王宮魔法使い
クロイドは周囲に気付かれないように深く息を吸ってから、更に言葉を続ける。
ここからが、最も重要な一場面だ。間違えることは許されない。
「ですが、今回の襲撃で悪魔が人質として取ったのは、教団の団員の魂だけではありません」
「それは……」
一体、どういう意味なのかという言葉を続けようとしたのだろう、アルティウスは今にも一歩、足を前に出そうとしていた。
言葉を口にしようとしていたクロイドの心臓は思っていたよりも静まっていた。もう一度、呼吸を整えてから、言葉の続きを話す。
「今夜、十二時に悪魔はもう一度、教団へと訪れると言っていました。そして、要求が通らない場合には……市街と王宮に魔物を放つ、と脅してきたのです」
「っ!」
「何だと……?」
クロイドの発言から、悪魔が団員だけでなく一般市民と王宮の人間も人質に取るという意味を察したのか、方々からは焦るような声が聞こえ始める。
それを一蹴するように、咳払いがその場に響いた。国王の咳払いにより、焦りの声は一瞬にして静まっていく。
誰も声を発しなくなったことを確認してから、国王はクロイドに向けて言葉を発した。
「……その話はまことか」
「……はい」
国王からの直接の問いかけにクロイドは逸らしたくなる瞳を何とか、留めながら答える。
まるで自分の心の内を見透かされているようにも思える碧眼は自分だけを見ており、居心地の悪さを感じてしまう。
「悪魔は団員、市民、王宮の三つを人質に取るとはっきりと言っていました。……以前、魔物を飼育していると言っていたので、恐らく本気なのだと思われます」
「……なるほど、それで打つ手を提案しにここへと参ったというわけか」
どこか納得するように呟く国王の言葉にクロイドは小さく頷き返す。
「まず一つ、教団の団員を王宮へと派遣させて頂きたいのです。教団の結界を破くことが出来る悪魔の力ならば、この王宮を囲っている結界も同様に破ってしまうでしょう。だからこそ、結界の強度を高め、もし魔物が侵入した際に対処するために戦闘に特化した団員をこちらに派遣させて頂きたいのです」
「っ──!」
瞬間、その場に隠されていた魔力が突如として出現する。
ぶわりと魔力で満たすような空気がその場に流れ、それまでは上手く隠していた気配さえも無理矢理に破って、クロイドの目の前へと現れたのは黒服姿の男だった。
恐らく、それまでは姿と気配を魔法で隠していたのだろう。
しかし、真っ赤になっている顔から推測して、それまで保たれていた平常心は怒りによって崩れ去り、施していた魔法に綻びが出たことで解除されてしまったのだろう。
男の髪色は茶色で、一つに結ばれているその髪は激しく動いたことでゆらりと動く。
「貴様っ……! 我ら、王宮魔法使いが施した結界が悪魔如きに破かれるとでも申すのか!」
目の前に現れた王宮魔法使いだと思われる男が声を荒げつつ、クロイドの襟元を突然、掴み上げて来たのである。
その反動によって、それまで床上に跪いていたクロイドは持ち上げられる形で、立ち上がってしまう。
「止めなさい、ブラスト!」
クロイドの襟元を掴み上げている男に向けて、宰相が制止の声を荒げる。
だが、宰相の言葉を耳に入れたクロイドは目の前の男が以前、王宮に侵入した際に鉢合わせした王宮魔法使いのブラストだと改めて気付いた。
「ですが……! この者は王宮が誇る我らの存在を侮辱したのですぞ……!」
先日の件を思い出したクロイドは、このブラストという男は感情が脳に直結しているような人柄だったことを思い出す。
正義感と責任感が強いのだろうが、陰ながら控えていたにも関わらず、公的な場において教団からの使者であるクロイドに対して、簡単に手を上げてしまうのは頂けないだろう。
だからこそ、クロイドはあえて冷静に、そして的確な言葉を続ける。
「……私は客観的に申し上げただけです」
「貴様……!」
クロイドの言葉に、ブラストは国王の御前だというのに、目を吊り上げたまま突っかかってくる。余程、無視できない言葉だったのだろう。
視界の端に映っているエリオスとユグランスが手助けしようかと腰を上げていたが、クロイドは構わないでいいと伝えるために視線でそれを制した。
怒りによって心が支配されているブラストに対して、クロイドは冷静なまま言葉を続けた。
「混沌を望む者は普通の悪魔ではありません。……教団を覆っている結界は、教団内で結界魔法が最も得意としている者達によって張り巡らされていました。その結界でさえ、前回は容易く破かれたのです。今回の襲撃においては結界を破かず、あえてそのままの状態で、悪魔は特殊な魔法の術式を組み込み、団員達を結界の外へと出られないように閉じ込めてきました」
単純に考えて、ハオスの方が何枚も上手だろう。向こうはたった一つの目的のためだけに動いており、その準備を入念にやって来ている。
確実にこちらにとって痛手となるところを突いて来ているのは確かだ。
「とある団員の協力により、外部との行き来が可能になりましたが、いまだに教団を覆っている結界は悪魔が施した術式から解放されてはいません」
「そのようなこと、教団側の落ち度だろう……! 我々の英知が詰まった結界の強度さが悪魔の魔法如きに負けるなどありえない」
はっきりとそう言い切るブラストの言葉をクロイドはつい、鼻で笑いそうになってしまう。
確かに王宮魔法使いは有能なのだろう。
だが、その有能さはいつまでも変わることのない鳥籠の中だけだ。
周囲に目を向けることで己が退化していることを覚り、その事実を認めない限り、成長などしないのだから。