精霊語
リアンは顔を上げてから、両手を壁の方へと突き出す。これから、空間を操る精霊と共に通路を作って繋げるのだろう。
「えっと、ブレアさん。通路を繋げる場所はどこにしますか? 人気がなくて、団員達が行動しやすい場所の方がいいですよね」
リアンは顔をブレアの方へと向けて、訊ねる。ブレアは少しだけ思案する表情を浮かべてから、すぐに答えた。
「では、セントリア学園の敷地内にある雑木林の中に佇んでいる教会址に繋げて欲しい。今は学園が夏季休暇中で人がいないし、雑木林の中ならば上手く姿が隠れるから、一般市民に目撃されることはないだろう。通路が繋がり次第、この場所を行動拠点にしたいんだ」
教会址と聞いて、反応したのはクロイドとミレットだ。二人はこの教会址で以前、何が起きたのか知っているため、少しだけ気まずい表情を浮かべる。
だが、この場所以上に団員達の拠点にしやすい場所はないだろう。
たとえ、アイリスが傷つけられそうになったことを思い出させる場所だとしても、今は文句を言っている場合ではないのだから。
「分かりました、教会址ですね。……それじゃあ、皆は少し後ろの方に下がっていてね」
「あ、ああ……」
「リアン、気を付けて」
イトの言葉は短かったが、それでもリアンは嬉しかったようで幼子のような純粋な笑みを浮かべてから、再び顔を壁の方へと向きなおした。
「よし、アイル。やろうか」
そう言って、リアンは両手で掬うように持っている「精霊」に向けて、軽く口付けを落としたのである。
「……魔力を譲渡しているのか」
ブレアがどこかはっとしたように呟いた。クロイドも目には見えないものの、リアンの魔力が大きく移動しているのが何となく感じられていた。
リアンは己の魔力を精霊へと移しているのだ。そうすることで、まだ回復し切れていない精霊の力を補おうとしているのだろう。
「確かにこの魔力の質は精霊にとっては純粋で美味しいだろうな」
ぼそりとブレアが呟いた次の瞬間、リアンを包み込む程の光がその場に発生し、視界を埋め尽くしていく。
「来るぞ……!」
クロイドはあまりの眩しさに目を瞑ってしまっていた。だが、大きい何かがこの場で渦巻き始めたことを感じ取り、すぐに目を開ける。
「なっ……」
リアンの目の前の壁には「何も」なかったはずだ。だが、瞳を開けた次の瞬間、壁には見たこともない模様が光を帯びつつ、浮かび上がっていたのである。
「これって、もしかして精霊語……!?」
ひぃっと引き攣ったような息をしながら、ミレットが呟いた。
瞬きすることなく視線を向ければ、自分達には理解出来ない言語が壁を埋め尽くしており、鮮やかな円が静かに刻まれていく。
クロイドも「精霊語」という言葉を聞いたことはあるが、実際に見たことはなかった。
それらは精霊だけに伝わる言語であって、あまりにも複雑であるため、いまだに人間向けには解読されていないのだという。
「うわっ、ちょっ……書き写したい……! しまった、映像ごと保存出来る魔具も持ってくれば良かったわ……!」
このような状況下でもミレットは彼女らしいことを吐きながら、必死に手元の手帳に万年筆を走らせていた。
膨大な魔力はリアンと精霊によるものだろう。それらが混ざり合って、更なる力を生み出していることはクロイド達にも理解出来ていた。
精霊は力がまだ完全に回復していないと言っていたが、それでもこちらが思わず唾を飲み込んでしまう程の膨大な力が目の前で動いているため、驚かないわけがない。
壁に向けて立ったままのリアンは深く息を吐いて、そして言葉を零した。
「──うん、開いて」
リアンは空間を操る精霊に向けて、穏やかに促す。
瞬間、精霊語によって浮かび上がっていた円陣は淡く光り出し、それまでそこには存在しなかったものを突如として作り出していったのである。
無から有が生まれる時、大きい力が発現されることは分かっていた。
だが、その力の圧は想像以上だ。
「……これだけの力を有しているとなると、精霊も多くの人間に狙われやすいだろうな」
輝いている壁を眺めながら、ブレアが小さく呟く。
魔法使いが扱う魔法さえ、簡単に凌駕してしまう力を持っている精霊達。それらの存在に対する畏怖と彼らが悪用されるのではと危惧する感情が同時に生まれてしまう。
「……リアンが精霊使いと言うならば、きっと今後も精霊を悪用することも、悪用されることもないのでしょう。彼の心は確かに純粋ですが、それでも悪意に対しては敏感ですから」
ぼそりとイトが囁くように呟いた。
「それに私が彼と精霊を守りますので」
揺るぎない信念のようなものを抱いたイトの横顔は、一端の清廉な剣士に見えた。
「……うっ、来るっ……!」
それまで両足で真っ直ぐと立っていたリアンだったが、身体に衝撃が走ったのか、右足を一歩だけ後ろに下げていた。
リアンの前方ではばちばち、と火花が散っては消えていく光景が始まっていた。
光と力が蠢く中、クロイドは視線を逸らすことなく、真っ直ぐと壁を見つめ続ける。
そして、壁の内側から外へと浮かび上がってくるように出現したのは──何の変哲もない木製の古い扉だった。




