兄と弟
するとアルティウスは何かを懐かしむようにすっと目を細めてからクロイドへと訊ねてくる。
「そういえば、アイリスさんは元気かい?」
知人を気にするような気軽な問いかけにクロイドは一瞬だけ答えを詰まらせてしまう。そんなクロイドを気遣ってくれたのか、エリオスが代わりに返事をした。
「何だ、アイリスとも知り合いだったのか」
「え? ……ああ、そういえばヴィオストル卿の姪の婚約者がクロイドだって聞いたけれど……。もしかして、アイリスさんがヴィオストル卿の姪……?」
貴族間の婚姻に詳しいはずのアルティウスだが、アイリスがヴィオストル家の血筋を引いていることは知らなかったらしい。
確かにアイリスの父であるオルキス・ヴィオストルは貴族と接することを嫌い、教団の団員として過ごすことが多かったため、アルティウスの記憶から少し抜けていても仕方がないだろう。
「そうだ。まぁ、俺とは従兄妹の関係だな」
「ああ、確かにそう言われると顔立ちが似ていますね。……それにしても、なるほど。先日、僕と会ってから数か月が経ったけれど、いつの間にか二人は婚約者同士に……ほほう?」
アルティウスはどこか面白そうに、だがそれ以上に嬉しそうな表情を浮かべてからクロイドに視線を向けてくる。
「とりあえず、クロイドにとって大事な人が出来たようで良かったよ。おめでとう、兄弟」
「……まだお互いに学生だし、それに口約束だけれどな」
「それでも、嬉しいことに変わりはないよ。……でも、そうか……。本当に良かった……」
弟の心から安堵するような口調に、クロイドは気まずさのようなものを抱いてしまう。
兄弟間でこのような話をすることは今までなかったので、無自覚に照れてしまっているのかもしれない。
「今度、お祝いを贈らないとね。……でも直接、渡すことは出来ないかもしれないからその時はヴィオストル卿を介させてもらうかも」
「お前な……。教団と王宮の橋渡しの役を担っている方をそんな軽々しく扱うなよ……」
クロイドが呆れたように呟くと、アルティウスの言葉が気に入ったのかエリオスは小さく噴き出していた。
「いや、そのくらいの気軽さでもいいんじゃないか? ……今でこそ、役割を忘れられていたようなヴィオストル家だ。ここぞとばかりに活用するといい」
「エリオスさん……」
「伯父さんも喜ぶと思うぞ? 恐らく、アルティウス王子に便乗して、大量のお祝いを贈りつけるだろうな」
ユグランスが笑顔のままで大量のお祝いを持って来る場面が何となく、想像が出来てしまい、クロイドは小さく苦笑する。
そんなことを話しているうちに、ヴィオストル家の馬車を待たせている場所まで辿り着いてしまっていた。
「それじゃあ、アイリスさんや魔具調査課の方々にも宜しく伝えておいてね。……また、王宮に違法な魔具が持ち込まれた際には喜んで協力させてもらうから」
「お前の身代わりをするのはもう勘弁したいんだが」
「ははっ、そうだねぇ。同じ手は何度も使えないかもしれないね」
年頃の少年のようにアルティウスは楽しげに笑い声を上げる。そして、クロイドに向けて、右手を差し出して来た。
「……本当はもう少しゆっくりと話しをしたかったんだけれど、お互いにそんな時間はないからね。でも、いつかまた会おう」
「……ああ」
クロイドはアルティウスの右手に自分のものを重ねて、強く握りしめる。同じくらいの大きさの手だが、その硬さは自分のものとそれ程、変わらない気がした。
「だから、どうか……自分自身を大切にしながら、生きてね」
「……分かっている」
それまではクロイド──クロディウスの死を信じることなく、どこかで生きていると信じ込むことでアルティウスは己の心を保ってきた。
それはきっと、彼自身が自分の心を守ろうとして無理矢理に作っていた盾なのだろう。
だが、表向きには死んだことにされていた兄弟が実は生きていて、別人としての新たな生を歩んでいると知れば、その安寧を願わずにはいられないのかもしれない。
アルティウスから、ぎゅっと握り返される手の強さにクロイドは思わず苦笑してしまいそうになる。
ここにも自分が穏やかに生きることを望んでくれている人がいる。それを自覚してしまえば、嬉しく思わないわけがないのだ。
「アルも無理をするなよ? 身体を酷使し過ぎないようにな」
「ふふっ、そうだね。十分に気を付けるよ。……今日は特に長い夜になりそうだからね」
アルティウスは緩めていた表情をきゅっと厳しいものを見るような表情へと引き締めてから、今度はエリオスの方へと向き直る。
「エリオスさんもどうか、お気をつけて。またいつか、機会があればお話ししましょう。……それとクロイドのことをどうか気にかけてやってくれませんか」
「アルっ……」
アルティウスの発言に対して、クロイドが慌てたように窘めた声を上げる。だが、アルティウスは発言を取り消すつもりはないらしい。
「何だかんだで、クロイドは一歩を踏み出せない性格をしていますから、アイリスさんとの仲が進まない時にはぜひ、背中を押してあげて下さい」
「アル……」
恨みがましい声を上げるクロイドに、からかうような視線を向けつつもアルティウスはエリオスへと頼み込む。
こんな頼みをしてしまえば、面白いことが好きなエリオスが引き受けないわけがない。
「うむ、任せてくれ。二人の発展に関しては、伯父を通してアルティウス王子に伝えられるように配慮しよう」
「わぁ、それはとても嬉しいですね! ありがとうございます、エリオスさん」
もはや、この場で二人を止められる者はいないようだ。クロイドは頭を右手で抱えつつ、深い息を吐くしかなかった。




