空間の精霊
地下牢への入室許可証を魔的審査課へと返してから、クロイド達はすぐに訓練場へと向かった。
夜が明けて二時間程が経ったが、それでもすれ違う団員達の表情には明らかに疲れの色が出ていた。
その上、教団の結界を破壊するために大量の魔力を使えば、倒れる人間が多く出るだろう。それだけは何としてでも避けなければならなかった。
夜には大量の魔物との交戦が待っているはずだ。それまでに身をもたせて、体力と魔力を維持しておかなければならないのだ。
訓練場はブレアが言っていた通り、人気がなかった。
いつもならば、誰かが鍛錬している姿がそこら中にあるのだが、今はこのような状況下であるため、鍛錬をする暇などないのだろう。
「……ふむ。周囲にはあの悪魔の気配は感じられないな。やはり転移魔法陣を使って、一時的に教団からは退いているようだ」
ブレアは素早く周囲を見渡して、この場所が安全かどうかを確かめ始める。
「訓練場の中には念のために不可視の魔法を施しておこう。悪魔除けの結界も張っておきたいところだが、そんなことをすれば逆に怪しまれかねないからな」
「確かに……」
「まぁ、『混沌を望む者』の魔力はすでにこの身で覚えているから、教団内に出現すれば、私がすぐに気付くだろう。ここら一帯にはあの悪魔を絶対に近づけさせないから安心して欲しい」
せっかく、外部へと通じる通路が確保出来る可能性が高くなったというのに、悪魔に邪魔をされてしまっては、全てが水泡に帰してしまう。何とか慎重に事を運びたいのだろう。
「それじゃあ、リアン。さっそく、空間を操る精霊に頼んでもらえるか?」
訓練場に不可視の魔法をかけ終わったブレアがすぐにリアンへと促す。リアンはこくりと頷いてから、訓練場の壁近くに寄って行った。
「アイル。俺達に君の力を貸してくれる? どうしても、君の力が必要なんだ」
リアンは両手で何かを掬い取るような仕草をして、穏やかな視線を向けている。クロイド達には見えないが、そこに「アイル」と呼んでいる空間を操る精霊が居るのだろう。
「俺の魔力、たくさん使っていいからさ。だから、教団の外へと繋がる通路を作って欲しいんだ」
リアンの言葉が静かに水面を打つように、その場に広がっていく気がした。穏やかな声なのに、まるで身体の奥に染み込むように感じるのは何故だろうか。
まるで、「空気」に「意思」があるようにも感じられた。
「……ここではさ、自分にとって守りたいものがたくさんある人達が一生懸命に戦っているんだ。もちろん、俺にも守りたいものはたくさんある。でも、このままだと大切なものを守れなくなってしまうかもしれないんだ」
リアンが精霊に対して呟く言葉には重みがあり、それらはクロイドの胸の奥へと突き刺さった。
守りたいものを守れなかった。
それがどれ程、自分の心を締め付けるのか、リアンも知っているのだろう。理解しているからこそ、自分が今やるべきことを成そうとしているのだ。
「だから、お願い。アイル、俺に──俺達に、力を貸して欲しい。俺達を助けて欲しい。こうやって、一方的にお願いすることは傲慢だって分かっているけれど……でも、君にしか頼れないんだ──空間の精霊」
瞬間、リアンの手元が突然、発光したことでその場に白い空間を生み出していく。
「これは……」
ブレアが左手を横に伸ばして、それ以上前に進むなと示したため、クロイド達はリアンに近づくことを躊躇ってしまう。
だが、白い光は想像以上に温かいもので、心地良ささえも感じてしまうものだった。
「君の力は温かいんだね。……大丈夫、君はちゃんと認識されるよ。だって──」
リアンは両手を上へと持ち上げて、掲げるような体勢を取った。まるで何かを捧げるようにも見える姿に、その場に居る者達は魅入ってしまう。
「こんなにも優しい力を持っているんだもの。君は空間を操ることが出来るだけじゃないよ。その力は誰かの助けになる優しい力だ。そんなに優しい力を認識しないわけがないよ」
するとリアンは少しだけ目を瞠り、精霊に向けて、にこりと笑った。
「……ありがとう、アイル」
リアンは両手を胸へと引き寄せてから、囁くように感謝の言葉を呟いた。
その手元には何も見えないのに、リアンが精霊に額を寄せているようにも見える。その光景が思わず息をのむ程に、とてつもなく高尚なものを見ているようにも感じた。




