調律の銀星
その場に流れている空気を切り替えるように「ぱんっ」と乾いた音が響く。手を叩いたのはウェルクエントだ。
「さて、これで全員が集まりましたね。恐らく、ノーチェさん以外はそれぞれ顔を知っているでしょうから、紹介は省かせていただきますね」
それまでクロイドの方へと向けられていたノーチェの視線は、何事もなかったように自然な感じでウェルクエントへと向けられる。
お互いに初めて顔を合わせたはずだ。
特に感情が宿っていない視線だったが、何故こちらをじっと見つめていたのか、その理由は分からなかった。
「この場に皆さんに集まってもらったのは、先ほど個別で頼んだ件について練習して頂くためです。……いくら皆さんが優秀な魔法使いだとしても、さすがにぶっつけ本番で絶対に成功するとは限りませんからね。どのようなことも、練習や準備を積み重ねることによって成功するものですから」
にこりと笑ってから、ウェルクエントは他の四人に視線を向ける。
この場にいる者全てに、恐らく薄いながらも「ローレンス家」の血が入っているのだろう。
だが、魔力の質はほんの少し似ていてもやはり、違う部分が大きい。
自分とは違う魔力の性質を持った者達と協力しながら一つの結界を作り上げ、そして維持し続けるのは難しいはずだ。
クロイドがそんなことを思っていると、ウェルクエントはまるで考えを見透かしたようにこちらへと振り返った。
「結界を展開するにあたって、皆さんにはこの魔具を装着して頂きたいのです」
「これは……」
一人ずつ手渡されたのは、銀製の細い腕輪だった。
無機質な銀色を鮮やかに彩るように、色が付いた数種類の小さな石がはめ込まれている。恐らく、この石は魔石だろう。
「もともと、大がかりな魔法を使う時や大物の魔物、悪魔を複数人で封じる際に使おうと思って、作っていた魔具です。『調律の銀星』という腕輪でして、装着した者達の魔力の質が違っても、魔力を繋げ、力を底上げすることが出来ます。そして、安定した出力のまま、同じ魔法を展開することが出来る代物です」
「ひえっ……。そ、そんなものを……お借りしてよろしいのですか……?」
すでに腕輪をはめてしまったエリックが怯えるような表情でウェルクエントへと顔を上げる。
「ええ、構いませんよ。こんな時に出し惜しみなんてしませんからね。使えるものは何でも使いますし、ぜひ皆さんも遠慮せずに使って欲しいです」
「で、でも……壊してしまう可能性も……」
「ああ、そのあたりは気にしなくていいですよ。同じような魔具は他にもありますし、何より……目的を果たせるならば、この程度の魔具の一つや二つ、壊れてもお釣りがくるほどです」
どこか達観しているような表情で穏やかに笑っているが、恐らくこの「調律の銀星」という魔具は簡単に手に入るものではないだろうと密かに思った。
「皆さん、装着しましたか? では、次に今から練習する結界についての説明を……──ああ、祓魔課のハルージャさんに説明をしてもらいましょうか」
「わ、私ですの!?」
「だって、あなたは専門でしょう、結界魔法の。さて、ハルージャさん。……発動は難しくても悪魔に最も効く結界がどのようなものか、皆さんに説明して下さいな」
突然、ウェルクエントに話を振られたハルージャは一瞬、肩を震わせてから、胸を張るようにしながら答えた。
「えっ、ええ、もちろん、存じていますわ! 何せ、私は結界魔法を得意とする魔法使いですものっ!」
ごほんっ、と一つ咳払いをしてからハルージャは言葉を続ける。
その様子をウェルクエントはどこか微笑ましそうに見ていた。
「……『断悪封じし聖なる透壁』は対悪魔用の結界として最も有効かつ強力な魔法ですわ。ですが、展開するには時間がかかりますし、使用する魔力の量も半端ではないんですの。何より、集中力が最も必要とされる繊細な結界ですのよ」
目の前に佇む高い塔を真剣な表情で見据えつつ、結界の説明するハルージャの横顔は一端の魔法使いそのものだった。
アイリスと対峙している時はちょっかいをかけてくる猫のようだが、「仕事」をする時だけは雰囲気が変わるのは相変わらずらしい。
「この結界が展開されてしまえば、上下左右に有限の状態で結界が張られますわ。一度でも悪魔を囲ってしまえば壊されない限り、滅せられるかもしくは封じられるまで、悪魔は結界の外へと出ることは絶対に出来ませんのよ。そして、転移も不可能ですわ!」
どこか得意げな表情を浮かべつつ、ハルージャは流れるような口調で説明を始める。さすが、結界魔法が得意なだけあって、説明は上手いようだ。
「つまり、結界が地面や空中に至るまで張り巡らせることが出来ると?」
クロイドが訊ねれば、ハルージャは「ひぃっ」と短く言葉を漏らしてから、わずかながらに頷いた。
そこまで怖がられるようなことをした覚えはないのだが。
「そ、そうですわっ! なので、空中に逃げることも、地中に潜ることも不可能でしてよ!」
ハルージャの説明を聞いて、なるほどとクロイドは塔へと視線を向ける。
『混沌を望む者』は転移する術を持っている面倒な悪魔だ。だが、この結界ならば、簡単に逃げることは出来なくなるのだろう。
「ハルージャさん、説明してくれてありがとうございます。……まぁ、言うのは簡単なんですが、実際に結界を展開するのは難しいんですよねぇ」
「そのために、練習するのだろう」
クロイドがそう答えれば、ウェルクエントは肩を小さく竦めてから頷き返した。
「そうですね。……ちなみに、練習する上でかなりの量の魔力を使用すると思うので、魔力回復薬も準備してきていますよ。お好きなだけ飲んで下さって構いませんからね」
ウェルクエントはローブの下から魔力回復薬を次々と取り出した。
十センチほどの細長い瓶に入っている魔力回復薬は透明な紫色だった。
しかし、彼のローブは一体、どのような構造になっているのか気になるところだが、問わない方が身のためだろう。
「うぅ……。魔力回復薬って、変な味がするので苦手なんですよね……」
エリックは表情を悲しげに歪め、ウェルクエントにお礼を言いつつ、魔力回復薬を二本、受け取る。
「分かりますわ。なんというか……いかにも、薬という感じの味ですわよね。せめて、ジュースのような味だったら飲みやすいのにと毎度のことながら思いますもの」
エリックに同意するように、ハルージャも頷き返す。
その一方で、クロイドは魔力回復薬に頼ったことがないので、もし飲むとしたら今回が初めてとなるだろう。
「魔力回復薬の味については、魔法課で色々と改良が行われているようですけれどね。満足のいく味になるには、まだ時間が必要でしょう。……ああ、飲む時は一気に飲み干して下さいね。瓶の蓋を開けた瞬間から効果が薄まっていくので」
クロイドは貰った二本の瓶をとりあえず、ズボンのポケットに突っ込んでおくことにした。
「では、まずは呪文の詠唱を練習してから、その次に塔を囲うようにそれぞれの配置に就いて、実際に結界を張ってみましょう。……もちろん、一発で成功するとは限りませんので、結界の強度が満足する出来になるまで練習しますからね」
爽やかな笑顔でウェルクエントはそう言ったが、クロイドは彼の笑みに薄ら寒いものを感じ取っていた。
ついにこの日がやってきました。
詳しくは活動報告を読んでいただければ、と思います。
どうぞ宜しくお願いいたします。