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真紅の破壊者と黒の咎人  作者: 伊月ともや
裏の教団編
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子守歌

   

 だが、突如として空間全体にどこからともなく美しい歌が流れ始める。

 奏でられる旋律にアイリスとクロイドははっとした表情のまま、壇上の方へと振り返った。


 壇上には先程、クロイドの魔法で身体が吹き飛ばされたはずのラザリーがしっかりと立っていた。


「まだ動けるというの……」


 アイリスの呟きに、ラザリーは顔を歪めて笑った。


「あなた達のせいで、せっかくの儀式が台無しよ。あと少しで魔女エイレーンを手に入れることが出来たというのに」


 エイレーンという言葉にブレアもぴくり、と反応する。


「そこまでして、エイレーンを求める理由はなんだ」


 強めの口調でクロイドがラザリーに問いかけると彼女は薄っすらと笑みを浮かべて、自分自身に酔っているようなうっとりとした表情で呟き返した。


「……私は魂を操れる力を持っているわ。声だけで、魔法が扱えるの。もしかすると、あの偉大な魔女エイレーンの魂だって操ることが出来るかもしれないのよ? そう思うだけで……興奮してたまらないの! だって、強大な力を持っている彼女を自分の声一つで自由に動かせるんだもの! これほど素晴らしいことが、生きていて他にあると思う?」


 やはり、ラザリーもエイレーンを操り人形として呼び寄せるつもりだったのだろう。思わず、こめかみ辺りに青筋が浮かび、強く歯ぎしりしそうになる。


「……でも、それも失敗。もう、終わりだわ」


 絶望ではなく、どこか呆れたようにラザリーは溜息を吐く。

 教団の団員と信者達が交戦している喧騒の中でさえ、ラザリーの声は繊細にはっきりと聞こえていた。


「だから、最後に……あなた達のその腐った絆に対して、置き土産でも用意してあげようと思うの」


 ラザリーはこれまでで一番、醜く妖艶に笑うと両手を広げて歌い始める。美しくも悍ましい音色のようにも聞こえるその歌は、身体の奥底へと滲むように響いていく。


「なっ、何だこの声は……!」


 ブレアとクロイドは同時に耳を塞いだ。近くにいる獅子も、教団の者も信者達も耳を塞いでは倒れこんでいる。

 歌自体に魔力が込められているのか、相手に苦痛を与える呪文が組み込まれているらしい。ラザリーの歌によって、顔を顰めては苦しむ者達が呻き声を上げていた。


「くそっ、頭の中で金属音が響いているみたいだ……!」


 特に五感に優れているクロイドにとっては空間に響いている歌は苦痛なのだろう。そのまま膝を付いて、浅く呼吸している。


「……」


 だが、その一方でアイリスは囚われたようにラザリーをじっと見つめていた。

 他の者達とは違って、何故かラザリーの歌に対して苦痛を感じることはなかった。むしろ、苦痛よりも心地よさを感じてしまう。


「あ、アイリス……?」


 名前を呼ぶ声に耳を貸さず、アイリスは呆けた表情のままでラザリーの方へと向かってゆっくりと歩いていく。


「おいっ!」


 表情が苦しみによって歪んでいるブレアが、必死に腕を掴んで止めようとしてきたがそれさえも振り払い、迷うことなく前へと進む。




 アイリスの耳の中で響いていたのは、クロイド達を苦しめるものとは別の歌だった。

 それは魂の底に眠る歌。


 ……これ、母さんが……。


 自分が幼い頃に、母がよく歌ってくれていた子守歌だ。この国に伝わる一般的な歌で、知らない者はほとんどいない。

 昔を思い出して、懐かしさと寂しさが溢れ出てくる。


 子守歌を歌うラザリーの姿が、今は亡き母親の面影と重なって見えた。


「アイリス、行くな!」


 クロイドの声さえも届かない。


 ラザリーは近づいてくるアイリスを見ながら不気味な笑みを浮かべて笑っている。



 おいで、おいでと母が呼ぶ。

 優しい声が、自分を呼んでいる。

 懐かしい言葉が、自分を慰めてくれる。



 アイリスは意思を手放したまま、壇上へと上がる階段を上り始める。ラザリーの声に従うようにアイリスは持っていた短剣をその場へと落とした。


「くそっ……」


 ブレアが剣で身体を支えながら立ち上がり、自身に鞭打つように叱責しながら、少しずつアイリスに向かって歩み始める。


「……個人的に、あなたの事は殺したいほど好きなのよ? だって、あのエイレーンの子孫ですもの。でもねぇ……偉大な魔女の血もとうとう、落ちぶれたって笑いながら、跪けさせたかったの!」


 ラザリーがアイリスの落とした短剣を拾い上げて、愉快な声を上げてから、再び歌い始める。


 魂の底に眠る懐かしい歌が、アイリスの心を支配していく。

 ラザリーが短剣を大きく振り上げる。



 この歌の中で自分はいつも眠っていた。

 穏やかに笑う父と優しく微笑む母の傍で。



 ──アイリス。



 そう、嬉しそうに、優しい声で名前を呼ぶのだ。

 何度も、何度も。どんな時でも。



「……」


 だが、浮かんでいた両親の笑みは一瞬にして黒く塗りつぶされるように消え去った。あの笑みを見る事は二度と──出来ないのだ。


 分かっている。死んだ人間は、生き返らない。

 どれ程、優しさと懐かしさを求めても、それを味わうことは出来ないのだと。


 ……響く。誰かの、声。寄り添うように温かい声が……。


 自分の名前を呼ぶ人は、今はもう彼らではない。


 誰かが呼んでいる。魂を揺さぶる程の強い声で。

 懐かしささえも、吹き飛ばしてくれるような、優しい笑顔で。




「──アイリス!!」



 たった一つの願いを誓い合った人。──クロイドの叫びがアイリスの心に真っすぐに響いていく。


「っ……」


 自分を呼ぶ人が、いる。

 すぐ傍に居てくれる。


 響いた声を認識した瞬間、自分の心は自分のものだと意識がはっきりと戻って来る。



「もう、遅いわ!」


 ラザリーが狂気的な笑みを浮かべて、アイリスに向けて短剣を振り下ろした。


 ブレアが足を縺れさせながらも何とか間に合わせようと剣を伸ばす。

 クロイドはただ、名前を呼び続けた。




 だが、その場に響いたのは拍子抜けするほどに軽い音だった。


「っ!?」


 驚いた表情で短い声を上げたのはラザリーだ。振り下ろしたはずの腕がアイリスによって軽々と受け止められていたからだ。


 アイリスは顔を下に向けたままラザリーの腕を掴んでいた。

 ぎゅっとアイリスの手に力が入り、ラザリーは短剣を持つ状態を維持出来なくなったのか、その場に短剣を落とす。


「……ふざけないで」


 低い声とともにアイリスはゆっくりと顔を上げる。

 その瞳に宿るのは紛れもない怒りの意思だった。


「懐かしさに囚われて動けなくなるほど、愚かじゃないわ!」


「っ……!」


 アイリスはそのまま空いている左手で拳を作り、突き刺すようにラザリーの腹を殴った。


 アイリスの殴打によりラザリーは顔を苦しそうに歪めながら、その場に膝を折って崩れ落ちる。短い息を吐いてから、アイリスは倒れたラザリーを見下ろした。


 彼女の瞳は閉じられており、中央に眉が寄ったまま気絶しているようだ。かなり強めに殴ったので、これでしばらくは起きられないだろう。



「アイリス!」


 ブレアが駆け寄ってくるがアイリスはそれを手で制して、短剣を拾ってから壇上を下りた。


「大丈夫です。ラザリーに近づける隙を見ていたので」


 心配をかけないためにそう答えつつも、本当は心が半分程、ラザリーの歌に囚われていたことは事実だ。もちろん、ブレアのことなので、アイリスの虚勢など見抜いているに違いないが。


「見ているこっちは肝が冷えたぞ……」


「すいません。でも、もう大丈夫ですから……」


 そこでアイリスは座り込んでいるクロイドの方へと視線を向ける。


 彼は目を丸くしながらアイリスを見ていた。クロイドの表情から察するに、後で叱るように詰め寄って来る心配の仕方が待っているだろうと、アイリスは顔を引きつらせる。


「そ、それよりもセド・ウィリアムズを探さないと!」


 アイリスは出来るだけ、自分の話題から逸らすために話をわざと変える。


 確かにラザリーに近づくのは危険な賭けではあったが、自分自身に勝つことは出来た。

 あとは第一の首謀者であるセド・ウィリアムズの身柄を捕らえるだけだ。だが、先程いたはずの彼の姿は見えなかった。

    

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