ユグランス
両開きの扉を開いた先には、貴族の家らしい内装が広がっていた。落ち着いた色の絨毯は古いようだが、刺繍が鮮やかに刻まれており、かなり価値があるもののようだ。
壁に飾ってある絵画も知る人ぞ知る、密かに人気がある創作者によるものだと分かる。
金色のものをほとんど使っていない内装なので、とても雰囲気が穏やかに感じられて、まるで自分の家へと帰ってきたような安堵を抱いてしまった程だ。
「ユグランス伯父さん、クロイドを連れてきました」
両開きの扉を閉めてから、エリオスは屋敷内に響くように誰かを呼んだ。
すると、地鳴りのような音が遠くから響いてきたと同時に、玄関の近くにあった扉がばんっと勢いよく開かれたのである。
「よく来たな!」
そう言って、クロイド達の前へと現れたのはエリオスに少しだけ顔立ちが似ている、齢四十を超えた男性だった。
着ているものは質素に見えるが、それでも質が良い物だと分かった。しかし、表情から滲み出ているクロイドへの興味は隠し切れていないようだ。
「突然、連絡をしてしまって、申し訳ない。協力してくれてありがとう、伯父さん」
「おいおい、私達の仲だろう。可愛い甥からの頼みならば、喜んで引き受けるさ。それにしても、この屋敷に寄るのは久しぶりだな。暫く、教団の仕事が忙しかったようだが」
そう言って、男性はエリオスの頭を右手でぐりぐりと撫で始める。まるで年頃の息子に構っている父親のような光景だ。
伯父と甥という関係だが、傍目から見れば本物の親子のようにも見える。エリオスの実父はジョゼフ・ブルゴレッドだが、こちらの男性と並んでいる方が親子らしく見えた。
「ああ、仕事の方は順調にやっているよ。ここ最近は忙しくて、中々立ち寄れなくて申し訳ない。……クロイド、こちらがヴィオストル家の当主、ユグランス・ヴィオストルだ。伯父さん、それで彼が……」
「クロイド・ソルモンドだな! アイリスの恋人の!」
エリオスがクロイドを紹介する前に、ユグランスと呼ばれた男性はかっと目を見開いてから、クロイドへと一歩、近づいてくる。
身長はエリオスと変わらないくらいに見えるが、それでも肩幅が少しだけ広いため、ユグランスの身体はエリオスよりも大きく見えた。
ユグランスはがしっとクロイドの両肩を突然、掴むとまるで何かを探るようにじっと顔を見つめてくる。
「っ……」
どのような言葉を発した方がいいのか分からないクロイドは、ユグランスからの圧をただ受けることしか出来なかった。
ユグランスは目を細めながら、クロイドの顔を凝視する。そして、何かを覚ったようにこくりと頷き返した。
「なるほどな。君には王家の血が入っているのだろう」
「っ!?」
ユグランスの一言を聞いたクロイドは動揺してしまいそうになる衝動を何とか抑えて、無言を貫いた。
恐らく、貴族であるユグランスは王宮内でアルティウスと顔を合わせたことがあるのだろう。それゆえにたった一瞬で、クロイドの正体を見抜いたのかもしれない。
自分とアルティウスは双子であるため、よく似ている。
だが、世間ではクロディウス王子はすでに死亡していることになっているため、アルティウス王子とそっくりな自分が現れてしまえば混乱をもたらすことは理解していた。
……念のために変装でもしておけば良かったか。
どのように言い訳をしようかと考えていると、何かを察したのかユグランスはクロイドの肩をぽんぽんと優しく叩きながら言葉を紡いだ。
「心配しなくても、君の正体を誰かに明かそうなどと思っていないぞ」
「……」
まるでクロイドの警戒を解くようにユグランスは穏やかに話し始める。
「表向きの事実としてクロディウス王子は病死したことになっているが、田舎の教会に送られたことは知っている。……だが、その後に死亡したと報告を受けていたから、驚いたよ」
クロイドの肩に置いていた手をユグランスはそっと離し、そして右手を胸に添えながら、込み上げてくる感情を抑えるような表情を浮かべつつ、呟いた。
「……よくぞ、生きておられました、クロディウス王子」
「……っ」
それまでの気さくな話し方とは一変して、まるで臣下が主を敬うような口調でユグランスはそう言ったのである。
「あの時、あなた様が王宮から追われる状況をお止めすることが出来ず、申し訳なく思っていました」
ユグランスはクロイドが魔犬に呪われたことを知っているのだろう。
それに、ユグランスの弟であるオルキス・ローレンスとその家族は魔犬に襲われて死亡しているため、魔犬の存在を知っていたに違いない。
しかし、あの頃の自分はあまり貴族を相手に顔を合わせることがなかったので、ユグランスのことを知らずにいた。
だが、彼は自分のことを知っていたのだ。
王宮で何が起きて、クロディウス王子がどうなったのかを。
それでも、クロイドは首を横に振る。
「……俺は、クロディウス王子ではありません」
絞り出すようにクロイドはその一言を告げる。
名前も変わり、立場も変わった。自分は第一王子だったクロディウスではなく、嘆きの夜明け団に所属するクロイド・ソルモンドだ。
二度と王子という立場に戻る気などない。
「ですが、あなたが悔いる必要はないでしょう。例え、過去に辛いことがあったとしても、今の『彼』は幸せに生きていますから」
「……」
クロイドの言葉にユグランスは目を見開く。そして、何かを察したように表情を緩めて行った。
「……ならば、全ては私の心に留めておきましょう。『彼』がこれからも穏やかに満ち足りた日々を送れるように」
どうやら、それがユグランスの答えらしい。
だが、王宮から追われた自分のことを心配してくれている人物がここにも居たことを知ったクロイドは少しだけ、安らかな気持ちになっていた。




