重ねた影
ゆっくりとアルティウスの執務室の扉を閉めたセルディウスは先程、謁見の間に居た時と同じ出で立ちだった。
その表情はいつもと変わることなく無のままだ。だが、その瞳の奥は何故か揺れており、思い悩んでいるように見えた。
「どうしたのですか、陛下。会議内容の相談でしょうか」
父としてではなく、この国の王として、いつものように呼びかけたアルティウスはすぐにセルディウスへと近寄る。
もしくは先程、確認した書類に不備な点でもあったのだろうか。そんなことを考えているとセルディウスがゆっくりと口を開いた。
「お前はどう思った」
「え?」
一体、何の話だろうか。アルティウスは素で困ったような表情を浮かべてしまう。
問いかけられるようなことをしただろうかと考えたが思いつく事案はなかった。
「あの、何が……」
「──『クロイド・ソルモンド』」
「……」
セルディウスから呟かれた名前にアルティウスは反応しないように必死に表情を取り繕った。何故、ここで彼の名前を出したのだろうか。
「先程、謁見に来ていた教団の魔法使いの一人ですよね。その方がどうかしましたか」
自分は何も知らないと通さねばならない。何故ならば、「クロディウス・ソル・フォルモンド」は死んだことになっているからだ。
表向きには病死したことになっている彼が実は教団の魔法使いとして新たな名前で生きていることを誰にも覚られてはならない。
彼の人生のためにも、その秘密は守り切らなければならないのだ。
……この部屋には王宮魔法使いによる盗聴防止の魔法がかけられているはずだ。恐らく、会話が漏れることはない。
だからこそ、国王である彼が一個人の名前を口にしても、他の人間の耳に入ることはないはずだ。
セルディウスはじっとアルティウスの顔を見てくる。どうか、表情を読まれないようにと祈りつつ、アルティウスは平静を装うしかなかった。
「……愚かなことと言われるかもしれないが、彼──クロイド・ソルモンドが私にはクロディウスと重なって見えたのだ」
「……」
気付いているかもしれない、とアルティウスは冷や汗を背中に流す。
セルディウスはクロイドと血の繋がった親子だ。自分と同じように、血の繋がりを感じ取ってもおかしくはないだろう。
自分だってクロイドが以前、王宮に侵入した際に彼の変装を一瞬で見破ることが出来た。
自分と同じ顔、声色が理由ではない。惹かれたのだ。ただ強く、縋るような何かを抱いていた心が真っ直ぐに彼へと反応していた。
だからこそ、分かってしまうものなのかもしれない。
アルティウスは一つ、小さな息を吐いてから答えた。
「……確かに、クロディウスが成長していればクロイド・ソルモンドさんのような容姿になっていたかもしれませんね。僕も似ていると思いました」
セルディウスの意見に肯定しつつも、アルティウスは首を振る。
「ですが、別人です。先程のクロイドさんは黒髪でしたが、瞳の色は全く違っていたでしょう。クロディウスは黒髪に黒目でしたが、クロイドさんは青い瞳でしたから。それにクロディウスは魔力を持っていたと聞いていますが、王宮で魔力の扱いを教わることはなかったと聞いています」
自分は何と、ずるいやつなのだろうかと思う。
本当はクロディウスがクロイドとなって、生きていることを知っているのに、それを本当の親であるセルディウスに告げることなく、秘めたままにしてしまう。
それがクロイドのためだと分かっているからだ。
心が削がれていくような想いで、アルティウスは言葉を告げる。
「クロディウスは……ロディは死んだのです。彼の代わりなんて、いません」
「……」
何度だって、自覚をしたくはないと思ってしまう。だからこそ、自分達は知らずのうちに求めてしまうのかもしれない。
その気持ちは痛い程に分かる。アルティウスとて、自分の兄はどこかで元気に生きているはずだと思い込むことで精神を保ってきた。
それは父も同じなのだろう。だからこそ、クロディウスに似ている「クロイド」を見て、動揺しているのだ。
「クロディウスはもういません。……でも、僕達の心の中では確かに彼は生き続けている。……それで、いいではありませんか」
泣きそうな程にアルティウスは表情を歪める。嘘を吐くことが辛いと思ったのは初めてだ。
自分だけは真実を知ったまま、クロディウスのことを想い続けている父のわずかな希望をへし折らなければならないのだから。
セルディウスはアルティウスの表情から何かを感じ取ったのか、やがて諦めたような表情を浮かべ、頷き返す。
「……そうだな」
そうして、彼は抱いた感情に納得させるしかないのだろう。
何度だって、同じように。縋る心に蓋をするのだ。
……すみません、父上。
心の中で父に謝りつつ、アルティウスは気付かれないように拳を強く握りしめる。お互いのためにも、知るべきではないのだから。
「……いや、こちらこそすまない。あまりにも似ていたので、無意識に重ねてしまったようだ。クロディウスにも先程のクロイド・ソルモンドにも失礼なことをしてしまったな……」
「いいえ。父上が間違えることもあるでしょう。……それにクロイドさんがクロディウスに似ているというならば、間接的に僕にも似ているということですよ。……いかがでしょうか?」
アルティウスが少しだけ場の空気を緩めるようにそう告げると、セルディウスは肩を小さく竦ませながら吐息を漏らした。
「お前とクロイド・ソルモンドが似ているかと言われれば、似ている気もするな。遠目だったので、顔の細部までは確認出来ていないが。……だが、お前とクロディウスは元々、顔と性質は似ているが性格は似ていないだろう。……それに比べるものではない。どちらも私の大事な息子だからな」
父の口から「大事な息子」と告げられた時、思わず心臓が跳ねそうになってしまった。
……ああ、僕も父上にとっては大事な息子なんだ。
クロディウスの姿を求めているだけではなく、ちゃんと自分のことも見ていてくれている。
双子だとしても分け隔てなく接してくれていたのは昔からだ。それは変わっていない。
瞳の奥が熱く感じられてしまったアルティウスは自然を装って、セルディウスから視線を逸らした。この歳にもなって、親の前で泣くようなことはしたくはない。
気付かれないように何度か深呼吸してから、アルティウスは努めて明るく言葉を発した。
「さて、僕達もそろそろ会議室へ参りましょう。ここでびしっと決めないとクロディウスに笑われてしまいますからね」
アルティウスがそう告げるとセルディウスは目を細めてから、ふっと口元を和らげた。
「そうだな。……行くか」
「ええ、行きましょう。国王陛下」
先程よりも柔らかい表情を浮かべたセルディウスはアルティウスへと背を向けて、執務室の扉を開く。
視線の先に映っている背中を見つめつつ、アルティウスは遠くを見るように目を細めた。
……ああ、やっぱり父上の背中は大きいままだ。
子を想って動揺しても、彼は切り替えるための心を持っている。
それは決して強靭ではないだろう。きっと、諸刃だ。
だが、彼は背を伸ばし続けたまま、「国王」を務める。
自分の本当の想いを隠したまま、演じ続けるのだ。そんな父を自分は誇りに思うし、支えたいと強く思う。
……いつかきっと、父の背中に追いつき、そして──。
アルティウスは執務室の扉を閉める直前、窓の外を見上げる。
その一瞬、白い鳥が横切ったように見えた。
……君に誇れる、立派な王になってみせるよ、ロディ。
それから数時間後、イグノラント王国ロディアート市街に住まう住民達に向けて、夜間に外出を制限するための王令が発令された。




