魔女の欠片
「囮って……。どういうことですか」
訝しげにウェルクエントが訊ねてきたため、イリシオスはただ静かに言葉を返した。
「悪魔は今日の深夜、塔に再び訪れると告げていた。そして、わし一人で来い、と。ならば、いっそのこと、魔法が使えないと油断している相手に精一杯の奇襲をかけてやろうかと思ってな」
そう言って、イリシオスは薄く笑ってみせたが、他の三人は顔を顰めているだけだ。
「私は……賛成出来ません」
何かを喉の奥へと押し込むように声を上げたのはアレクシアだ。
「あなたは総帥です。我々の上に統べる魔女です。……あなた一人を悪魔と対峙させるなど、出来ません」
顔を顰めながらアレクシアは呟く。
「悪魔の言うことを律儀に聞いては相手の思うつぼです。どうか……再考なさって下さい」
「……」
栗色だった髪色には白髪が多く混じっているが、縋るような緑の瞳は、イリシオスが弟子として彼女に教鞭を振るっていた頃と何も変わりがない。
真っすぐに育ってくれた弟子は、イリシオスの身をただひたすらに心配しているのだ。向けられる心配に対して、嬉しさを感じてしまう自分がいた。
「……アレクシアよ。そなたの心配をわしは嬉しく思う。……しかし、これは決めたことじゃ」
「先生っ……」
いつもは総帥、と呼ぶが私情が混じると彼女は昔と同じような呼び方でイリシオスを呼ぶ。
イリシオスは穏やかな表情を浮かべてから、静かに告げた。
「恐らく、わし以外の者が塔の中に入れば、悪魔は簡単に感知してしまうだろう。それゆえに、わしを囮に奇襲をかけても無駄となってしまう。……それならば、わし自身を囮にしつつ己で直接、手を下すまでじゃ」
「っ……」
「……どのように戦われるおつもりで?」
ウェルクエントは冷静さを取り戻しているのか、黒筆司としての顔で真っ直ぐに訊ねてくる。
こういう時、結果だけを見据えて行動出来るほどの冷静さを持っているウェルクエントの切り替えには感服するばかりだ。
彼は自身の私情を一切切り捨て、「教団」にとって利となる選択を選び取ることが出来る。
「……わしにはエイレーンから託されたものが五つある。この指にはまっている『輝かしき獅子』の指輪のように、彼女の力を欠片として集約しているものだ」
「……それって、国宝級どころか、世界遺産に相当するものじゃないですか」
兄が喜びそうだ、とウェルクエントは独り言のように呟いた。
「その中の一つに『月桂樹の杖』というものがある。核となる水晶の中には数百年前にエイレーンが己の魔力を分け与えたものが封じられておるのじゃ……」
「……そいつぁ、すげぇ代物じゃねぇか」
普段、剣にしか興味が無いベルドも、その杖の価値が分かるようで、少し引き気味に肩を竦めていた。
「この杖の特徴は……魔法の術式を理解しておれば、魔力が無い者でも魔法が使えることじゃ。杖は使い手に従い、水晶に溜め込まれておる魔力を自由に使用出来る。……つまり、誰であっても魔法使いになり得る代物じゃ」
「……」
魔力無しが魔具を使用することで魔法を使うことが出来る例はいくつかある。
しかし、それには魔具そのものに魔力が宿っている場合か、魔力無しの生命力を削ることで魔法が扱うことが出来る代物ばかりだ。
そして、それらの魔具では魔法を使うことが出来ると言っても、ある程度に限定された魔法しか使えない。
つまり、多様かつ複雑な魔法は使えない魔具ばかりということである。
その一方で、エイレーンが遺したこの「月桂樹の杖」という魔具は、あらゆる人間があらゆる魔法を使うことが出来る杖である。
もちろん、溜め込まれている魔力は有限だが、エイレーンの魔力であるため、そう簡単には尽きない。
この杖において、最も驚くべき点はやはり「エイレーン」の魔力が宿っているということだ。
つまり──エイレーンの魔力ならば、常人ならぬ魔法を使うことが出来るという意味も含まれている。
それ故に、この場に居る者達は引き攣った顔をしているのだろう。
「この杖がある限り、わしは──戦える」
たとえ魔力を全て失った魔女だとしても、培ってきた知識とエイレーンが作った杖があれば、悪魔と相対出来るはずだ。
「……つまり、総帥が一人で悪魔を相手にするには十分な戦力を持っている、ということか」
ベルドの言葉にイリシオスは頷き返す。視界の端のアレクシアはまだ納得出来ないと言っている表情を浮かべているようだ。
「奴は恐らく、魔力で相手を感知することが出来る。その感知能力を超えるには、奴と同等かそれ以上の力が無ければ、他者による奇襲などはまず成功せぬ」
だからこそ、イリシオス一人でも戦える力が必要なのだ。そして、自分はエイレーンから託された力の欠片を所持している。
彼女がこれらの欠片を創った時は「非常時がいつか来るかもしれないから」と言っていたが、その非常時が一生来なければいいと苦笑しながら自分へと託してくれた。
しかし、エイレーンが危惧していた非常時が来てしまった以上は使えるものは使わせてもらう。
それ故にイリシオスの決意は揺るぐことはなかった。
「なぁ、先生よ」
ベルドが腕を組みながら、「先生」と呼び掛けてくる。この場合、上司である「総帥」としてではなく、ベルド個人として話しかけているのだろう。
「あんた、さっき、自分を囮にするって言ったよな? ……それならば、悪魔を屠る真打ちが他にもいるってことじゃないのか?」
「……」
ベルドの指摘をイリシオスは無言で受け止めた。
「そろそろ、あんたが本当は何を考えているのか、教えてくれてもいいんじゃないのか? わしらも教団の団員だ。何を優先するべきなのかは分かっているつもりだぜ」
ベルドは孫娘であるブレアと似た面差しでイリシオスへと問いかけてくる。彼は気付いているのだろう。イリシオスが人知れず、水面下で練っていることを。
……全く、こやつも昔から敏いのぅ。
歳を取っても何も変わってなどいないと心の中で苦笑する。
それならば、何事もないように装っていても無意味だろう。
「……人質となっている団員達が悪魔にかけられた魔法──『絶無の檻』。この魔法を解除するためには必要なものがある。……術者の血液じゃ」
身体から魂を引き剥がし、別空間へと保存することが出来る古代魔法──「絶無の檻」。
その魔法を知っている者が自分の他にいるとは思っていなかったが、それでも解除の仕方は心得ていた。
「お主たちは『血宿りの記録書』という魔法を知っておるか」
イリシオスの問いかけに対して、反応を一番に示したのはウェルクエントだ。
「たしか、血液を体内に取り込むことによって、宿っている記憶を読み取ることが出来る魔法ですよね。まぁ、使用すれば拒否反応が出るらしいので、実際に使ったことはありませんし、それに禁術の一つでしたよね?」
「そうじゃ。この魔法を使えば、その血脈に宿る全ての記録を視ることが出来る。……つまり、過去さえも覗くことが出来る危うい魔法じゃ」
イリシオスの暗い表情から、彼らははっと、何かに気付いたように目を見開く。
「……魔法の術式を解読するためには悪魔の血液を摂取し、それを『血宿りの記録書』で視なければならぬ。そして、解除することが出来るのは、『絶無の檻』の魔法の術式を理解している者だけじゃ」
「……」
その場に静けさが漂う。イリシオスは一度、瞳を閉じて、ゆっくりと開いた。
「……つまりこの教団に、いや、この世に『絶無の檻』を解除出来る者はわしだけなのじゃ」
その言葉に、何かをすぐに返す者はいなかった。
いつも読んで下さりありがとうございます。
時間が出来たので、投稿してみました。
リアルが忙しくて次の更新まで時間が空くと思いますが、待っていて頂けると嬉しいです。