布石
ウェルクエントの笑みを受けたクロイドはいつのまにか、ごくりと唾を飲み込んでいた。
知らずのうちに、目の前の人物から発せられる圧に対して、緊張してしまっていたのかもしれない。
「ああ、もちろん、結界を張るお役目を任せるのはクロイドさんお一人ではありませんよ。他にも同じように、結界を張ってもらうためにお願いしようと思っている候補の方はいますのでご安心を。それに僕も参加する予定ですし」
「……数人がかりでということは……普通に対悪魔用の結界を塔に施す、というわけではないんだな」
何となく、ウェルクエントの言葉に含みが隠されているように感じたクロイドは出来るだけ冷静な口調で問いかける。
「ええ。……実は、この塔に対悪魔用の結界の結界を張ることは簡単ではないんです。……何せ、かのエイレーン・ローレンスが施した魔法が半永久的に持続していますからね。普通の魔法使いが付加するように塔へと魔法をかけてしまえば、その魔法はエイレーンの魔力に取り込まれ、意味を成さなくなってしまいます」
ふぅ、とウェルクエントは困った表情を浮かべつつ溜息を吐いているが、その様子がどことなく演技のように思えたのは何故だろうか。
「ですが、エイレーンの血が流れている者ならば話は別です」
にこりと笑うウェルクエントに対して、クロイドはほんの少し身体を強張らせる。
「教団の中にはローレンス家と婚姻を結んだことにより、その身にエイレーンの血が僅かながらも流れている者が多少、います。僕もそのうちの一人です。そして……」
ウェルクエントは右手の掌をクロイドへと指し示しつつ、言葉を続けた。
「あなたもですよ、クロイドさん」
「……」
「王家の血を継いでいるあなたには、同時にローレンス家の血も流れている。……そして、クロイドさんには強固な結界を展開する技術もある。僕が結界を張る魔法使いの一人としてあなたを選んだ理由はこの二つです」
「……もし、俺が断ったらどうするんだ」
まるで最初から決まっているような口調のウェルクエントに対して、クロイドは感情を含めていない声色で問いかける。
「いいえ、あなたは断りませんよ。だって、断る理由がないでしょう? 何故ならば……結界を張ることが上手くいけば、悪魔を塔の中に閉じ込め、そして──悪魔を討ち、彼が団員達へとかけた『絶無の檻』の魔法を解く方法を得ることが容易くなりますからね」
「っ……」
ウェルクエントの言葉にクロイドは小さく目を見開き、そして握り締めていた拳に更に力を入れ直した。
ハオスがかけた魔法、「絶無の檻」を解く方法が分かれば、死んだように眠ったままの状態のアイリスを助けることが出来るだろう。
本当は自分の手であの悪魔を討ちたいと思っている。だが、自分の力だけでは出来ないと覚っていた。
……黒筆司は俺が結界を張ることに協力すれば、結果的には悪魔を討つ手助けになると暗に言っているんだな。
顔色が白くなったまま、動かなくなってしまったアイリスの顔が脳裏に浮かぶ。
たとえ、どんな方法であろうとも、アイリスを助けることが出来るならば自分は──己に課せられる役目を全うしてみせようではないか。
喉に出かけていた自分本位な望みをぐっと飲み込み、クロイドは視線を目の前の黒筆司へと向けた。
「分かった。塔に結界を張る件、引き受けよう」
クロイドがそう答えるとウェルクエントは満足げに頷きつつも、少々安堵したような笑みを浮かべ返してきた。
「ありがとうございます。他にも一緒に結界を張って頂こうと思っている方々に関しては、彼らの承諾を得てから後程、お伝えしますね。……それと塔に張る結界は対悪魔用ですが、祓魔課が通常の任務の際に使っているものよりも少々複雑な魔方式を使用しているものです。全員が揃い次第、練習をしてもらいますのでその心積もりでお願いします」
クロイドはウェルクエントへと了承の意味を込めて、頷き返す。
これでこの件は終わりかと思っていたが、ウェルクエントが席から立つ様子は見られない。
まだ、話すことがあるのだろうかと思っているとウェルクエントは少しだけ迷いが見られる瞳をこちらに向けてきた。
それまでの毅然とした黒筆司としての態度ではなく、まるで年下の少年のように気弱にも受け取れる様子が見え隠れしていた。
「……イリシオス総帥は」
苦しそうにその名前を呟いたウェルクエントの表情には、ほんの少し思い詰めたような感情が浮かんでいた。
彼がここまで「己の感情」を表に出すところを初めてみたクロイドは心の中で驚いてしまう。
「あの方はご自身の全てをかけて……団員達、いえ国民、王家の命を守るべく、すでに覚悟を決めていらっしゃいます」
「それ、は……」
どういう意味か、とクロイドが言葉を続けることは出来なかった。
「そのままの意味です。これは僕の憶測にしか過ぎませんが……あの方はどんな方法を使ってでも、悪魔が持っている『絶無の檻』の魔法を解く鍵を得ようとなさるでしょう。……たとえ、己の命に危機が迫ろうとも」
「っ……。ならば、他の方法はないのだろうか。イリシオス総帥の命を危険にさらすことなく、『絶無の檻』を解く方法は……」
「そんなの、一万回考え抜いた末に出した結論がこれに決まっているじゃないですか。良い方法が他にもあるならば、そちらを使っていますよ」
どこか泣きそうにも見える苦笑を浮かべ、ウェルクエントは首を横に振る。
「悪魔『混沌を望む者』はずる賢い頭を持っています。そして、教団の団員達が束になっても敵わないほどの力も。……たとえ我々が魔法で姿を隠し、イリシオス総帥の傍に控えても、あの悪魔ならば一瞬で見抜いてしまうでしょう。そうなってしまえば、取引は失敗し、悪魔は……人質に手を出します」
「……」
「あの悪魔を超えるためには、彼以上の力を持った者が挑むか、もしくは──取引に応じるしかないんですよ」
悔しさを込めた言い方だったのに、ウェルクエントは自嘲気味に笑っているだけだった。
頭を殴られたような衝撃が身体中を駆け巡っていく。
だが自分は、この衝撃を覆すほどの力も、良案も何も持っていないのだ。
「……クロイドさん」
諭すような問いかけだった。
穏やかだが、それでも内側に誰にも見せたくはない何かを秘めたような、そんな表情でウェルクエントはクロイドへと真っすぐ視線を向けてくる。
「我々は、我々の出来ること、そしてやるべきことを成しましょう。些細なことでさえ、全ては──巡り巡って、良い結果をもたらすための布石です」
「……」
「たとえ苦しくても、悲しくても、自分の無力さを呪いたくなっても──それでも、出来ることは確かにあります」
ウェルクエントの瞳に少しずつ力強さのようなものが宿っていく。
彼は効率重視で、十を救うためならば一を犠牲にすることを厭わない人間だと思っていたが、違うのだと改めて思った。
十も一も、どちらも救いたい。その方法を考え抜くための知識を彼は保有し続けている。
そして、導きだしているのだろう。何が、最も「最良」なのかを。
そこに辿り着くまでにどれほどの息苦しさと無力さを何度も抱くことになろうとも、彼は最後の最後に結論付けるのだ。
そうするしかないと分かっているから──。それが、黒筆司の役目だから。
「我々は嘆きの夜明けを目指す者。……かつて、教団を創り上げたエイレーン・ローレンスとその仲間達が抱いた意志を受け継ぎ、成していく……。……そうでしょう?」
その言葉はまるで己に言い聞かせているように思えた。
彼もまた、覚悟を決めているのだろう。自分の役割を理解し、それを成すために。
「……そうだな」
クロイドはウェルクエントへと視線を返す。一切、揺れることのない黒い瞳でウェルクエントを捉えた。
同意を受けたウェルクエントは年頃の少年らしく、小さく破顔する。
「……さて、長話をしてしまいましたね。夕方くらいに、またお呼びしたいと思っているので、それまで休息を取っておいて下さい。今夜は長い夜になりそうですから、万全の体調で望んで下さいね」
「ああ、心遣い、感謝する」
ウェルクエントが席から立ちあがったため、連なるようにクロイドも立ち上がった。
部屋から出ていこうとしていたウェルクエントは扉の前で一度止まり、それからクロイドの方へと少しだけ振り返った。
「……お互いに、気を付けましょう。悪魔は痛いところを突いてくる生き物ですから、心を奪われないように」
「……ああ」
その言葉がすでに耳が痛いが、クロイドは頷き返した。ウェルクエントは小さく笑い、部屋を出て行った。
その背中を眺めつつ、クロイドは深い息を吐く。
そして、自身の右手に視線を落とした。
「……」
己の手にかけられた天秤を自覚しては、肩に重荷が圧し掛かるような感覚を抱いた。
それでもクロイドは首を振り、顔を上げる。
嘆いている暇などない。
自分が行うことが、望むものに繋がるというならば──己の力で、それを成すだけだ。
改めて心の中で決意し直したクロイドは力強い足取りで、その部屋から出て行った。
いつも読んで下さり、ありがとうございます。
実は、特大級の嬉しいお知らせがございまして、もし宜しければ活動報告を読んでいただければと思います。