思い出の欠片
イグノラント王国 王宮のとある執務室。
この国の王子であり、王位継承者であるアルティウス・ソル・フォルモンドは全ての感情を心の奥底へと仕舞った表情のまま、一枚の紙に視線を落としていた。
その紙には今回の件についての事情が綴られており、決して家族や親しい相手だとしても、会議の内容は他言無用であると言ったことが書かれていた。
この紙は王宮魔法使い達によって特殊な魔法が施されており、署名をすると魔法による契約が発生し、会議に関することを他者へと発言出来ないような仕組みになっている。
貴族の当主達にはそれぞれ、義務というものがあるがその中には魔法や教団の存在を他言してはならないという暗黙の了解とも言えるものが存在している。
そのため、これらは秘匿とされた一種の契約とも言えるだろう。
もちろん、反論する者も居るが、その相手に対処するための対策も用意済みだ。
たとえ、これから行うことが緊急の判断によって行使されるものだとしても、全ての人間が頷くとは思っていない。
だが、納得させるために時間をかけるわけにはいかないため、今回は「王命」を発令するしかないのだ。
もちそん、そこにどれ程の責任が伴うものなのか、理解している。
暫くの間、紙に視線を落としていたアルティウスは納得するように頷いてから、侍従として控えている青年に持っていた紙を渡す。
「内容に不備な点は見られない。このまま、会議に参加する人数分……いや、数枚ほど予備で追加した枚数を刷って来てくれるかい?」
「かしこまりました」
侍従の青年は恭しく頷き返し、アルティウスから受け取った紙を印刷するべく、その部屋から出て行った。
「……ふぅ」
誰もいなくなったこと確認してから、アルティウスは深い息を吐く。思っているよりも、自分は緊張しているらしく、肩が少しだけ強張っているようにも感じた。
……だが、実際に命を張るのは団員達だ。彼らが滞りなく仕事が出来るように、こちらも根を張り巡らせないと。
先程、教団からの使者が王宮へと訪れたが、告げられた言葉は衝撃的なものだった。
海をまたいだ先にあるブリティオン王国には、イグノラント王国の「嘆きの夜明け団」のような魔法使い達の組織が存在していることは知っていた。
その組織に属しているとある魔法使いが契約している悪魔が今夜、教団へと提示している条件が飲まれなければ、教団だけでなく、王宮と市街にも魔物を放つつもりでいるらしい。
そのようなことになってしまえば、被害は甚大なものになるだろう。
だからこそ、教団も王宮もお互いに協力し合うことで、この困難を乗り切らなければならない。
──たとえ、本心では誰も傷付いて欲しくはないという甘い考えを抱いているのだとしても。
犠牲が出ることを仕方ないとは思いたくはない。
だが、何かを守り切るには犠牲が付き物となってしまう。それならば、せめて出来ることは整えて、最善となるものを行使していきたいと思う。
……ロディは大丈夫かな。何だか元気が無かったように見えたけれど。
アルティウスは大きな窓の向こうに広がっている空を見上げつつ、自身の兄のことを心に浮かべる。
この国の第一王子であった双子の兄、クロディウス・ソル・フォルモンドは、今は「クロイド・ソルモンド」という名前に変えて、教団に身を置いている。
きっと、教団に入るまで様々なことがあったのだろう。だが、彼はそれらを表に出すことはなかった。
むしろ、クロイドは教団に身を置いていることに誇りを持っているようだった。
きっと、彼は自分にとっての居場所を見つけることが出来たのだろう。それが彼を支えているのだ。
まるで眩しい朝日が降り注ぎ、金色に輝く美しい髪と空色の瞳を持った太陽のような温かな笑顔を浮かべた少女が脳裏に浮かぶ。
アイリス・ローレンス。
クロイドの相棒であり、そして今では婚約者となった少女。明るく、常に前を向き続けているその姿は自分にとっても眩しく思えた。自分を引っ張ってくれる光のような人だった。
実はアルティウスにとっても初恋の相手である。
クロイドと兄弟だからなのか、好きだと思う相手の好みが被ってしまったようだ。もちろん、その恋が叶わないことは最初から分かっている。
だから、全ては自分の中で完結している優しい思い出にしか過ぎない。
今まで色んな思い出を抱いて生きて来たが、その中の一つになっただけだ。
……そういえば、アイリスさんのことを訊ねた時、ロディの表情が一瞬だけ強張ったように見えたけれど。
もしかすると、アイリスの身に何かが起きていたのだろうか。だからこそ、彼は言葉を詰まらせていたのかもしれない。
そして、それをアルティウスへと伝えなかったのは、こちらが動揺すると判断したからだろう。
「……本当、自分の半身だからなのか、僕のことをよく理解しているね」
アルティウスは苦笑するように困った笑みを浮かべる。
自分はクロイドに気を遣われたのだ。
もし、アイリスに何かがあればクロイド自身が一番辛いはずなのに、彼はそれを覚らせようとしないまま、こちらの事だけを考えて、口を噤んだのだろう。
その心遣いは嬉しいが、自分だってクロイドとアイリスのことを心配しても良いはずだ。
だが、拗ねることは許されず、アルティウスは深い息を吐いてから抱いた感情を再び、心の奥底へと仕舞った。
もうすぐ、呼び出した貴族達が揃う時間だ。自分も会議室へと向かう準備をした方が良いだろうとアルティウスは椅子から立ち上がる。
「……会議の後にはすぐに発令しないと。そして、市街の混乱を抑えるために、そちらにも人数を回す手配の相談とあとは教団と打ち合わせを……」
ぶつぶつと独り言のように呟きつつ、椅子にかけていた上着を掴んでから袖を通す。
身嗜みを整えようと壁にはめ込まれている鏡の前へと移動していると、部屋の扉を叩く音が聞こえたため、返事を返した。
「どうぞ」
それ程、時間は経っていないはずだが会議で使う資料を印刷した侍従がもう戻ってきたのだろうか。
そう思いつつ、声を返すと扉がゆっくりと開いた。
そこに居た人物を視界に捉えたアルティウスは思わず目を見開きそうになってしまう。
「……父上」
扉の向こう側に立っていたのは自身の父であり、国王であるセルディウス・ソル・フォルモンドだった。