仕える侍女のような佇まいでノーチェがこちらを見ている。
「少し、魔法を試しましょうか。恐らく、酔い止めの魔法が効くと思います」
色のない表情でノーチェはこちらを窺っている。エリックの様子を見て、わざわざ声をかけてくれたようだ。
「……どうする、エリック?」
「う……お、お願いしても……いいですか……」
喋ることも辛いのか、エリックはノーチェを見上げる。ノーチェは頷き返し、すぐにエリックへと酔い止めの魔法をかけた。
どうやら、彼女の魔具は白手袋らしい。クロイドが使っている手袋よりも、かなり薄手で、まるで淑女が装着しているもののように見えた。
「……いかがでしょうか」
エリックの額と背中に手を添えつつ、魔法の呪文を唱えた後、ノーチェはゆっくりと距離を取った。
「……あ、あれ……? 気持ち悪さが治っています……!」
よほど驚いたのか、エリックは瞳を大きく開きつつ、ノーチェを見上げる。
「あ、ありがとうございます……!」
「いえ」
ただ単に仕事を終えただけだといった様子でノーチェは首を横に振る。
「それにしても、酔い止めの魔法があの気持ち悪さに効くなんて……。今度から、魔力回復薬を飲む際だけでなく、他にも何かを飲んだ時に試してみようかな……」
うんうん、と深く頷きつつエリックは一人の世界に入っていく。
やはり、魔法に関することに集中してしまう性質は相変わらずなようだ。
「クロイド様」
突然、名前を呼ばれたクロイドは瞳を瞬かせつつ、ノーチェの方へと向きを変える。今、聞き間違いでなければ、敬称付きで名前を呼ばれた気がした。
「……どうか、くれぐれも命を落とすようなことはなさらぬよう、お願い致します」
「え……」
一体、何を言い出すのかと思えば、ノーチェは真顔でそう告げた。
「あなた様とアイリス様が最善の道を歩み、進んでいく──それが我が主の願いでございます」
「え、あの……?」
「それでは失礼致します」
クロイドが言葉を続ける前に、ノーチェは優雅にお辞儀をして、その場から音もなく去っていく。流れるような動作にクロイドは、彼女を止めることが出来ずにいた。
……今の言葉の意味は一体、何だったのだろうか。それに、「主」とは……?
ノーチェに関する疑問が増えただけだ。
クロイドは首を捻るしかなかった。
「クロイド先輩?」
クロイドがノーチェの背中を見つめていると、エリックが訝しがるように名前を呼んだ。
「ん? ああ、すまない。……エリック、もう気分は大丈夫なのか?」
「はいっ! ノーチェさんのおかげで、すっかり気分も良くなりました! ……それに気分の悪さが引いたからか、体力と魔力を使った分、一気にお腹が空きました……」
エリックは少し照れながら、自身の腹部に手を添える。
確かにそろそろ夕食の時間だろう。あまり食べ過ぎては動けなくなるかもしれないので、軽めのものを腹に入れておきたいところだ。
「そうか、なら良かった。……ああ、そうだ。ならば、この後、一緒に食堂に行かないか。ライカも呼んでくるから」
「ぜひ!」
彼の名前を出せば、エリックはぱぁっと笑顔になった。所属している課は違うが、エリックはライカに魔力の使い方や魔法を教えており、親しくしている。
きっと、後輩というよりも弟と接しているような感覚なのだろう。
魔具調査課にいるライカを呼びに向かおうとクロイド達は歩き出す。
歩きながらも、ノーチェが去って行った方に視線を向けたが、彼女はもう、そこにはいなかった。