盤上の駒
静寂に満ちた空間を切り裂くように一つの声が、その場を駆け巡っていく。
「……つまり、ブリティオン王国の組織がイグノラント王国に仕掛けてきているわけではなく、そのローレンス家の者が個人的に教団へと手を出している、ということでしょうか」
それまで話を黙って聞いていたアルティウスが確認するようにユグランスへと訊ねる。ユグランスは肯定の意味で首を縦に振ってから、言葉を続けた。
「ブリティオン王国のローレンス家は何を目的として行動しているのかは定かではありません。ただ……悪魔が教団を襲撃したのは今回で二回目となります」
「なっ……! 何故、もっと早くに王宮側に伝えなかったのですか!」
側近の男性が堪らずと言った様子で声を上げる。時代と共に教団と王宮の関わりは薄いものとなっていた。そのため、教団側の案件は王宮側に報告することなく済ませていたのだろう。
「前回は、人的被害は多少出たものの、死亡者は一人も出ませんでした」
淡々とユグランスは答える。彼が教団に足を運ぶことは少ないらしいが、それでも情報の共有はしっかりと行っているらしい。
「ですが、今回は違います。……悪魔は教団内に魔物を放ち、混乱させました。今のところ、死亡者は出ておりませんが、魔物との戦闘により団員達や教団の建物には大きな被害が出ています」
視界の端に映るアルティウスの表情が一瞬だけ、強張ったように見えた。
見知らぬ人間が傷付いたとしても、イグノラント王国の国民の一人であることには変わりないため、心配しているのだろう。
「そして悪魔は──」
ユグランスは言葉を言い淀む。今まで、堂々と言葉を発していた彼でさえ、思わず詰まってしまうらしい。
その気持ちが誰よりも分かってしまうクロイドは、周りに気付かれないように唇を小さく噛んだ。
「悪魔はとある魔法を行い、教団の人間の魂を縛り上げ、人質としました。現在は仮死状態となっている者が多数おります」
誰かが息を飲んだ音が響いた。
静かに、震わせるように、生々しく。
たった一つの息ではない。だが、それは何かを恐れているように漏れ聞こえた。
新たに生まれた静けさが張り詰められた空間を揺るがすことは出来ない。たとえ、誰であってもこの重圧が圧し掛かる空間をひっくり返すことなど出来ないのだ。
「……クロイド、詳しい話を」
一歩、前の方に跪いているユグランスに声をかけられたクロイドは思わず、はっと顔を上げる。
自分が話題の中心になっていることに気付いた時には、すでにその場に居る者達の視線が自分へと集中していた。その中にはもちろん、国王とアルティウスの視線も混じっている。
国王が居るこの場で「クロイド」として言葉を発するのは初めてだ。
声を発したとして、自分が「クロディウス」だったと気付かれるだろうか。だが、この場で誰よりも悪魔「混沌を望む者」の情報を知っているのは自分だけだ。
クロイドはユグランスに首を縦に振り返してから、発言し始める。
「……教団に属しています、クロイド・ソルモンドと申します」
「……」
双子だから似ていると言っても、自分の普段の声色はアルティウスよりも低めだ。
気付かれるだろうかと思ったが、視界に映っている国王の表情に、何かしらの反応は浮かんではこなかった。そのことに小さく安堵しつつもクロイドは言葉を続ける。
「私が悪魔『混沌を望む者』と接触したのは、今回の件で三度目となります。彼の性質からして、人間の命を下に見ており、また……自身の道具の一つとして扱っているような印象を受けました」
ハオスと接触したのはこれで三度目だが、全てにおいて彼は人間の命を軽々しく扱っていた。まるで、料理の材料として扱っているように思えて、改めて腹立たしく思ってしまう。
「今回の件においても、彼は団員の命を人質に取った際にとあることを教団側へと要求してきました」
「要求……」
ぼそり、とアルティウスが呟く。その表情にはすでに悪魔に対する嫌悪のようなものが浮かんでいた。
「彼の、いえ……彼らの要求は教団の総帥であるウィータ・ナル・アウロア・イリシオスの血です。その血に宿る情報を求めているのだと思われます」
クロイドは決して、もう一つの要求として提示されていた、イリシオスによって秘匿された古代魔法に関する書物についての情報を話しはしなかった。
これは教団の人間でもイリシオスを含めて、ほんの一部しか知らないと言われている。そのため、いくら国王だからと言っても秘匿された情報を易々と話すわけにはいかなかった。
「ブリティオン王国のローレンス家が何を目的としているのかまでは、今のところ分かってはいません。ですが、イリシオス総帥が持っている情報を要求してくるということは、恐らく古代魔法に関することかと思われます」
「……」
何を目的として、ブリティオン王国のローレンス家が動いているのかは今も分からないままだ。それでも彼らは目的のために確実に動き、そして一手ずつ攻めてきているのだけは感じ取れていた。
ラザリー・アゲイルを使って人間の魂を集め、オスクリダ島の島人を相手に非道な実験を行い、教団を二度も襲撃したことから、教団だけでなくイグノラント王国に敵対するためかと思われがちだが、恐らく最初から目的は一つなのだろう。
その一つの目的のためだけに、彼らは順番通りに盤上の駒を動かしているように感じられた。
そして、関わっているものは全て彼らにとっては目的を果たすための道具に過ぎない。そこにどれ程の罪無き命が関わってきているのだとしても、彼らは目を向けることすらしないのだろう。
それが分かっているからこそ、嫌悪せずにはいられないのだ。